第2章_#06_オルセー美術館とムッシュー・ツジ
1994年、初パリ。初日。
朝9時くらいになってようやく周囲が明るくなってくる。
この日は夕方に、パリに短期留学中の友だち2人とひさびさに会う約束をしていた。B子さんと私の共通の友人だ。
「夕方まで何をしましょうか?」
初パリだもの、行きたい場所は山ほどある。が、パリはもう何回目か覚えてないくらいに旅慣れたB子さんは恐らくほとんどのスポットを制覇しているはず。初日から別行動はちょっとプレッシャーだから一緒に行動したい。となればB子さんの希望に合わせるのが一番いいと思われた。
「そうね、じゃまずはオルセーにでも行ってみましょうか。」
キター!!!美術館!!!
そう。パリに行けば誰しも訪れたいのが美術館。
ルーブル、オルセー、ポンピドゥセンター、オランジュリー、パレドトーキョー、クリュニー、ピカソ、ロダン、etc⋯今回行きたい美術館は山ほどある。
あれ?待てよ。パリで一番大きい美術館はたしかルーブル美術館。
初めての旅だと言うのなら、最初にルーブルに連れてってくれればよさそうなものだけど。
と、考えてしまったその時の私は、分かりやすく素人だった。
「ベルサイユのばら」の中でオスカルがロザリーに言うセリフの中に
「いいかい?ベルサイユ(宮殿)自体がひとつの町なのだよ。」
というのがある。
これ式に言うと、ルーブルは「ひとつの村」くらいに広大なのだ。
もれなく全部観ようと思えば、駆け足で周っても1日かかる。
ひとつひとつじっくり観ようとすれば1日や2日じゃ終わらない。
(ま、途中で飽きてくたびれてくるので、興味のあるカテゴリーだけ集中的に観て、余力あれば他も観るくらいのペースがオススメ。でもできれば丸1日を充てて欲しい。中で食事もお茶もできるので。)
B子さんはこのことをすでに知っていたのだ。夕方に約束があるなら時間が限られる。ならばと、比較的規模の小さいオルセーを選んだのだろう。
オデオンからオルセーまでの距離なら、今だったら徒歩で行く。
でも、なぜか、わざわざメトロを使ったので、ずいぶん遠いところのように感じたものだ。B子さんはメトロが好きだったんだろうか。そういえばバスには一度も乗らなかった。未だにバスに苦手意識があるのは、初めての旅で乗らなかったからかもしれない。
オルセーに到着。チケットを買って中に入る。
「じゃあ、2時間後にここで。」
「はい。」
私たちはいったん別れ好きなものを好きに観たあとに、オルセー内のレストランでお昼を食べることになった。
のんびりと順番に観ていたが、ふと時計を見ると1時間が経過しようとしている。え?もう?あと1時間でどのくらい観れるの?少し心配になったので、有名な作品だけ押さえておこうと計画変更。オルセーの有名どころは、ミレー「落穂拾い」、アングル「泉」、ゴッホ「自画像」、マネ「草上の昼食」、モネ「左を向いた日傘の女」、ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」などなど。ガイドブックで探しては片っ端から観る。小走り。ルーブルより小規模といったって、オルセーだって広いのだ。そんなに好きじゃない印象派とかをこんなに一生懸命ムキになって観るなんて、きっとこれが最初で最後だろう。そうしてあっという間にタイムアップ。息を切らしながら待ち合わせ場所に向かう。
「どうだった?いっぱい観られた?」
「はぁ、もう、広すぎて多すぎてびっくりです。」
2時間じゃぜんぜん足りない!めっちゃ消化不良!と言いたいのを飲みこんだ。
オルセー美術館内にあるレストラン”Restaurant du Musée d'Orsay”へと向かう。ここは常に長蛇の列なので、きっとすごく待ったのだと思うけれど、30年近くも昔のこと、そこら辺は全く記憶にない。ロココ調の内装のクラシック&ゴージャスな店内の雰囲気に、ちょっと服装がカジュアルすぎたかしらと一瞬気後れするも、席について気持ちに余裕ができてからよくよく見回すと8割方は観光客。Tシャツ(冬なのに)に汚いジーンズの英語圏の若者に比べれば、私なんてぜんぜん小綺麗なほうだった。
そこで何を食べたかはこれまた記憶にないが、強烈に覚えているのは、B子さんが「ワイン飲むでしょ?」とオーダーしたのが、なんとフルボトルの赤ワインだったこと。「Une bouteille de……」と耳に入ってきた時には「ブテイユってなんだっけ?まさかボトルじゃないよね?」とビビってたら、マジでボトルが出てきたからびっくりだ。もちろん、昼飲みを経験したことがなかったわけではないが、女2人の外メシで昼からボトルは未経験だった。しかも異国の地で。(異国の地だからできるのだと今なら思えるが。)
