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毎日ここだけクリスマス

#エッセイ
#私の朝ごはん
#2000文字



 土曜日の朝は体が重い。
 雨音がベランダにしとしと注ぐ。まだ六時。休日まで仕事の日と同じ時間に起きることはない。のに。

「ママ起きて。朝だよ」

 わたしの布団を乗っ取る小さな彼には、曜日の概念がない。
 急に体を起こして座った三才の息子、にっとは、起きろと強要する。それでいて自分もまぶたを閉ざしたままだった。

「今日は保育園、お休みだよ。もう少し寝ようよ。おめめ開いてないじゃん」

「だめ、起きるの! あっちのお部屋行く!」

 寝室の向こう、リビングを指差している。ぐずぐずぎゃんぎゃん怒りながら。
 朝食用の米は、前の晩からセットしてある。六時半には勝手に炊ける。
 さておかずはどうするか。
 鍋には昨日のカレーが残っていた。朝からカレーは受け付けない。たまごを焼く? フライパンを洗うのが面倒くさい。ウインナーでも茹でる? お湯がわくまでが面倒くさい。

 つまりは台所に立つのが面倒くさい。

 自宅で用意するのが面倒くさいのならば。

「どっか食べに行こう。モーニング」

 今度はわたしが夫をたたき起こす。夫はふにゃふにゃの声で「いいよ」と言った。
 着替えて化粧をしてにっとも着替えさせるのは、不思議と面倒くさくなかった。

 家族三人、颯爽と車に乗り込む。
 運転席でハンドルを握る夫に、スマホの画面を向ける。

「ここ行こう。ドリンク代プラス八十円で、ワッフルモーニングプレートに変更可」

「いいね。でも待てよ。そこ行く途中のあそこは? ずっと行きたがってたじゃん」

 夫は大通り沿いの古い喫茶店の名前をあげた。
 かれこれ五、六年、その喫茶店の前を通過していた。何曜日のどの時間帯でも駐車場が満車で、気になっていた。いつでもぱんぱんに停まる車を見ていたから、なかなか気軽に行けずにいる。
 自宅から車で十五分を、だめもとで。
 朝八時の喫茶店は満車……だったけど、一台の車が大通りに向いてウインカーを点滅させていた!
 初めての「朝から外食」に興奮するにっとをたしなめ、入口を目指す。小雨が早足にさせる。ガラス越しに丸見えの店内。

「客の年齢層、やけに高いな」

 夫がぽそりと呟く。

「ママ、パパ、見て」

 自動ドアをくぐろうとしたとき、にっとが引き留めた。

「クリスマスがある」

 視線の先に、背の低いクリスマスツリーがあった。
 雨降りの室外もお構いなしに、コンセントまで差してある。梅雨にまたたく赤や青の電飾は、すすけて見えた。
 不思議な気持ちで入店する。窓際の角に通される。わたしはホットコーヒー、夫はレモンスカッシュ、にっとはバナナジュースを注文。

「お待たせしました。まずちびちゃんの分ね」

 気さくなおばちゃん店員さんが、どでかいワイングラスに波波のバナナジュースと、ドリンク代だけでついてくるモーニングのプレートを運んでくれた。
 三人そろって無言になる。みんなバナナジュースを凝視していた。
 続いてホットコーヒー、レモンスカッシュ。大人のね、と言われてまたプレートが二つ。分厚い食パンの上でバターがきらめく。小鉢にはキャベツのサラダ、そうめん。ゆで玉子と小ぶりのバナナ、ヤクルトまで乗っている。
 よく見るとにっとのそうめんにはねぎが散っていない。わざわざ気を遣ってもらったようだ。にっとはそうめんに真っ先に手を伸ばす。一瞬でつゆまで完食した。

「おいしいねぇ。ママも食べてみて」

 そうめんはねぎだけでなく、しょうがもほどよく効いていた。つるつる食べたにっとのそうめんは、もしかしたらしょうがも抜いてもらえていたかもしれない。
 夫とにっとのプレートが先に空となった。おばちゃんが下膳する。おばちゃんは少しして戻ってくると、無言で湯飲みを二つ、置いていった。もくもくと湯気が立ち込めている。わたしは自分のプレートを、自分のコーヒーとにっとの飲み残しで流し込むのに必死だった。過去最大サイズのジュースはとてもおいしかったけど、いくらジュース大好きマンでも、胃袋には限度がある。

「これ、梅昆布茶だ」

 おっかなびっくり湯飲みをすすって、夫がこっそり言った。
 梅昆布茶。大好きだ。
 それでも。わたしの胃袋にも限度があった。
 甘くてどろどろでお腹を幸せにふくらすジュースから、一旦、手を離す。熱々の湯飲みを口に近づける。すすりたい。それなのに。胃袋が制止する。
 受け止めきれないほどのサービスに満ちた喫茶店。そりゃあ駐車場は常に満車だろうし、高齢者さん方も至れり尽くせり満足だろう。わたしたちが食べはじめたころから、駐車場が空きやしないかと車内で待つ人の姿も見えている。
 手を合わせて、ごちそうさまをする。会計をすませるとさらなるサービスが待っていた。にっとに駄菓子をくれたのだ。
 改めてクリスマスツリーを見やる。厨房のサンタクロースは、とにかくプレゼントでもてなしたいのだろう。人が好きなのかもしれない、充分に伝わった。この喫茶店は毎日がクリスマスだ。

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