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過去のサイズ ~それは心が決めた記憶~

半径50メートルの舞台。
例え檻に閉じ込められたような人生であったとしても、
そのステージは自分が思うより広く深い。
だから、どんな人でも作品が書ける。
そんなメッセージを伝えたくてメルマガを書き始めたのが2002年の冬だった。

1993年、24歳の9月にライターという職業を始めてから、
いろんな人にこう言われるようになった。

「文章を書ける人がうらやましい」
「私も書けたらいいのに」
「私なんて書くことが何もないから」
「書きたいけど何を書いていいのかまったく思いつかなくて」

そんなことない。
絶対にそんなことないよ、絶対に書けるよ。
誰にでも書けるよ。
書くって楽しいよ。

そう伝えたくてたまらなくて、気持ちがパンパンにふくらんで
メルマガを始めた。
5年間続けた。
週末に1本ずつ、短いエッセイを届ける。
その舞台は自分の半径50メートル以内。

こんなに身近にエッセイの材料がある。
自分のことでも、いま隣にいる人のことでも、さっきすれ違ったワンコちゃんのことでも。
自分の中の心のことでも。
なんでも文章になるから。
あなたも書いてみて。

それがテーマだった。

あの時、誰か書いてくれたかな。
文章を書くのって難しくないんだって、そう思ってくれたかな。

20年ぶりに読み返したらけっこうマジメに書いてあった。
ちょうどタイムリーな内容のものがあったので載せてみる。

o ・・* o ・・* o ・・* o ・・* o ・・* o ・・* o ・・* o

   
●●●  過去に逢う選挙  ●●●

2003年 11月 9日 42号

 投票会場は、かつて6年間通った小学校。
卒業以来、ここに足を踏み入れたことはなかった。

 選挙の時だけ門をくぐれる。
何も変わらず、いや少しきれいな建物が増えて、
当時よりも小さくなって小学校は佇んでいる。

 私が大きくなったのだ。学校が縮んだわけではない。
でも確かに何もかもが小さくなって、かつての学校がそこにあった。

 選挙のついでに小学校の中庭をクルリと歩いてみると、
ふいに不思議な感覚に襲われた。

「あ、ここだったのか……」

 デジャヴのようなこの感覚はなんだろう。
そうだ、最近の夢によく登場する、広い広いあの庭だ。

 どこかで出逢ったような、懐かしいような、でも知らない場所のような。
昼休みの「じゃこっぱ」で笑いあったこと、
鉄棒で口ゲンカになった苦さ、
少しズルをした運動会、
友達においていかれた放課後の孤独感。
そんなものが渦巻いている、あの夢。

 その広い庭がミニサイズになって目の前にあった。
こんなに小さかったなんて。衝撃だった。

 私もけっこう生きてきたんだな。
ここがこんなに小さくなるまで。
両手で包み込めるほど、やわらかくなるまで。

 自分の中に入ってきた、あらゆるものは、
自分で決めた大きさになって心に住んでいる。
そのサイズを自分で決めたと、人は気付かないまま生きている。
いつの日か、それらが意識の中から消えていても、
思い出というファイルは自分の棚にそっと存在し続けている。

 そして時に、いろんな形になって現れ出たりもする。
夢だったり、楽しい記憶だったり、心を圧迫する重しだったり。

 自分の中で息づく過去を、たまには探しに行ってあげよう。
楽しさが蘇るかもしれないし、
苦しみから解放されるかもしれない。
そしてその苦しみは、思ったより小さいかもしれない。

           

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次の日曜日は投票日。
行きましょうね。という思いを込めてこの回をピックアップ。

書く材料がない人生なんて絶対にない。
これだけは断言できる。


2024年10月23日  りろ



もっと連続でnoteを更新したいと思っているのに
執筆仕事が想定外に増えて時間がどんどん過ぎてしまいます。
なのでちょっと過去の自分に手伝ってもらいました。
ちょこっといじったけど。

でも!
noteを始めてたった数日で、夢のようなご縁をいただけました!
嬉しくてドキドキしちゃってます♪
がんばるーーー

書くのって楽しいですよね。



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りろ◆京町家の女将
全国各地の魅力を伝えると同時に、より良い京都の町づくりに貢献できればと思っています。よろしければ応援、サポートをどうぞよろしくお願いいたします。