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インド・チェンナイ最終日<旅…!!!>
1月中旬から、ベトナム・カンボジア・タイ・インドを旅してきました。
(インドの途中から友達と合流して2人旅!)
旅の相談を少しさせてもらった方に、私がまちを歩きながら何を思うのかが気になる と言ってもらったのが嬉しかったので、その方に向けて、とまでは言えないけれど、そんな気持ちをきっかけに、この旅の中で感じたことなどの記録を ここに残そうと思います。
道中メモしていたことをまとめて投稿します。
普段は、やってることを逐一シェアするようなのはなんか気ままさみたいなのがなくなってしまいそうでやらない派なので、少し恥ずかしさがあったりするのですが、長いし、全編を読む人はいないだろうくらいのテンションで、覚え書きとして気楽に書いています。
眠れないときとかに、ふと思い出して読んだりしてもらえたらと思います。
(ぼちぼち書いてきたこの旅行記もついに最終日まで来た…!!!)
前日から続く、仕立て屋への取り立て…。
ブラウスのお直し(というか未完状態での受け渡しになったものを最後まで完成させてもらう)と、多すぎた支払いの返金(インド人の友達が支払いすぎということを教えてくれて、電話して返金にこぎつけてくれたがいざ私がお店に行くとそんなスムーズにはいかない。でも絶対取り返しなさいよとその人に言われたので行くしかない、という状況)。
*仕立て屋との長きにわたる交渉についてはこちら*
朝、8:30に受け取りに行くねと約束していたので、そのくらいの時間に再び仕立て屋の家へ。
すぐそこなのでやはり秒で到着したものの、仕立て屋のおばさん含めて家には誰もおらず、家の前でどうしたもんだかと思いながら電話をしていたら、おじさん2人がどうしたどうしたという感じでそれとなくやってきた。
仕立て屋の電話番号は教えてもらっていたが、電話口が私だとわかるとすぐに切られた。でもそのおじさんに自分の携帯で電話してもらうとおばさんは電話に出て、数分後に家に帰ってくるとのことだった。
特に悪びれもせずに帰ってきたおばさんに対して、電話してくれたおじさんは、さすがにそれはだめ、みたいな感じで注意しているっぽかった。いろんな人がいる。
おばさんは家の中に私たちを招き入れ(もちろんその近所のおじさんも一緒)、ちょっとしぶったあとにお金とブラウスを取ってきてくれた。
インドに来て初めて、地元の人の家の中をまじまじお見ることができたので正直ラッキー、と思ってた。
たぶん私の親が住んでいる団地とおなじくらいかちょっと広いくらいの間取りの、二階建てアパート。けっこういいかんじ。つくりもかわいい。
インドは人口が多いが土地も結構十分にあるのか、生活の場があまりに密集している感じはそこまでない気がする(もちろんスラムとかは密集している)。
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キュートにちょっとひっかけてくるけどすぐ諦める人びと
やっとこの仕立て屋とのいざこざが終了し、チェックアウトするために宿に戻った。
インドではとにかく現金でも先払いをするな、ネットでカード決済なんてもってのほか、というスラッダー(インドで結婚式に招待してくれた、新婦の姉)の教え通りに、出発前に宿代を支払った。
事前に言ってた金額に追加で掃除代として100ルピーを請求されて、掃除代って聞いてないけど〜と軽く言ったらすぐにあきらめられた。
インド人はしつこい、みたいなことをよく聞く気がするけど、私が今回見てきた中では人々は結構、ちょっと言って多くもらえるなら、って感じで軽く多い金額を言ったり何かしらほんとは払う必要がないお金を請求するが、それってどういうこと?みたいなことを聞くとすぐに、なんでもないよ、とか言って諦める。
それがなんか面白い。私は、物価も違うし、絶対にぼったくられたくない という姿勢でいるのも絶対的な正解ではないよなあとか思ったりするけど、その程度の執念なんだったら絶対払いたくない、みたいな気分になる。笑
でもそれも、「お金もっとほしいならちゃんとお願いしなよ」という考えが自分にあるからこそ、とも感じて、ああ自分気持ち悪いなあとも思ったりする。
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宿にて
4日間を過ごしたティルパティを出る。
この旅もついに終わりが近づいていることを感じる。
