〜令和6年能登豪雨について〜 石川県珠洲市に住んでいます
2024年9月21日。今年2度目の大きな自然災害が石川県を襲った。
幸い私が住んでいるエリアは比較的被害の少ないところで、私と私の家族は大きな被害はうけなかった。
雨が降り始めてからは一歩も家から出ず、普段テレビもあまり見ないので、実際にどんなことが起こっているのか知らず、その日は「雨やばいなあ」ぐらいの感じで家で過ごしていた。
そのあと、テレビをつけてニュースを見て、初めてどれだけの被害があったのかを知り、段々と、ことの重大さを理解していった。
海のようになってしまった街。流される家や車。土砂で埋まった道。潰れた家。沈んだ橋。
震災でつぶれた店をなんとか建て直し、営業を再開したばかりだったのに、今回の大雨でまた全壊してしまったひと。
家と共に流され、行方不明になっている15歳の女の子。
震災のボランティアとして活動している最中に、この大雨に襲われたひと。
やっと、これからというところだったのに。
どうしてまた、石川でなければならなかったのか。
わたしは、祖父母、それから、幼少期を過ごした珠洲のために何かできたら、という思いで珠洲に帰って来た。
そんなわたしが、「雨やばいなあ」と、呑気に家の中で過ごしていたそのすぐ側で、大雨に流され、亡くなった人たちがいる。今も、助けが来るのを必死に待っている人たちがいる。
そのことを、今も消化できずにいる。
そこにいるのに、何もできない。
自分の無力を痛感している。
そもそも、私はこれまで何をしてきたんだ。なにか一つでも珠洲のためになることをしてきたのか。帰って来ただけで偉い気になって、バカじゃないか。
どうして、震災を乗り越えて頑張っていた彼らでなければならなかったのだろうか。
どうして、未来ある少女が。
どうして、私ではなかったのか。
どうして。
どうして。
どうして。
相手は自然である。この「どうして」も、みんなの怒りも絶望も、ぶつける相手がいない。起こってしまったことを受け入れ、これからどうするかを考えていくしかない。
そして私は、まずは、自分と自分の家族が無事だったことに感謝しなくてはならない。
私に何ができるのか。
「自分に何かできる」と思う方が傲慢で愚かだとも思うが、それでも、微力でも、何か役に立てることがあるはずだ。
正直、今は募金をすることや、能登のものを購入すること、くらいしか頭に浮かんでこない。それでも、ひとつずつ、できることから始め、考えることをやめず、この問いに対する答えを探し続けたいと思う。
この記事を読んでいる皆さんも、ほんの少しでもいいから、力を貸していただけると、ありがたいと思う。地震で既にめちゃくちゃになっていたところへのあの大雨だったので、震災直後に後戻り、地域によっては震災直後よりもひどい状況になっている。
募金できるページを掲載しておきます。
令和6年9月能登半島豪雨災害 緊急支援募金(Yahoo!基金)
2024年9月能登半島豪雨被害 緊急支援(ピースウィンズ・ジャパン)
公益財団法人ほくりくみらい基金
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