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家
自宅から車を走らせると、お散歩圏内のとある家に、ダンプトラックが二台停まっていた。午後一時。残暑のさなか、玄関は開けっぴろげだ。作業服のおじさんが大きな袋を抱え出てきて、ほいっとトラックの荷台に投げた。
横目に流れた光景に、息が止まる。
――みかんの木はどうだった?
時速五十キロでの通りすがりを、思い起こそうとしてみても。なかったような気がする、あったけど短く切られていたかな、という程度が精一杯だった。
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とにかく家中あちこち汚い。
床もソファもミニカーやら積み木やらが点在、というのは大人の視点だ。創造主さまいわく「これは町なの! ここが消防署でこっちがお家の集まりで、これはスーパーマーケット。ソファじゃなくてお山。工事中だから見て、ショベルカーが掘った土をダンプトラックが集めてるの、ミキサー車が道路を作ってるの」と。大開発計画の真っ只中で、片づけることは決して許されない。
ものだらけの原因に、しかしわたしも荷担している。
夫がたたんでくれた洗濯物を、たんすに振り分けて収納する時間が惜しい。たんすの前に山を作った。お風呂がわけばそこから寝巻きや下着を持ち出して、朝には服もズボンも靴下も抜いたら、また床が戻る。他にもなんだか知らないけれど届いた封書や、よくわからないけれど重要らしいマンションのお知らせ、まだ日があるから頭の元気なときに記入したい書類……いつでも目にできる場所に置いておきたくて、棚の上に積む。床もぐちゃぐちゃなら棚の上もしっちゃかめっちゃかなありさまだった。
そのくせわたしは連日、口にする。
「おもちゃは寝る前までに片づけて!」
小さな主張も理解できる。わたしも片づけない子供だった。だって明日も遊ぶのだから、そのままにしておけば、明日の入りがスムーズじゃないか。犬の人形だけが本棚と壁の隙間に置きっ放し? 違う違う。あの子は囚われの姫で、今宵のうちには助けに行けないだけ。
片づけができない、のではない。片づける必要性が見当たらない。わかる、わかるよ息子。でも床もソファもこれでは、誰もどこにも座れない。
ものが多すぎるのだろうか。我が家のひとりっこにはいとこもおらず、姉妹を育てたわたしの両親からしたら、物珍しい「男の子」だ。夫の両親は他界している。義妹さんにとって、数少なくなってしまった血のつながる家族だ。わたしの祖母は、初のひ孫に大フィーバーしている。息子はどこからも浴びるほど与えられる暮らしをしてきた。そのため管理しきれず、ひとつひとつを大切にする気がないのか。……そんなことはないと思う。幼い頭ながら、溢れかえって収納がすぐ追いつかなくなるおもちゃの、ひとつひとつの入手経路を覚えている。すべてに思い入れがあるのだろう。
ため息をついて、言い方を変える。
「どれかひとつだけ取っておいていいよ。その変わり、他は片づけてね」
息子の目がきらめき、口角はあがる。
「残しといていいの?」
「ひとつだけだよ。消防署かスーパーマーケットか、工事現場か。どれかだけ。片づけるときはママも呼んでね。手伝うから」
「わかった! どれを残そうかな」
手にはパトカーを握ったまま、広い町を見渡している。
「よし、決めた! 消防署とスーパーマーケットと工事現場の車を残す! 積み木は片づけようっと」
違う違う違う……。
ため息ばかりが増えていく。
▼
買い物を終えて帰宅する道中、あの家をまた通りすぎてみた。サイドミラーに行きと同じ光景が映る。みかんの木はなかった。
自宅駐車場に雑なバックで車を収め、買い物袋を三つ、どうにか抱える。歩いた方が早いような小走りで玄関へ向かうと、足先で靴を放って袋の中身を冷蔵庫に入れていく。片づけはいまいちなくせに、この買い物後の作業は好きだ。野菜は野菜、肉は肉。仲間通しで固めて並べ、どれがどこにあるかすべて見えるように配置する。
その勢いでまた玄関を飛び出す。早くも午後二時を回っていた。三時から、息子の歯科受診の予約をしてある。そろそろ保育園へ迎えに行かなくては。
運転席から再びあの家を臨む。たんすや棚、ソファやテーブルまでもが運び出されているのを確認した。
