2023年公募投稿納めとエッセイを書く理由
まだ今年も半月くらいはあるけども、明け方せっせこ応募したエッセイコンテストをもって、公募納めとすることにした。
ちょうど一月二日の夜に眠れず、ふとまた十年ぶりくらいに文章を書いてみようと思い付いた。
わたしにとって「文章執筆=小説」だった。
また新人賞を目指すには兼業主婦にくたびれきっている。思い付くままにたらたら書いて、どれだけ閲覧されたか数字でわかる、web小説ってのをやってみよう。そんな軽はずみで始めたエブリスタだが、フィクションをぽんぽん連発して書くのは体力がいる。
ブログみたいに思うまま頭の中を連ねていけるものはないか……人はそれをエッセイというのだが、こっちで勝負をした方が気楽だと気付く。
高校卒業後、太宰治になりたかった若いわたしは、大学進学を蹴り飛ばした。夢を追い夢に生きて夢に苦しみたくて、物書き専門学校へ進んだ。
授業の中に、一週間の出来事で印象的な一つを小説にするというものが、入学当初から卒業まで毎週組み込まれていた。
なるほど。あれはエッセイだったのか。今更ながらに気が付いた。エッセイを書くことはわたしの文章執筆の基盤であったのか。
じゃあ小説より戦えるのでは?
書けそうなテーマや文字数のエッセイコンテストを探し、三月頃から投稿するようになった。
インターネットでは漫画や音楽、写真、動画等、今や自分をアピールする手段は様々だ。皆がみな、なんでも気軽に発表できる。
そんな時代に、わざわざなんの変哲もない疲れた主婦のブログ(エッセイ)を、好んで選んで読む人なんかいない。だって得する情報もないし。
でも。
初夏を過ぎた頃、職場のデイサービスに、本を書いているという男性利用者が新たに加わった。
聞くと八十代半ばの彼は、Facebookも定期的に更新しているそうだ。
「どんな本を書いているんですか?」
入浴介助の担当に当たった際に、聞いてみた。
「地元の歴史とわたしの活動を踏まえましてね、Facebookの内容をまとめて電子書籍を販売しているんです」
「へぇ、歴史! 難しそうな題材ですね、すごいなぁ。わたしは歴史なんて教科書で習ったことすらなんにも覚えてないですよ。あ、背中、痒いところはないですか?」
泡のついたタオルで背中をこするわたしに、作家さんは「えぇ」と短く答えた。
「知識がなくてもいいんです」
後ろに立つわたしに振り返る。シャワーの音を背景に、凛とした声が告げる。
「わたしはね、せっかく生きたのだから、生きているうちになにか残したいんです。みんなそうでしょ、残してもらえたから手に取れる。違いますか?」
考えたこともなかった。
読者対象を定めてそこに刺さるものを書かなければならないと思っていた。そうではなくて、とりあえず形に残す。それもそうか。形がなければ手に取れない。
「わたしも文章書くのが好きなんです」
打ち明けてみる。ほう、と作家さんは目を丸くした。
「お尻洗いましょうか。ゆっくり立ってね。……わたしは小説ばっかり書いてたんですけど、最近はエッセイの公募とかにちょこちょこ出していて」
「公募! それはすごい」
「泡、流しますね。昔は小説の新人賞とか狙ってたんですけど、やっぱり難しいし、すっかり離れてしまって。でも他にできることもないし、趣味として書こうとしたんです。でも趣味にするにはまた小難しく考えすぎちゃうから、楽しめてない気がして。結果がほしくなっちゃうんですよねぇ」
文章は、戦うためのものじゃない。
気持ちよく読むためのものであってほしい。
だけどやっぱり自分がどのくらいの次元にいるのか知りたい。他に趣味も特技もないから、しがみつくからには認められたくて。
「はい、じゃあ湯船へどうぞ」
作家さんの足取りをしっかり黙視する。特にふらつきも迷いもなく、がっしりした体がお湯に浸かっていく。
「あなた、頑張りなさいよ。あなたには文才がある。読まなくても話しぶりから伝わりますよ」
ちゃぽ、と手のひらで肩にお湯をかけながら、作家さんの目が真っ直ぐわたしをとらえる。
「形にしたものがさらに結果を残す、こんな素晴らしいことはない。戦えるなら残せますから。どんどん続けなさいよ」
体のすべてが軽くなる。
残せるものがあるだろうか。あってほしい。
武器を磨くために、noteを始めた。
今年に投稿したのは六作。
ありがたいことに賞に引っかかったのが一作ある。現在結果待ちが三作。
吉田に改名した訳は、
「あなた川森(本名の仮名)さんですね」
「そうですよ」
「あなたのことFacebookに書きましたから。これは下書きです」
見せてくれた手書き原稿に「川口さん」とある。
「川森ですよ」
「そうか、吉田さんね。訂正します」
てな調子で毎回なぜか吉田と間違えられる。いっそ本当に吉田になってみたのだ。自信をくれた恩人が勘違いで拾うものを、大切な武器にしたくて。