ドーサという、豆と米粉を発酵させて焼いたトルティーヤみたいなのがある。これがとてもすきになった、なんか。
少し酸っぱいのがクセになる。
マサラドーサが特に好き(中にじゃがいもとスパイスの具みたいなのが挟まれたもの)で、ティルパティからの電車に乗る前に買った。
さわる食事
手で食べることにもかなり慣れてきた。
手で食べるのは、土、水、火、風、空の5要素を口にする、という意味があるらしい。
そういわれると、なんかとても素敵。
なんとなく親指・人差し指・中指の3つの指だけを使って食べていたけど、そう聞くと5つの指をしっかり使って食べることを意識したりする。
なんにせよ、私は手とかで何かしらを触っていると落ち着く人なので、食べてるとき、咀嚼しているときもひたすらお皿の上のものたちをずーーーっと練る(なんか小さい山みたいなのを作り、それをひっ掴んで口に運ぶ、という手順。つまりやってることは砂遊びみたいな感じ)というこっちの人たちの食べ方は、私にとってすごく都合がいい。おちつく。
今さっき呼んでいた本で、自分がこの現実に存在しているという感覚が希薄だという人が、触ること・話すことによってその現実感を感じられるからこそ、手を動かしたり人に触れたりということを他の人に比べると多くしていると思う、と言っていた。
手を使って、食べるものを指でも感じながら自分の血肉にしているというのは、インドの人々の、今を生きる というような感覚の強さに何かしら影響があるんじゃないかと思ったり。でもそれはなんか主語を大きくしすぎている。もっと緻密にいかないと。
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開けっ放しの窓から吹き込む風が気持ちいい、と言いたいところだけど、いや実際気持ちよくはあるんだけど、それと同じくらいに砂も吹き込んでくるのでなんともいえない。髪とかがすごい砂っぽくなった。
チェンナイへの電車。
出発前、電車内には物売りや物乞いがたくさん歩いている。
みんな規定の服を着ていて、認可を受けてやってるっぽい。
足が不自由な少年が電車に乗っている。
私の斜め前にいるインド人たちがお金をあげていて、自分が徹底的にその少年を無視したことの正当性みたいなものを疑う。
こういう場面、ずっと呆然としてしまう。
どうしたいのか、でいうとまあ別にお金をあげたいとは正直思っていない。
でも、するべき という使命感みたいなのから為されるしかないようなこともあるような気がして、
でも必ずしもその行為がなにかを好転させるわけでもない。
Nochikuppam 津波の被害を受けた漁師町
チェンナイに到着し、インドの鉄道といってなんとなく思い浮かぶ、イメージ通りに扉もゲートも無いやたらと長い電車に結構ぎゅうぎゅうに乗って、マリーナビーチに向かう。
マリーナビーチに面し、スマトラ沖地震の津波で被害を受けた漁師町、Nochikuppam へ。
電車の運賃は、きっぷ売り場がどうしても見つけられずに支払うことを諦めた。
ほとんどの人が無賃乗車をしているんじゃないかと思った。
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今回のインドで人に話しかけられて名前を聞かれる度に、
一緒に行ってたまりなさんは「おーマリナビーチ!!」と言われていた。つまり聖地である。
元々、数日前のチェンナイ→ティルパティの電車で近くに座った人から結婚式に誘われなければ、アジア最大のスラムといわれている ムンバイ・ダラビのスラム街ツアーに参加しようとしていた(←これについてはまあ今となってはなんともいえない)。
Nochikuppamも、ネット上ではスラム街と示されている街。
2004年のスマトラ沖地震の津波によって大きな被害があり、漁師をしていた多くの人が家を失った。
その後復興住宅として マンション型の団地(だいたい6階建てくらい?)が建てられたが、その住宅は漁師のライフスタイルには適さない且つその地域に住んでいる人々は先祖代々ずっと漁師をしてきたから、漁師以外の生き方ができず、働くことにも難しさがある…という情報をネットから得て、現地へ向かった。
私と、今回途中で合流して一緒に旅をしているありまりさんが知り合ったのも東日本大震災の津波の被害が大きい陸前高田の、漁師町だったので、そういう親近感も無くはない。
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現役で使われているものぽく、結構たくさんのおじさんたちが網の作業や舟の手入れをしていた。
