見出し画像

『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』感想【ネタバレ有】

 こんにちは。
 好きな剣士はエスパーダとデュランダルです。

 先日『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』(以下『戦記』)を観てきました。
 ここしばらくはニチアサ映画も正直劇場で見るものと見送るものとあったりするんですが、今回色々と刺激的な前情報が多かったので観に行って損はないかなと思い、初日の最終上映15分前にふと思い立ってダッシュで観に行きました。

 個人的に映画館に映画を見に行くというのが本当に年1,2回レベルでしかなかったのですが、先頃の『シンエヴァ』に3度ほど通った経験のおかげでかなり気楽に足を運べるようになり、それも個人的に影響したのかななどと思いつつの鑑賞でした。

(『シンエヴァ』感想記事はこちら↑)

 が、実際見てみると、かなり色々な意味で唸らされることが多く……。
 元々そんなつもりはなかったんですが、このなんとも言えない感情を言語化しておきたくなり、筆、もといキーボードを執りました。

 なお、ここからは『戦記』のネタバレをまったく包み隠さず書いていきます。
 あと色々勘繰って深々と考察してる部分とかもありますが、「…でも東映だしなあ、どうせそこまでのことは考えてないんだろうなあ」まで織り込み済みでの記述ですので、そのつもりで穏和に受け止めていただければ幸いです。

 それでは。

***

S級とかあったんだ

 導入はいたってシンプルで、S級の禁書を管理するアガスティアベースの守護者アスモデウスが自らの封印を解いて離反、世界をまぜこぜにしてしまうというもの。
 そのS級禁書こそがまさにライダーと戦隊の各タイトルを冠した80冊の本であり、その中にセイバーとゼンカイジャーの本もあって…と、基盤からしてメッタメタのメタです。

 他の世界のヒーローたちも飛羽真や介人と同様に本の力で飛ばされてきていて、中には自分自身が本来ヒーローであることを忘れている者、覚えてはいるが役割に没入している者、覚えているし迷惑を被っていると不服がる者もいて、そのあたりも混沌に輪をかけていました。

 てっきりテレビのコラボスペシャルの要領がそのまま映画にも当てはまるのかと思いましたが原理や関係性は全く新しいものでした。後々ゾックスが異世界間を移動できる特性を活かして自由に姿を現すあたりは、テレビであらかじめ演出があったのが効いていたような気はしました。この能力持ってるの基本的にディケイドとツーカイザーだけですもんね。すごいな。

魔王(すっとぼけ)

 オーマジオウがなんか物腰柔らかくなってて笑いました。決まり通り今回もあらゆるゲストキャラは当時の本編とはパラレルな存在なんでしょうけど、物語世界に見事に丸め込まれて役を演じまくってる魔王の姿はなんか可愛く見えてしまった…。なんならちょっと微笑んでたし。

 この約15年間随所で感じてきたことではありますが、イマジンズの童話キャスティングへの収まり具合が絶妙。確かにリュウタが三蔵は無理がありますが、それ以外はイメージピッタリで、さすが同じお伽話由来とでも言うべきか。
 なんか電王のオーラアーマーが合着する音がちょっと違くてうーん?となりました。大集合ものだとどうしてもアーカイブを忠実にサルベージする余裕がないのかもですが、敏感なニチアサヲタクは耳についてしまうのだよ…!
 しかしでも、イマジン4人のキャストが今もなお現役で復活してくれるのは本当にすごいことだなと思いますね…。

 ジオウ登場の仕方がダセエというSNSの投稿も見かけたんですが、いやいや。少しとぼけたような、でも全てを見透かしているような、劇中でもソウゴにじわじわ芽生えていったあの得も言われぬ「魔王感」が健在ですごくよかったです。いきなりグランドジオウで一切容赦なく形勢を逆転するあたりも痛快でした(カブトがセッちゃんを奪い取って砂の上にそっと置くシーンにただならぬシュールと萌えがあった)。

 石丸謙二郎さんはなぜこの15年間姿が変わらないのだろうか?まるで老けた感じがしない…チャーハン芸も全く見劣りがない……やはり時の運行の管理者…。

 物語を結末へ導くことに対して常に疑念と不穏を抱き続ける倫太郎の存在がすごく大事だなと思いました。

杖だけどいいの?

