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息抜きしましょうよ

「本気で休みなさい」とカウンセラーに言われたのは去年の秋のことだった。最初はどういう意味なのかよくわからなかったけど、次第に自分の思考の癖、行動の癖のはしばしに「休みへの拒否」が表れることを認識した。それと同時に、本気で休むことがいかに難しいかを体感している。

正直に言う。私は一般的な「エリート」だ。都内中高一貫の女子校という温室で育ち、旧七帝のうちのひとつの大学へ行き、中堅校とはいえど学費免除で大学院留学をした。仕事はAI関連と言えるもの。

基本的に夢を見つけてはそれを叶えてきた人生だった。京都やアメリカでの生活を夢見たり、計量経済学に憧れては、進学という手段で勝ち取ってきた。親の離婚や、大学での適応障害もあったが、それらが私を止めることはなかった。

社会人になった今は、さらに手を伸ばすことのできる学問・経験・ビジネスが広がり、夢も広がった。挑戦したい問題と、その用意ができている自分がいる。私を羨む者や阻む者もいたかもしれないけれど、自分を支えてくれる多くの人に比べると非常に微細で気に留めることもなかった。

そんな私の唯一の敵は、自分自身だ。

大学に行き始めた頃から、朝がひどく苦手になった。学校に行けなくなった。そのとき認識していた理由は、学校が楽しくないから、である。誤って入った学科は自分の興味とはかけ離れており、地方からきたクラスメイトは田舎くさくて合わなかった。

そんな自分を強く責めていた。こんなんじゃだめだ。どういうつもりなんだ。そして、本当に家から出れない日が続いた。旅行もドタキャンした。

色々な打開策を練り、大学後半になるとそんな日は減って行った。気の合う仲間に出会い、打ち込める勉強もみつけ、充実感が増して行った。それでもそんな自分は消えたわけではなかった。出てくる頻度は減っても、必ず出てきては、私の予定を狂わしていった。留学後もそれは変わらなかった。

大学院を卒業するころには、うまくいく日のほうが大半で、そんな自分のことを忘れかけていた。アメリカでの就活は簡単ではなかったけれども、意外とすんなりとトップ企業のひとつから内定が出た。最終面接が5時間にわたるような企業だ。やはり自分は大丈夫なんだ、できるんだ、という実感を得たことを覚えている。

しかし、肝腎なところでまた嫌な自分が現れた。ビザの申し込みが「締切りに間に合わなかったから」という理由で却下されたのだった。

自分への不信感がずっとなかったと言えば嘘になる。小学生のときからあった。だから頑張った。頑張って成功すると、信じれる部分が増えていった。でもそうやってできた「自信」は、個別のスキルに対してのもので、自分そのものに対する自信ではなかった。

不安は常に原動力であった。できないことのある自分が受け入れられなかった。きちんとしていない自分が受け入れられなかった。朝起きれない自分が受け入れられなかった。確固とした「自信」を手にして、安心して眠りにつきたかった。

成功体験は私を圧迫した。完璧を求めた。戦士でいようとした。目標は叶えるものだった。増え続ける夢や目標に対して、時間は一定だ。動いていない時間は無駄だった。やりたいことがあって、できるなら、なぜやらない?

しかし、自分の精神はずっと前に音を上げていた。

成績がよくないと会話してくれない父と、規則的な生活習慣を美徳とする母と、その2人の離婚と、大学で無理をして作った笑顔や、付き合った男に合わせた夜など、忘れようと努めた経験は、忘れていてもなかったことにはできないのである。

その都度、実はすごくメンタルを消耗していた。休息と回復を必要としていた。前に進むことしかインプットされていない自分に、立ち止まるという選択肢はなかった。手当のされない傷残り、膿として溜まっていった。

ビザに関して、弁護士から打開策はないと聞いたとき、私は結末をすんなりと受け入れていた。帰る。そう思った。初めて選択した「戻る」道だった。

東京に戻ってからしばらくして、カウンセリングに通うことを決めた。アメリカでもう一度生活したいけれど、成功する自信を完全に消失したからだった。週に一度、50分間のセッションを2ヶ月続けてようやく経緯を説明し終えた。その後はひとつひとつの問題への向き合い方を学んだ。

そのひとつが「本気で休息すること」だった。

これは本当に難しい。頭に浮かんでくるTo doリストを無視して「疲れた」の声を優先する。最初はその声もあまり聞こえてはなかった。でも慣れてくると、次第に、今まで自分がどれだけ「〜しなければいけない」「〜した方が得だ」など本心ではないものに動かされていたかがわかる。その度に「もう疲れた」という自分の声を無視してきていたことにも気づく。

ないがしろにし続けた自分を直視して、大切にするときがきたのだった。それは初めてで、面接での応対やプレゼンテーションなんかは目を瞑ってもできるのに、休むこととなると、初めてボールを蹴る少年のようだ。すごく不器用で、ボールがすぐどこかへ行ってしまう。

しかし、向き合わずにはいられない自分でもある。これを習得した先には今までにない成功体験が待っているのかと思うと、脳の報酬系も少し我慢して付き合ってくれるみたいで。私は今日も、帰ったら長すぎる入浴をして、好きなドラマを2エピソード見て、眠りにつく。自炊もしたいけど、ちょっと疲れてるから、お惣菜で勘弁してあげよう。

しばしの休息を。

written by asumi

(一月共通テーマ:宇多田ヒカル「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」)

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