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毒親に何度も殺された私。

こんばんは。小鳥遊りあです。
今日も1日お疲れ様です。
この記事を見て下さり、ありがとうございます。

今日は、私を今まで苦しめてきた

"毒親"

について話したいと思います。

昔から私の母は口調がキツいことが多かったし、母方と父方、両方の祖母と母は折り合いが悪かったんです。ですから、小さい頃から他人の容姿に関する悪口や、親戚の悪口、父親の悪口を聞かされるのは日常茶飯事でした。

ですが、その対象が"私"に変わったのが小学2年生の頃でした。いつも通り母親とお風呂に入っていた時、いきなり「何でそんなに腹出てるの?笑 めっちゃ太ってるじゃん!笑 やば!笑」と言われ、当時の私の頭の中は真っ白でした。それでも、必死に泣いて叫んで、嫌だと伝えたのにエスカレートするばかりでした。今考えてみたら、煽っている相手に泣き叫ぶなんて、火に油を注ぐようなものですよね。でも、小学生だった私にはそんな考えにも至らなくて、ただ目の前で起きたことを処理することに必死でした。その日を境に母親は私に毎日八つ当たりをするかのように暴言を繰り返すようになりました。

また、同級生より少し賢かった当時の私は、毎日ドラえもん× Z会の共同開発パズルや、頭が賢くなるナンプレ等をこなしていました。ですが、私は理系が極端に苦手だったため問題が解けないこともしばしば。解けないと、「何で解く努力すら出来ないの?使えない奴。」と言われていました。
酷い時には、「何でこんなのも分からないの!?」と叫んだ後、ボールペンの先を目に向けて投げられるほどでした。幸い、目の中には刺さらなかったものの、涙袋にかすり、未だに傷は残っています。ですが、体の傷よりも心の傷が深かったのか、痛みは感じませんでした。ただただ強い恐怖感に支配されていました。

(このままこの人と居たら、いつか殺されるのではないか?)

いつからか、このように考えることが日に日に増えていきました。そのため、母親の機嫌が良い時には、
(ああ、私は今日何処か遠くの場所に連れていかれて、そのまま捨てられるんだ)
と思うようになっていきました。

そこから12年間毎日言われた暴言は次のようなものでした。

「ふざけるのは顔だけにして。」「豚よりも醜い」「なんでこんな風に育ったんだろう。こんな風になるように教えた覚えは無い。」「あんたがそばに居ることが1番のストレスなんだよね。」「全くストレス感じなさそうで羨ましい。」

ですが、親子と言うのは憎いもので、いくら嫌いになるきっかけがあっても、嫌うことが出来ないんです。親から子への無償の愛は注がれなくとも、子から親に対する無償の愛は必ず注がれます。

(嫌いになりたかった相手なのになれない。どうして私がこんな目に逢うの?何処で自分は間違えてしまったのだろう。)

こんなことを毎日考えていれば辿り着く対処方法は1つ。自分を痛め付けることです。自傷行為が始まったのは中学3年生の頃でした。毎日狂うようにリストカットをしていました。3年経った今でもしてしまいます。周りの友達が大人になっていく中、自分だけが「お母さん置いてかないで。私を愛して。抱きしめて。褒めて。」と子供のように泣き叫んで、苦しんでいました。とても辛かったです。

この苦しみが12年間続いたせいで、私は17歳の時にパニック障害と診断され、また、自殺未遂を2回行い、精神科で医療保護入院生活を送りました。この事は次の記事で書きたいと思います。

私が自殺未遂をした大きな理由のひとつとして、
"これだけ苦しんでいる気持ちに気付かれたい"
という思いが強くありました。

私が今日1番伝えたいことは、
【人は、自分を苦しめてきた人に対して、その罪を、苦しさを自覚させようとする傾向がある】
ということです。

                         自分が無駄に死ぬ
                                        or
              相手に復讐をして悪い結果を招く

なら、それをせずに苦しみを解放する術を持っていた方が🉐だと思いませんか?
これからの投稿では、どうしようもなく辛い時に自分を大切にできる対処法を幾つか紹介していきたいと思っています。

もし、ここまで読んでくださった方が居るのであれば、そんな貴方に幸せが訪れるよう心から祈らせて下さい。

長々と支離滅裂な文章を読んでくださりありがとうございます。また続きを更新します。

𝐍𝐞𝐱𝐭▷▶▷ 自殺未遂と入院生活

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