『キュウレンジャー』のショウ司令とラプターが、前述の「忘れてる」人たちですね。ドギーも町の用心棒的な風貌ですが、こちらは変身もしてるので多分「没入」タイプかなと。「ゴッチュー」痺れたなあ…!
 おそらくこの二人も「没入」タイプかなと思いますが、シンケングリーンとキラメイブルーもオリジナルキャストで復活。シンケングリーンの鈴木勝吾さんは当時以来だから実に12年ぶりの変身。これが正直レジェンド枠では一番嬉しかったなあ。

 或人(高橋文哉さん)もバリバリの復活で嬉しかった。ギャグがめちゃくちゃパワーアップしてました。あくまでパワーアップであり、グレードアップではないわけですが…。そしてトレードマークのビビッドなパーカーをどんなファッションにも合わせていく衣装力が本当に見事……スーツの時点で「それ大丈夫!?」って感じだったのに。
 普通にライジングホッパーだったので、やはりパラレルか、完結前の時間軸か。とにかく久しぶりの変身を見られるだけでも嬉しかったですね。

 かつ、「謎の少年」として告知されていた鈴木福さん(福さんってなんかね)、その役名が明かされたとき、ほ〜〜ん、と思いました。ペンをかざして敵の動きを封じたり、描いてる絵のタッチも石ノ森テイストの首ずんぐりな感じで、やはりそうきたか、と思いつつも、その先の不穏さも匂い立ち…。
 でも特撮ファンとしてはかなりプレッシャーな役どころですよね。よくやり切ったなあと思います。

物語の結末は誰が決める

 やがてアスモデウスの目的が判明。とかく戦ってはみるものの、ここで倫太郎の抱えていた不安の正体が分かるわけですが、まさしくセイバーたちの物語はアスモデウスによって握られていたと。
 自分たちが物語のキャラクターでしかないと察知し戸惑う話はかつての『平成ジェネレーションズFOREVER』(以下『平ジェネFE』)でも描かれていたわけですが、『平ジェネFE』がテレビドラマかつ商業コンテンツとしてのヒーローだったのに対し、今作はまさに物語、歴史、足跡としてのヒーローというまた別の面からのアプローチだったんだなと思うと、似たようなテーマにも見えつつ『平ジェネFE』では触れられなかった部分に触れている感じがして良いなあと思いました。
 もっとシンプルな大集合もので、少しメタ要素が散りばめてある程度かなと思っていただけに、「あらかじめ結末を定められている"この"物語」と「それに抗えず筋書き通り消えていくヒーローの姿」、その意外性に殴られて気持ち良かったです。

 危機感を抱いていたはずの倫太郎までもが流れるようにブレイズに変身して戦いに身を投じていったのも、そのシナリオに定められていたからなのかなと勝手に思っています。やがて物語が終焉を迎えた時のあの絶望感は近年稀に見るもので、おお〜やってくれてんな〜とソワソワしながら見ていました。

ヒーロー裁判

 個人的にこの映画のピークポイントは後半部分でした。
 横田真悠さん扮する女性と、どの物語世界にも唯一姿を見せなかった賢人によって描かれるifの世界。その答えは、空想する分には気軽でしたが、ああして映像化されてしまうと居た堪れない気持ちになりました。
 「戦争や殺人が悪ならヒーローの戦いも同じこと、そんなヒーローなら描きたくない」と顔を背ける少年に飛羽真が説いたのは「正義でも悪でもある、それって人間じゃないか」ということ。石ノ森章太郎は勧善懲悪ではなく、あくまでそんなリアルな「人間」を描きたかった。そして自分の物語が自らのなき後も連綿と受け継がれていく、そんな作品を生み出したかったという話を、まさか自らが作り出したキャラクターの側からされるとは……。