家主の名前は、表札を見ないとわからない。けれど二年前の冬……三歳になったかならないかの息子と散歩をしているときに、あの家のおじいさんに呼び止められたことがある。
「坊や、坊や、みかんは好きか?」
がっしりした体型に丸いスキンヘッド、鼻の下だけの白いひげ。えんじ色のセーターが暖かそうで、目を細めて笑うおじいさんによく似合っていた。
人見知りの激しい坊やは固まり、返事をしない。わたしもおじいさんがいたことに気づかなかったから、反応が遅れた。
「ちょっと待ってなさい」
そう言うとおじいさんは、ちょこちょこ歩きのすり足で、ぐらぐら体を揺らし、玄関前の階段を三つのぼった。手すりを掴んだ手のひらに、身を預けながらよろよろと。
お散歩コースの景色の一部、でしかなく、この家の住民に思いを馳せたことすらなかった。出くわしたのもはじめてだった。だからもちろん、みかんが好きかどうかの話どころか、あいさつすらしたことがない。
おじいさんは一生懸命な足取りで戻ってきた。園芸用のはさみと、ビニール袋を従えて。
「そこの木、今年は鈴生りや。去年は生らなかったでな、一年おきやわ。好きなだけ持って行きゃあ」
息子とつないでいない、空いた左手に、大きなはさみが食い込んでくる。そこ、とおじいさんが指差す先に、みかんの木が一本あった。
え、とか、でも、とかよどむわたしに、おじいさんは「なかなか甘いで」と笑う。果物で一番みかんが好きな息子は、わたしの腰の位置からぼそりとささやく。ぼく、七個。
木に歩み寄る。はさみで五つ、枝から切り離す。真後ろでおじいさんが、ビニール袋を広げて待っていた。
「ありがとうございます。ごちそうさまです」
はさみを返すべく差し出すも、
「裏っ側にもあるで、生ったやつ全部採らなあかんやろが」
しごく真面目に注意された。
そこや、ほれこっちも、と言われるがままになる。ビニール袋が重たそうで、おじいさんの足の運びを思うと、転倒リスクが気がかりだった。
「たくさんいただいてしまって、すいません。ありがとうございます」
まだまだ全部とはいかないが、
「あとはまだ小さいので、もう少し育ててあげませんか」
適当な理由をつけて、今度こそはさみを返した。
「そんだけ全部食べたら、またきなさいな」
返事に困っているうちに、息子が小声で「うん」と言ってしまった。
結局甘くみずみずしいみかんを家族三人でいただいたあと、おかわりをちょうだいすることはなかった。
以前と同じくあの家は「近所の景色の一部」であり、二階のベランダの洗濯物やガレージの車の有無などは見て取れても、おじいさんも、他の誰とも会わなかった。みかんのお礼をお持ちすべきか迷ったが、家族構成や住む人の数や状況もわからず、また次もいただいたらでいいか、なんて思っていた。
一年おきに生ったり生らなかったりするのなら、今年は生る年なのではないか。でももう、切り株に姿を変えてしまった。二階のベランダには竿すらない。あんなにものを運びトラックに積むなんて、なぜ。もう誰も住まないのだろうか。おじいさんは? あの、足の具合が精一杯だったおじいさんは……二年たって、いま。高齢者にとっての「一年」の重みは知っている。認知症グループホームや、デイサービスで働いてきたのだ。
保育園から息子を引き取り、歯医者でフッ素塗布をしてもらい、帰路につく。
「あれ? ママ見て。あのお家」
乗り物マニアの息子が、いち早くダンプトラックに気づく。
「覚えてる? あのお家」
「覚えてる。小さいとき、みかんもらったよ。でもママ、みかんの木がなかった。窓もなかったよ。どうするの? お家空っぽになっちゃうじゃん」
「……本当だね。おじいさん、どこ行ったんだろね」
片づけようにも片づかない家もあれば、知らぬ間に強制的にがらんどうになってしまう家もある。ものだらけの家。避けたつもりがなにかを踏む家。どこになにを置いたか忘れる家。……長年使った生活のすべてを、取り払う家。
「おじいさん、お引っ越しするんだね。みかんも新しいお家にまた植えたんだろうね」
はっとする。息子は自分の予想を疑わない、まっすぐな瞳をしていた。
「……そうだね。また新しいお家で、甘いみかんを食べるんだね」
真相を知るすべはないけれど。
ぐちゃぐちゃの自宅の中に、早く飛び込んで安心したかった。