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失業してから1年、アクセクしない1年。
月が替わり、手帳のページをめくったら『郵便転送期間満了日』のメモ。
実家に戻ってそろそろ1年になんるんだなぁ、あっという間だったなぁ、まさかこんな日々を送ってるなんて想像もつかなかった・・・そんな風に思っていたタイミングで、不意に、前職の上司から夜中に着信が。
なんだろう、久しぶりだな?と思い応答したら。
一緒に働いてた当時の、私からのイントラネットメールを見返したからどうしても喋りたくなったんだよね!・・・とのこと。
職を辞した私に今も時々連絡をしてくれる人タラシな(笑)上司のそんな言葉に、一気にコロナ禍の思い出が蘇る、甦る!
コロナが始まった年度に、対策最前線の部署に転勤させられて。平時なら一年間の内に10件の申し込みがあるかないかの手続きに、一日で400~600件の申し込みが殺到。職員の増員異動は一切無し、臨時バイト100人採用対応もこっち持ち、丸投げ体質の組織には絶望しかなくって。おかげさまで私の転職「願望」は「決意」になりました、そんな目まぐるしい頃のこと。
激増なんて言葉じゃなまぬるいほど、電話も窓口もパンク状態。書類の山という山のせいで、私達は作業場所も休憩場所も奪われて。
3ヵ月目くらいにやっと近隣に広い会場と書庫の一室を確保して、コロナ対策のメイン部門が引っ越すことが決まり。
多分、だいたいの引っ越し作業が終わってすぐだったんじゃないかな。
まだ慣れない自分の本来の担当業務だかなんだかであくせくアクセク頭フル回転しながら仕事してたら、部下さんが「主任、お忙しいとこちょっとすみません」って感じで私に声かけてきて。(部下にさん付けするの変かもしれないけど、ごく少人数の正規職員のもとで現場を回してるのが契約制非正規職員で、ほぼ9割が自分より年上だったからこの言い方が自分には一番しっくりくる・・・)
えー、うーん、今度はなにぃぃぃ?!と身構えながら顔をあげたら。
「さっき、すごく嬉しいことがあって!」
「うん???」
「お客さまから『場所が広いところに移ったみたいだね。いつも書類で山積みの狭いところで皆さんががんばって働いてたのを見てたから、ほんとうに、良かったですねぇ』って言ってもらえたんです! これは主任にも伝えなきゃって思って。忙しいのにすみません」
泣くかと思った。
っていうか、今でも思い出したら涙うるうるしちゃうんだけど(笑)。
泣くの必死で我慢しながら、部下さんと一緒にニコニコ笑顔になりながら「うぇぇぇなにそれ本当に嬉しいですーーー!!!あとで係長にも所長にも伝えます」的なこと言ったんじゃなかったかな。
殺伐とした地獄の中でくさくさしながら働いてたから、直接お客さんに感謝激励の言葉をもらえて嬉しいし、なにより、部下さんがそれを私に大事そうに報告してくれたのが嬉しくて嬉しくて。
そんな風に見てもらえてたなんて、絶対みんなに伝えたい!
頑張ってきて良かった、これを糧にまだ走り続けられる!
っていうかウチの部下さんもいい人すぎん?!ラブ!
だいたい声が掛かるのって、決断しなきゃいけない案件の場合ばっかだから(笑)つい身構えた反動がある分、喜びがデカい。散々流れてくるクレームに慣らされてた分、感動がデカい。
幸せな気分に浸りながらも、まぁ忙しい実務が消えてなくなるわけでは全くないのでー。その日も役付き上司たちはまともに自席にいれないし、声掛ける暇もタイミングもない。
私信みたいになるのもなんだけど、クレーム報告の逆があってもいいよねぇ?と思った私は職員メンバーにイントラネットメールを使って伝えることにした。
緊急でもないし、直接的な業務でもないし、メールの件名どうしよう空白でも紛らわしいし・・・って悩んだことは今でも覚えてる。
それから4年以上経った今、
「当時どういう決裁基準だったか確認依頼がきて、過去のメールをチェックしてたんだよ。そしたら『閑話休題』なんてタイトルがひょっこり出てきて、君らしいなぁって。しかもああいう内容だったじゃない? あの当時も泣きそうなくらい嬉しかったけど、やっぱ今でも読み返して嬉しくなったからさ」
と電話口で笑う上司。
(上層部的な他部署メンバーからの提案を私が『笑止千万』と本人目の前で切って捨て、合理的な事務処理に舵切ったことがあって・・・毎回褒めてくれるけど鉄板ネタ扱いなんだよなぁ、四字熟語。「え? なんで、実務やらない人の指示でそんな無駄な作業をこの非常時に私達がする必要があるの? 時間はいくらあっても足りないし。どー考えても非効率だよね」って純粋な気持ちで、嫌味のつもりもなく、合理性があることをフラットに主張しようとして「そんな手間も暇もかけた上に紛失リスク高めるなんて、笑止千万。この手順については予定通りでいきましょう」的なことを言っただけなんだけどなぁ~。上層部の顔潰した自覚全くナシの私www)
国民のための仕事だって思えるのが誇りだし頑張る源だよね、と改めて実感したところ。
嬉しい報告って、何年経っても何度でも幸せな気持ちにしてくれるんだなぁとしみじみ。
「半年後くらいに『今は一日200件くらいに落ち着きました』なんて報告メールを自分が送信してたんだけどさぁ、今考えたら、200でもたいぶな量だよね」
「え、うわ、確かに。でも今でも、半年以内で半分になったなら良かったって思っちゃいますね」
なんてそんな感覚マヒな話もしつつ。
上司からは「君は先見の明がある。すごくいい行政マンだったから惜しいなぁ」なんてこと言ってもらって、嬉しい気持ちいっぱいになって、当時のあれこれも思い返されて全然寝付けなかった(笑)
そんな寝付けない中。
また次の一年もきっと、想像もつかないような日々を過ごしてるんだろうなって思った。
アクセクしかしない日々なら、安定した職だろうとなんも意味ないじゃん!!!組織の運営方針も全くもって理解できないしこれ以上加担してやるもんか!!と手放す決意をして。
タイミング悩みながら、今まで関わった職場の皆さんから応援してもらい羨まれながらの退職をして。
とはいえ。
自分が長年勤務しながらどうにかしたいと思った旧態依然な社会構造の中で、どんなビジネスをやったら食べていけるというのか。初めての失業に不安も大きくあったけど、開放感がとにかく得難いものだった(笑)
無職で自由な日々をダラダラ続けすぎて、やりたいこともイマイチ言語化できず。
なまけ癖発揮しすぎてちょっと焦り始めた頃。
父の古本コレクションとコネクションをフル活用して地元の大手商業施設を使って県や市の後援つきイベントを企画運営することになって。
友人が自分も起業しようかなとタイミングよく退職したから「シェアしよう!」と誘惑し(笑)一緒に創業塾の受講申し込みをしたその日の夕方、一転したかのように何故か急な再就職のお誘いがくるし。
地方自治体で臨時職員しながら、マルシェで占い出店もやり始めて。
今まで以上に人脈も広げさせてもらっている最中。
起業しようという想いはブレてないけど、この一年の道のりは、全く想像もしていなかったアレコレでいっぱい。
だからこそ、退職して期待と不安ないまぜで実家に戻ってきたあの頃の私に胸張って言いたくなった。
やりがい搾取でアクセク働かされることを拒否したのは間違いなかったし、周りの皆様のおかげでとりあえず、どーにかこーにか楽しくやっていけてるよ!