 ただ、時とともに不可逆的に、そして不可抗力的にどうしても薄れゆく石ノ森章太郎のイズムを再定義することで原点を大切にしつつも、それは「今こんな突飛なヒーローばっかり作ってるけど、それは石ノ森イズムをちゃんと踏襲した上で作ってるから問題ないんだよ〜」と印籠を掲げているようなニュアンスも、勝手ながら感じてしまったのが正直なとこです。
 過激な言い方をしてしまうと、「こんな派手でCG満載でお笑いばっかりの、バッタのかけらもなくキックもせずバイクも乗らないライダーじゃ石ノ森章太郎が泣く」とか「10人も15人もいる戦隊とか、海賊だの怪盗だの犯罪やってる戦隊とか、リーダーが赤くない戦隊とか石ノ森章太郎が知ったら悲しむな」とか言ってくる、従来のファンの中の反対派や外野の人々に対して「これも石ノ森イズムの延長上だよ」と釈明するための映画のようにも、場合によっては見えてしまう危険があると思うんです。
 これをしっかり叩き込まれた後だからこそ、「リバイス」のデザインや雰囲気を見せられても、頭ごなしに「石ノ森先生に謝れ」とは言えなくなってしまうし。これまでの49年間を次のド派手な50年目のための免罪符に使ってる、という指摘が聞こえても、そう考える人がいてもまあ……となってしまう。

 そもそもこの映画が近年何本か作られてきた「スーパーヒーロー大戦シリーズ」のひとつの終わりと銘打たれている企画なので、このタイミングで全ての原点に立ち戻って掘り下げることはとても意味のあることだし、石ノ森ヒーローのあり方を再定義し、今日まで続いてきたヒーローの歴史を全て抱きしめてエネルギーにしたこと、『平ジェネFE』とまた異なるアプローチで「フィクション」との戦いを表現したこと自体は、僕の中でもものすごく評価の高い点でした。それはヒーローうんぬんというより、表現技法というか、映像作品、シリーズドラマとしての粋だったように思います。

 ではヒーローとして、物心ついた時から続いているひとつのコンテンツの歴史の集大成としてどうかと考えた時、ちょっとやっぱ僕、東映に丸め込まれようとしてんのかな、と感じてしまった瞬間はどうしてもあって。
 逆に言うと、わざわざそんなことしなくても、別にヒーローは僕にとって絶対ヒーローなんですよ。ゴーゴーファイブは僕に初めてヒーローの生き様を見せてくれた今なお最強の五兄妹だし、誰かにライダーをひとつ勧めてと言われたらダブルを選ぶ。どちらも「ゴーグルから役者が顔出しするなんて安全面やスケジュール的に無茶だ」とか「半分こヒーローなんてダサい」とか色々言う人がいてもなお、僕にとってはそういうメモリアルかつクラシカルなヒーローになったわけだし。
 ただまあそりゃあ人間だし、ソリの合わなかったヒーローも正直いました。今でもウィザードは他のライダーに比べるとどうしてもそれほど熱烈には愛せていないし、リュウソウジャーは最初の数話で見るのをやめてしまったっきりだし。でも彼らも、誰かにとっては、僕にとってのダブルやゴーゴーファイブみたいな特別な存在かもしれないと思うから、認めないとか嫌いとかは一切ないし、いつかはちゃんと向き合いたいんです。

 たまにある話ですけど、ヒーロー役だった俳優さんがあとから問題を起こしたりしても、ヒーローそのものに罪はない。ヒーローの物語が自分の中で輝く限りは、そのヒーローは僕にとって死なないわけで。
 ……少し話が逸れましたね。長くなってしまったけど、つまりはそんな「伝説を継ぐ」ようにも「免罪符を掲げる」ようにも取れてしまいかねないそうした一連のやり取りに、僕の気持ちは完全燃焼しきらなかった、という話でした。

 それはそれとして、彼らが一緒になって「物語を書き直す」シーンはちょっとじんわりきました。歴史のゼロ地点にいる現実の漫画家と、最先端にいる架空の小説家。造物主と、その造物。二人のシルエットに様々な意味合いがオーバーラップし、釘付けになっていた自分がいました。
 そしてそれはすなわち平和なifの世界との別れでもあるわけで。その選択を賢人たちが受け入れる「約束」のシーンには完全にやられてしまっていました。

 書いていませんでしたが、冒頭で飛羽真はスランプに陥っており、物語世界の神たる作者がキャラクターたちを苦しめることは神として・剣士として如何なものかと頭を抱えていました。その葛藤がこのシーンに繋がってきたのも、セイバーという作品ならではの繋げ方だなあと、セイバーの年だから作れた映画だなあと素直に思います。

