めぐ、めげる。めいだ、めげた。時々、めがす。【#方言note】
こんばんは、りおてです。
画像は、かの有名な《サモトラケのニケ》です。ルーブル美術館で撮影しました。本記事とは一切関係ありません。
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「あ〜っ、せこっ。せこいわぁ」
グラウンドの代わりに、学校の敷地内にある池の周りを走った後、私はついぽろっと言うてしまう。周りのぎょっとした視線がこっちを向く。
「何言ゆうが?何がせこいがよ?」
私はあっ、と気づく。
「いやいや、これは阿波弁で“息が苦しい”って意味ながちや。別にケチとかそう言う意味やないき」
慌てて土佐弁で返したら、その子は興味失くしたみたいにふいと遠くを見た。こじゃんと高い空に、とんびが一羽飛びよった。
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私は高知生まれ徳島育ちながやけど、中学からはまた高知で寮生活しよったがって。やき、阿波弁も土佐弁も喋れるがちや。けど、単語だけは厄介で、語尾とかイントネーションは3日で習得できても、阿波弁で「せこい」って言うんをわざわざ「息苦しいわぁ」とは言えんかったし、逆に、寒い時に咄嗟に土佐弁の「ひやい」が出ることもなかったがよ。
ちなみに今この文章は土佐弁で打ちゆうけど、阿波弁に変えると途端に関西弁にちこなるき、見ちょってや。以下太字は阿波弁やきね。
「私は高知生まれ徳島育ちなんやけど、中学からはまた高知で寮生活しよったけん、阿波弁も土佐弁も喋れるんよ。ほなけどな、単語だけは厄介で、語尾とかイントネーションは3日で習得できても、阿波弁で「せこい」って言うんをわざわざ「息苦しいわぁ」とは言えんかったし、逆に寒い時に咄嗟に土佐弁の「ひやい」が出ることもなかったんよ。」
やんだ変われへんだろか?(註:そんなに変わらないだろうか?)
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もっかい土佐弁に戻すき、頑張ってついてきてや。土佐弁ちいうたら、やっぱり坂本龍馬のイメージが強いかもしれんがやけど、今の高知県人は「〜ぜよ」とか言わんがよ。これ高知県人の地雷やき、まちごうても「高知の人?ぜよとか言うんでしょ?笑」とか言うたらいかんきね。代わりに、私が中学の先生に教えて貰ったんは、「高知県人の会話は猫と鼠の喧嘩」ち言われちゅうってこと。確かに語尾ににゃあとかちゅうとかつけがちながは認めざるを得んわにゃあ……。因みにその先生はこってこての土佐弁遣いで、何せあの「いっちきちもんちきち(註:行ってきて帰ってきて)」を素で使う御仁やったがよ。おんしゃあじじばばかえっちう(註:お前はじじばばかという)レベルの方言ちや。ともかく私の土佐弁はその先生譲りな所があって、お陰で生まれは宿毛やのに幡多弁やのうて土佐弁、しかもこてこての土佐弁を喋る始末になってしもたがよね。しかし久々の土佐弁、えいにゃあ(註:いいなぁ)。
閑話休題。
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おもっしょなってきた(註:面白くなってきた)けん、次は阿波弁でいってみよか。冒頭の話に戻るじょ?
単語は厄介っていうんは、要するに単語って方言の煮凝りみたいなもんというか、イントネーションとか語尾変化以上に、「方言らしさ」が詰まったもんやってことやと思うんよね。
ほなって、徳島以外の人、絶対『めぐ』(註:壊す)の活用形わからんだろ?語尾に「〜やけん」とかついても、まぁ「〜だから」って意味かなってなんとなく想像つくと思うけど、『めぐ』なんて突然言われたら、そもそも何の品詞かもわからんと思う。私が県外の人間やったらわからん自信ある。ちなみに『めぐ』の活用形『めげる』は、土佐弁で言うとこの『ちゃがまる』。もうなんのこっちゃわからん。
あかんまた脱線しかけた。方言やとつい余計な話しそうになるんは何でなんやろね。
閑話休題。
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とにかく、私はそんな方言の煮凝りが好きなんよ。なんか日本語やのに日本語ちゃうみたいで、おもっしょいやん。
ほなけん、この企画で色んな人の出してくれる方言の煮凝りをようけ見れて、私はむっちゃ嬉しい。これまで徳島と高知と京都、それぞれ9年ずつぐらい住んできたけど、ほんだけ住んどってもやっぱり知らん方言って出てくるし、ましてや他の地域の方言なんて全然知らん。知らん言葉で喋ると、よう知っとう人でもなんか別人みたいで、ちょっとこそばぁて、また新しい一面を知れたなぁって嬉しなる。
「方言は言葉につけたアクセサリー…(中略)…それにはあなたがそこで育ったという、大切なメッセージが刻み込まれているんだから」
って、哀ちゃんも言よったけんな!(標準語を身体とするという政治的な話は今は置いといて…)(私は煮凝りとか言うとんのに、アクセサリーとかお洒落な例えずっこいわぁ)
みなさんもお手元の煮凝り、もといアクセサリー、もっと見してくださいね。
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こちらの企画に参加させて頂きました。