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國武悠人氏の「牛角問題論文」を読む
この記事の概要
牛角による女性限定割引の問題を取り扱った、國武悠人氏による論文が国際学術誌に掲載された。日本の男性差別問題を指摘した論文は前例がなく、途轍もなく画期的である。そこで示された「ジェンダー平等の選択的な適用」という概念は極めて有用である。
はじめに
一報の学術論文が、今、ネット上(主にX上)で大きな話題となっている。
今月(2025年1月)7日、慶應義塾大学学生の國武悠人氏によるGender-based pricing in Japan: changes in consumer perception and reputational risksという論文が、国際学術誌$${\textit{Corporate}}$$ $${\textit{Communications:}}$$ $${\textit{An}}$$ $${\textit{International}}$$ $${\textit{Journal}}$$に掲載された。日本の男性差別問題を扱った論文が国際学術誌に掲載され、しかもその著者が学部生だというのだから驚きである。
私は当初この論文の概要を紹介する記事を書こうと思って読んでいたのだが、昨日(10日)、私が書こうと思っていたのと似たものがITmedia NEWSから出てまた驚いた。
私のような弱小アカウントが紹介記事を書くまでもなく、有名ネットメディアが書く時代になった。男性差別問題がこんなに注目されるようになってきたのはすごいことだ。
そういうわけで本当は私はお役御免なのだが、折角だから少しばかり内容を紹介して、感想を述べることにしよう。
論文の概要
この論文のタイトルを日本語に訳すと、「日本における性別に基づいた価格設定:消費者意識の変化と風評リスク」となるであろう。次の7つの節から成っている(節番号は今便宜上振った)。
1. はじめに
2. 日本における女性限定割引
3. 方法
4. 女性限定割引の性質
5. 統計的な風評リスク
6. 消費者意識の変化
7. 結論
この論文は日本における女性限定割引について検討したもので、去年(2024年)の「牛角」の女性半額キャンペーンを事例として取り上げている。こうしたキャンペーンはブランドイメージ低下のリスクがあることを述べ、これが問題となったのはZ世代男性を中心として消費者の多様性や公平性に対する意識が高まっているためである可能性を論じている。
(※より詳しい概要を知りたい方は、先に挙げたITmedia NEWSの記事を読んでいただきたい。が、それよりも、國武氏はこの論文のプレプリント(査読前原稿)を公開しているので、できるかぎり多くの方に原文を読んでいただけるとよいと思う。私もプレプリントを参照した。)
感想
この論文の画期性
まず何よりも、日本における男性差別というこれまで極めて軽視されてきた重大な問題を積極的に取り上げた学術論文が国際学術誌に掲載されたということが前例のないことで、途轍もなく画期的だ。
男性差別の問題を取り上げること自体が、現代の日本社会ではタブーに近い。「ジェンダー学」はこの問題を意図的に放置してきた――どころか、意図的に男性に対する差別を悪化させることに血道を上げてきたと言っても過言ではないだろう。その中でこうした論文が世に出たことは奇跡に近い。
幸いにも、最近はネット上でこうした問題に対する不満を表明する声が増えてきた。私がこの問題を訴え始めた15年前では考えられない状況だ。が、理論を伴わない単純な不平不満は――それはそれとして決して抹殺されてはならない悲痛な声であるけれども――、社会を動かすための力としてはいかにも心許ない。差別構造それ自体に切り込むことができないで、ただその構造の受益者――もちろんここでは、そのうちの多くは女性である――に対する憎しみだけを抱いて終わるならば、無益なばかりか有害ですらありうる。
やはりそこには理論がなけばならないし、方法論や網羅性がなければならない。男性差別という社会問題に対する問題意識を学術論文というレベルにまで高めたことに大きな意義があるのだ。