 惜しむらくは合成のぎこちなさ…。
 約9分にわたる長回し、キャストにとっても監督にとってもかなりの挑戦だったようでしたし見応えのあるお芝居でしたが…
 キャストは回しっぱなしである一方場面は次々移り変わる都合上、すべての場面をひとつづきにグリーンバックで撮ってるみたいなんですが、その背景の合成が最初から最後までぎこちなくて。
 これ、わざとだったりするのかなあとも思ってはいて、その背景のバランスの悪さが「セイバー」でもよく出てくる立体絵本的な「仕掛け」の一環としてあえて醸し出してるものとも捉えることは可能っちゃ可能だなあと。そう思えたら僕が楽なだけで、実際どうなのかわからないですけどね。

決戦はいつも

 あらゆる世界の怪人達(ヨドン皇帝とかガンマイザーとか冷静に見るとなかなかやばい面々)を前に現れる、1号とアカレンジャー。二人が本人ボイスというのは本当に嬉しい。(ここも「初代キャストのお墨付きだよ」という、先の話で言うところの「印籠」みたいにも見えてしまったりしたわけですが……まあ、この話はもういいでしょう。)

 その二人からヒーローの歴史が続いてきたことはわかるんだけど、アカレンジャーが「スーパー戦隊シリーズ」とか「45作品」とかしっかりメタい言い回ししちゃってる感じがなんか宣伝大使みたいで笑っちゃいました。それもまあ、45冊の禁書という前提の設定があるから理屈としては通らないことはないし、戦隊自体そういうとこかなりルーズというかフランクなので構わないんですが。

 変身と名乗りのパートが熱かった。
 名乗りは「まさか」だったし、もれなくかっこよくて嬉しかったなあ。なかなか聞きそうで聞いてこなかったフレーズ満載。特に平成では「個」の強さこそがライダーのコンテンツ力みたいな部分もあり、みんなで力を合わせるってのがどうも一筋縄にいかない感じだったんですが、ソードオブロゴスという集団で協力して戦うことが前提のライダーたちによってそれが自然と可能になったような気がします。
 セイバー本編も途中少し混沌としましたが、最初の頃に感じてた魅力ってまさにそういうところで。無意識的に見たいと思っていたものを不意に見せてもらえたような新鮮味がありました。

 そして始まる戦いですが、ここが正直言うとウ〜〜〜〜〜〜ンという感じでした。個人的にはね!
 特に言いたいのは「番組ロゴ本当に欲しかった??」ということと「決め台詞言わしときゃいいと思うなよ」ということ、さらに贅沢を言えば「オリキャスじゃなくてもいいから、鑑賞に支障のない程度には声の雰囲気を意識して配役する努力はして欲しかった」ですかね……。何でもかんでも「パラレルな存在だから」で差異を飲み込めるほどファンも物分かりよくないんですよ…(すべて個人の所見です)。
 石ノ森章太郎先生だけじゃなく、その時々でその番組を作り上げたオリジナルへのリスペクトも忘れないでほしいんです。それってこういうところに顕れてくるものなんじゃないでしょうか。

 ただ昔のロボの演出はすごく秀逸なんですよ。ステ振りどないなっとん……。
 バリドリーンとセッちゃん……ついに出会ってしまったね……。

 もう文句ばっか言ってても仕方ないんですけど、アスモデウスの部位破壊が簡単すぎたのと、最後のリンチ感がちょっとかわいそうでした。大集合ものはだいたい最後に大きなひとつの巨悪VS集結した大所帯ヒーローとの果たし合いという構図になりがちなので、どうしても袋叩き的な倒し方になってしまう場合も少なくないのは確かなんです。それくらいしかやりようもないんですけどね。

本郷猛

 本郷が、というか藤岡さんが、芝居とか役者とかそういうのを飛び越えて、彼と対面するのが本当に感無量そうで、なんかそこもグッときました。「お会いしたかった」、その言葉が藤岡さんの本音のようにも聞こえて。いや、ある意味本音ではあると思いますが。