店内の雰囲気に緊張しているのか、昼飲みのボトルワインに酔っているのか、時差ボケか、よくわからないが(おそらく全部)、食事が終わってしばしボンヤリしていた。そこにB子さんのひそひそ声。
「⋯ね、ちょっと、聞いてる?」
「え?はい?」(聞いてませんでした。)
「カメラ、持ってる?」
「“写ルンです”ですけど、一応⋯。」
写ルンですとは、レンズ付きフィルムカメラ、通称使い捨てカメラ。1986年に誕生し、90年代に人気を博した後、デジカメやスマホに押され衰退。でも、今、マニアックな若者の間ではブームが再来しているとも聞く。
「撮ってくれない?」
「いいですよ。」
カメラをB子さんに向ける。
「そうじゃなくて!」
「は?」
B子さんが右!右!と目で合図している。
視線を移すと、日本人らしきオジサン。妻と思しき女性と食事をしている。
「誰ですか?」
「え?知らないの?」
「すいません。」
「ツジ●●オよ!」
ヒソヒソ声だから聞き取りづらい。
そのとき私の頭に浮かんだ画像は「辻 静雄」。辻調理師専門学校を作った人で、日本にフランス料理を広めた人だ。昔「料理天国」という番組に出ていたので、中高年の多くは知っているのではなかろうか。美味しいものをたくさん食べてきたのだろうなぁという感じのふっくらした体型に、コック帽が似合う柔和な顔立ち。
しかしながら、斜め前に座る紳士は、小柄で痩せ型、サムライのようなキリリとした顔立ち。ふっくらシェフとは真逆である。
「違うと思いますけど。」
「違わないわよ!私ファンだもの、間違わないわ。ね、撮って。」
「え?断りもなしにですか?」(ファン?このオジサン誰?)
「だから、私を撮るフリして、うまいこと撮って。」
テーブル間は狭く、ヒソヒソ話が聞こえやしないかとヒヤヒヤしていたくらいだが、2ショットが撮れるほどには狭くない。明らかな無茶ぶり。でも、いつも冷静クールなB子さんが珍しくハイテンションだ。どうにかして叶えたいとも思う。
しかし、けっこう重要なことを失念していた。私はそれまで写真をまともに撮ったことがなかったのだ。生まれて初めての写真体験。巻いて押せばいいというのは解るから、撮るという行為そのものは簡単だ。問題はちゃんと撮れているか。今みたいにデジカメやスマホなら、撮った直後にチェックして何度でも撮り直せる。(ま、この状況だから、それはそれで避けたいだろうけど。)
気分的には「別に撮ってもいいですよ。だけどね、ちゃんと撮れるかどうかは保証しかねます。それでもよければ撮らせて頂きますが?」なのだが、そんな事言うとおそらく雰囲気はめちゃくちゃ盛り下がる。初日から険悪なムードになると、旅が台無しだ。えーい、いちかばちか。覚悟を決めた。B子さんを撮るフリをして、隣卓のムッシューに向けてカメラを振った。
そして、かすかに震える指で、シャッターを、押す。
カシャッ!(ピカッ!)
わ!なんてことだ!フラッシュをオフにするのを忘れていた!
自分を撮られた事に疑いの余地がないムッシューは憮然とした表情。
「あわわ、どうしてフラッシュが⋯あ、申し訳ありません⋯」しどろもどろで謝る私に一瞥をくれることもなく、ムッシューは夫人との会話を再開した。オロオロする私を周囲の観光客が半笑いで眺めている(気がした)。
「B子さん、そろそろ行きましょう!」気まずさに耐えられず、お会計を済ませ、脱兎の如くその場を立ち去った。
ちなみに、帰国後に現像したその写真、B子さんとムッシューの間の「ただの宙」しか撮れておらず。要するに大失敗だが、B子さんはその事をすっかり忘れていたようで一度も催促されなかった。あるいは、まともな写真が撮れてないのは、あの時点でバレバレだったのかもしれない。
(⋯あ!!ツジクニオ?!)
美術館を出て、次の待ち合わせに向かうメトロの中で、さっきのムッシューの正体に遅ればせながら気づいた。フランス文学者の「辻 邦生」だったのだ。
漢字を当てるとすぐに分かるのだが、音で聴いただけではピンと来なかった。姿も見たことがなかったから仕方ないとは言え、ふっくらシェフと人違いするなんて。思わず吹き出した。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと思い出し笑いです。」
メトロの中で笑えるようになるなんて。少しはパリの空気に慣れてきたのか?
ついでに言うと、私が「辻静雄」だと思っていた「料理天国」のふっくらシェフは「小川忠彦」という人で、「辻静雄」ではなかったことに、この記事を書くのに調べ物をしていた昨日、気づいた(いくらなんでも今さら過ぎるが...。)ちなみに「辻静雄」はこんな感じの人。
さあ、この後は久しぶりにかつての学友たちと会う。彼女たちはどんな風にフランスに馴染んでいるのだろうか。
続きは次回!À bientôt!