この論文は、質的分析と量的分析を取り合わせて、女性限定割引問題に対する包括的な検討を行っている。「4. 女性限定割引の性質」の節では、既存の知見を網羅的に収集・整理して問題点を明らかにする、スコーピング・レビューという手法により、牛角問題に対するニュース記事や専門家による言及が検討されている。「5. 統計的な風評リスク」の節では牛角に言及したX(旧Twitter)上の投稿を分析し、女性半額キャンペーン以降に牛角に対する世間の評価が下落していることを統計的に明らかにしている。この分野の研究手法に対して詳しい検討をすることは現状の私には難しいけれども、少なくとも私の見る限りにおいては方法論的にも妥当であり、学術論文として高い水準にあると思う。
「4. 女性限定割引の性質」では、先進諸外国ではこうした割引は違法とされていること、女性に対する「慈悲的性差別」でもあること、牛角はパートナーとともに来店すれば男性が間接的に利益を得られるとしたが男性同士のカップルは割引を受けられないこと、トランスジェンダー等男女の間は厳密な線引きができず恣意的な運用が顧客の不信を招くこと、等が述べられている。
欲を言えば、「男性が間接的に利益を得られる」という牛角の言い逃れには、「男性がデート代を払うべきである」というジェンダーロールの問題があるということに対して言及が欲しかった。内閣府の「政府広報オンライン」は、「デート費用など、いつもパートナーにお金を払わせる」等の「経済的圧迫」を「DV行為の例」として挙げている。
(※「DV(配偶者や交際相手からの暴力)に悩んでいませんか。一人で悩まず、お近くの相談窓口に相談を! | 政府広報オンライン」。また、この問題についてはファレル著・久米訳(2014)『男性権力の神話』、24~25頁参照。)
「ジェンダー平等の選択的な適用」という概念
「6. 消費者意識の変化」の節では、若い男性が「ジェンダー平等の選択的な適用」に対して不満を持つようになってきており、そのことが牛角の炎上を招いたという仮説が展開される。この仮説はおそらく正しいであろう。それにしても、この「selective application of gender equality」(ジェンダー平等の選択的な適用)という概念――この表現が一つの学術的概念として提唱するつもりで導入されたのか、それともそうでないのか定かではないけれども――は言い得て妙であり、今後重要な概念として参照されつづけるであろう。この表現が気に入った人は多いようで、X上でも多くの反応を見た。
(※國武氏はX上で自ら「男女平等の…」と訳しておられるが、私は直訳的かつより適切に思われる「ジェンダー平等の…」の訳を推奨したい。一つの概念・用語に複数の訳語が並立するのは望ましいことではないけれども……。)
些細な点ではあるがやや気になったのは、“Columnist Kimura (2024) points out the existence of dissatisfaction among young men who have endured the selective application of gender equality, regarding the unprecedented criticism faced by Gyu-Kaku.”(太字は引用者)という表現は、木村氏がこの概念に言及しているように読めなくもないことである。少なくとも私は最初そう誤読した。私の読む限り、木村氏の記事にはこの概念は出てこないようである。
「ジェンダー平等の選択的な適用」という概念は重要であり、有用である。現代におけるジェンダー差別の問題に対して、一言もってこれを蔽っている。以前「男性差別が何よりも重大な問題である理由 」の記事で述べたように、ボコ・ハラムが数千人の男性を虐殺しても国際社会は意にも介さなかったが、二百数十人の少女を拉致した途端、国際社会は大騒ぎになった。男性は数千人が虐殺されているけれども、それはさておき二百数十人もの少女が拉致される一方で二百数十人の男性が拉致されるという事件は起きていないので、男性は女性と比べてボコ・ハラムによる被害を免れている(!?)ということにされてしまう。ここでもジェンダー平等が選択的に適用されているのである。
この世界で今日も続く深刻な人権蹂躙に、女性限定割引の問題は決して無縁ではない。先に指摘したように、牛角の行動原理には「男性がデート代を払うべきである」というジェンダーロールがある。ウォーレン・ファレルの言葉を引用して、この記事を終えよう。
多くの男性の目から見てデートの最も悪い面は、社会習慣によっていかにデートが男性にとって強盗のように感じさせるかである――社会習慣が彼のポケットからお金を取り出し、彼女に与え、それをデートと呼ばせる。若い男性にとって、最悪なデートは強盗され、拒否されたと感じる。少年たちは拒否されないために命を賭けようとする(例えば、軍隊に入ったり)。