 トータルバランスで言うと、どちらかというとどうしてもライダー寄りな感じにはなってしまってましたね。セイバー・スーパーヒーロー戦記(フォーム)の演出や仕組みといい、飛羽真と比べての介人の出番のバランスといい、アカレンジャーの出番の数や客演のしかたといい、最後の別れのシーンもアカレンジャーは不在で。
 ライダーの方が先に始まったとか、物語を編むというテーマ性に対し「セイバー」の説得力を必要としていたとか色々理由はあるわけですし、ここは僕は納得していますが。

戦いを終えて

 色々文句も言いましたが、これはもう数年前から東映特撮映画にはよく散見されていた不満だったりもして。
 それを除けば、トータル的には観に行って良かったと思える映画でした。
 何度もになってしまいますが、やっぱり今までしたことのなかったアプローチと切り口、巨大なテーマに対してひとつの回答例を提示した、アニバーサリーならではの意義のある作品になったと思います。
 ただ冒頭で「映画が始まるぜ!」と言っていたほど低年齢層向けかというとどちらかといったらドメタだったので、そのへんは理解の難しいところもかなり多い部類に入る作品かもしれません。 

 入場者特典、三枚一組のカードのうちの真ん中が当たったんですけど、第二弾はリバイスのガイドブックらしいじゃないですか……なんでだよ……!カードなんかもらってもどうしようもないよ!そっちくれよ!!と大人気なくも思ってしまいました…。

風呂と家族と悪魔とスタンプ

 細かいことはまだわからないことが多いのであえてここでは触れず、単純な鑑賞体験としての感想を述べますと、正直ちょっと疲れました。
 木村昴さん演じる仮面ライダーバイスのテンションがとにかくずっと高くて、正直耳キーンなるわ状態でした…。
 ただ、度肝を抜くようなデザインも正統派からは外れるかもしれないけど、そのアウトローさや革新性が、50周年を節目に世界展開を視野に入れてるライダーシリーズにとっては相性のいい雰囲気かもしれないですね。視聴者層的にも、新しい人に刺さるエッセンスを持っている気がします。ただこれはヒーローとか戦いの範囲の話で、実際ストーリーのほうは「家族」をテーマに据えたもののようなので逆にほっこり系かも。社長、騎士団(?)ときて、令和3作目は家族。孤独な平成ライダーとの差別化をあえて図っているのかはわかりませんが、個人的にはこれはこれで良い傾向かもと思ってます。
 それでいて、アニバーサリー的要素もちゃんと持っていて。動物をモチーフにしてるようですが、それぞれ一見なんの関係もなさそうなレジェンドライダーが意匠として取り込まれていて、そうくるか〜と思いました。どうもレジェンドライダーの存在を認知してはいないようで、こういう絡み方は初めてのパターンなので少し期待しています。どっちかというとウルトラマン的というか。

 ……今回はあくまでも『戦記』の感想なので、このくらいに。

まとめ

 東映のことですし(白倉Pの言うことですし)、本当にこれっきりアッセンブルものを作らないのかというと正直怪しいなとも思いますが……。
 ここで締めても遜色ないというか、堂々たる、しっかりとしたケジメの映画にはなっていたと思います。前述のとおりの魅力があったのは確かなことだし、そういう意味での読後感は爽やかなものでした。

 50年という大きな節目、すでに大きな仕掛けがいくつも動いていたので、きっと新しい映画シリーズというのも始動していくことでしょう。
 MOVIE大戦シリーズやスーパーヒーロー大戦シリーズは間違いなく、ニチアサ映画史の一時代を築いたプロジェクトだったと思います。改めて、感謝を伝えたいです。

 どうしてもヒーローが売り物的な扱いをされていることが露骨に垣間見えてしまう瞬間もあるし(白倉PのTwitterとかね)、そのへんはこれからも一揉め二揉めあるんでしょうけど、キャスト・スタッフ陣にたぎる熱量は本物だと、関連メディアやインタビューなどからは窺い知れます。

 賛否もあるし、僕も全てのヒーローを好きになれるわけではきっとないですが、これからまたもうしばらく、日曜の朝は彼らにお世話になるのかなあ、と思います。

 ひとまず、9月からの「リバイス」も、楽しみに待ってみます!


*** 関連記事 ***

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?