結果?を言うと、過酷な雰囲気を放ってたのは結構一部で、それ以外はなんかそのスラムのすぐ真横にやたらと1つ1つが大きい個人宅の群れがあったりした。
記事に書かれていた集合住宅については、一階部分?グランドレベル?がピロティになっていて、そこで高齢者も中年くらいの人も、いろんな人が集まって椅子に座って喋っていたり、子どもたちが遊んでいたり、恐らく地域住民であろう人の結婚の報告が、高校スポーツで入賞者が出たときみたいなでかでかとしたポスターでなされていたり。
コミュニティが自然に機能してるような感じがした。
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でも総じて、結局自分が見えているのは一部でしかないし、表面でしかないなあ、と今は思う。
一番過酷そうなエリアには入れなかった、というか入らなかった。
どれだけ無神経な私でも、さすがにここに好奇の目を持って無目的に入ることは間違っている、と感じざるを得なかった。
みんな魚を売ったり、洗濯を干したり、路上でトランプしたり、生活していた。
結構にこやかに、もの珍しい侵入者である私達のことを見ていた。
一人だった旅の序盤でもずっと感じていた、ここよりも生活水準が高いとされる国で豊かな暮らしをしている私が旅をすること、そこで好奇心を持ち、生活の場をまなざすこと の意義や不快さについて、旅の最後に改めて考えた。
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沿岸のまちをあてどなく歩く。それだけでもやっぱり面白い。
その面白さを、無思考にむさぼるような生き方は違う、けどやっぱり面白い、ずっとこの葛藤を続けるのかなあ、と思った。
まちのほうから離れ、再びビーチに戻る。
ちょっとの間砂浜でぼんやりした。
ああこの人と旅できてよかったなあとか思ったりした。
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エリア一帯 妥当にマリナだらけだった。
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そこから、uberを使って鉄道の駅に行きたいけどネットが通じなかったり近くに居なかったりで、バックパックを背負いながら結局駅まで1時間弱くらい歩いた。
電車に乗ってついに空港へ。
日本入国に必要なPCR検査関連でもうほんと泣きそうな、というか普通に泣きながらいろんな問題をすり抜けた。
なんであのとき…、みたいな後悔をこの数時間で1年分くらいはした。
けど結局無事に全て挽回してラッキー。
やっぱり私は準備不足で怠惰で雑だけど、リカバーする力とそのときの根性だけはバツグンにあるわ、とかって不当に自信を抱く。
(実際はありまりさんが一緒にいたから発揮できた勇気というか粘り強さというかスリルを切り抜ける力というか、そういうのがめちゃめちゃ大きかった)
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バンコクとクアラルンプールで2回乗り継ぎ。
移動の道中でもまた、なんかこの人と旅できてよかったな~って何回か思った。というかシンプルに楽しすぎた。
前半の一人旅も、後半の二人旅も、どっちも最高におもしろく愛しくまぶしい時間だった。思い返せば。
そんな感傷もつゆ知らず、隣でありまりさんはひたすら爆睡しては数分間だけ起きてふわふわと言葉を交わしてまた即座に寝る、というのを初めから終わりまで続けていた。途中空港での乗り換えの待ち時間にも、ベンチで寝ていた。心配になる程だった。
(そうやってありまりさんがまどろんでいる間にも、私はカードをATMに吸い込まれたり新たなトラブルを順調に生み出してはどうにか乗りこなしながら過ごしていた。)
そんなこんなで約24時間をかけて無事羽田に到着。
なんて日本はストレスがないんだ、とありきたりに感動した。
虫は全然いなくて清潔だし、すべてが整っている。
それなりの愛着がやっぱりある。
一方でインドに対しての恋しさも、自分で驚くくらいにはしっかりと持っていた。
チャイとか、においとか、すぐににこにこ話しかけてくる人とか、暑さとか、いろんなものがすごく恋しい。
出ていく前にはあんなにおびえて、少し億劫にさえなっていたのに、過ごしさえすればこんなに愛着を持つことができる、ああなんて希望に満ちてるんだ、という気分で愛しきありまりさんと別れ、終電に乗ってひとり 夜の羽田空港を後にした。