見出し画像

はじめまして、わたしのnoteを開いていただきありがとうございます。

りっきーと申します。

2024年現在、大手製造業に勤務中ですが、自己理解&コーチングに出会い、今年中に退職し独立し活動をしていきます。
ここ数か月で自分自身の人生を振り返ったので、せっかくの機会に書きなぐります!長いので流し読みしていただければ幸いです。

今回は小学生までを振り返ります。ではどうぞ!




1. 幼年期

1-1. コンプレックスと複雑な家庭環境

福岡生まれ、四人兄弟の三番目。弟が9歳離れているので、末っ子として長く育てられた。

物心ついた頃から両親の関係が良くない。祖父母(父方)とも一緒に暮らしていたが、かわいがってはもらっていたけど、とても気を遣わないといけない感じ。”祖父母と父側”、そして”母と子ども側”で家が二分されており窮屈感があった。
父は厳しいというよりも高圧的で自分を大きく見せるために他人を小馬鹿にしたり見下したりする傾向があったように思う。毎晩、父の車が帰ってくる音が聞こえると、ビクッとなる感覚を覚えている。
母は気弱。大人の味方は周りにいないので自分自身の環境を常に憂いでいたし、子どもに愚痴をよくこぼしていた。

小さい頃から容姿(顔)がコンプレックス。父親や、父の会社の人に会ったときに「サルみたい!」と言われ、いじられるのが本当に嫌で仕方なかった。人に顔を見られるのが恥ずかしいという感情を覚える。

1-2. 借金

少し大きくなると、どうやら家が分断されている要因がお金であることがわかってくる。母の借金。どうやら生活費が足りなくて、母は父にお金が足りないことを言えず生活費のためにお金を金融機関で借りてしまったのがきっかけのよう。
あとはテレビなどでよく見るような感じ。返せないから別のところで借りてさらに借金。その借金を返せないから、また別で借りて…の繰り返しで闇金にまで手を出しどんどん大きくなって・・・という流れだと理解している。最後は数千万ぐらい?あまり正確なことは知らない。
父は大手家電メーカーに勤めていて、最低限の収入はあったはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。祖父が年金を払っておらず、無収入だったことも一因かも。
栄養が足りてないのか、6歳で12kgしかなかった模様。自分の子どもが2歳で12kgあってそれでも小さい方だったのでなかなか。

小さいときから、夜な夜な家族会議が行われていて、父親が怒鳴ったり、暴力で母が怪我をしたりすることもあった。劣悪。

コラム①
当時好きだったこと
・絵を書いたり物語を創作したりすること。
 ひたすら画用紙やチラシの裏紙に絵を書いていた。今思うと一人でやることがなかったのかもしれない。
・走ること。
 当時はかけっこで一番だったので、とにかく自分が勝てることが楽しかった。
当時怖かったもの
・父親、祖父母、叔母(父の妹)

2. 小学生

2-1. 弟の誕生

小学校3年で弟が生まれる。
上記の流れを考えると“こどもができる“という事実に違和感がある…。当時はあまりよくわかってなかったし何より生まれてきた弟が可愛くて仕方なかったし、嬉しくてたまらなかった。
ただ弟は父・祖父母から歓迎されておらず、なぜか弟は母と寝室で食事をとっていた。リビングなどにあまりいちゃいけない感じ。赤ちゃんがのけ者にされる家。
また、母親が夜勤の工場に働きに出ていない時期があって、父は夜中に弟が泣いていてもあやさないので、家の階段で弟が寝るまで私が抱っこしていたこともある。赤ちゃんって大人になっても長時間抱っこするの大変なので、今思うと小学生がそれをやるってすごいなと自分でも思う。子どもながら弟が不憫と言うか、今後の人生を憂いで泣いて私自身も泣きながら弟をあやしていた記憶。

2-2. 借金の取り立て と 服装

ある日、怖い人が家に来た。いわゆる取り立て。生きた心地がしなかった。玄関の中まで入って来て絶望しか感じない。どうやってその場を収めたのか覚えてない。以後も学校から帰って遊びに行こうとすると、怖そうなおじさんが家の周りをうろうろしていたこともある。

家が貧乏なので服装がみすぼらしかった。服は基本お下がり。服が無いため半袖半ズボンで真冬も過ごし、敢えて『冬でも半袖キャラ』を演じた。なんとか周りに貧乏がばれないように必死。ただ5年生の時に、大雪の日で家に帰ると玄関の鍵が開いてない。中に祖父母がいるはずなのに、インターホン押しても誰も気づいてくれなくて凍え死にそうになる(後で祖母が気づいてくれて中に入れた)。その日から冬の半袖を辞めて、ユニクロで700円の薄手のシャツを買ってもらった。

2-3. コンプレックスは増すばかり!

小学生の高学年になるにつれ、友達からも猿とかゴリラとか、顔をいじられることもあった(多分、お互い様でいじめられるようなものではなかったけど)。元々の容姿へのコンプレックスに加え、みすぼらしい服装が外見へのコンプレックスに拍車をかける。今でも覚えているのが小学校4年生ぐらいの秋。トンボが飛び交っている学校の帰り道で、トンボが顔に当たらないように下を向きながら歩いていたとき、「そうだ!人に見られないように下を向いて歩こう」と思ったことは鮮明に覚えている。

コラム②
誕生日が祝ってもらえない
家の雰囲気が特に悪かった時期だと思うけど、自分の誕生日にお祝いしてもらえなかった(多分兄弟や母は何かしら声はかけてくれたと思う)。松井秀喜さんと同じ誕生日だったので、わざわざ普段見ない野球中継で巨人戦をテレビでつけた。実況が松井選手の誕生日に触れることで『今日は誕生日ですよ』アピールもしたけど何もなかった。
大人になってもけっこう尾を引いた辛い体験で、人生ではじめて生まれてこなければよかったと思った日かもしれない。

この日を境に、冬も半袖キャラに『誕生日とかクリスマスとか興味ないしキャラ』が加えた。キャラで自我を保つ!

2-4. ソフトボールと走ること

家の目の前の公園でソフトボールをやっていたので、小学校2年生から始めた(月謝が1,000円、ユニフォームは貸与だったのでよかった!)。当時イチロー選手に憧れていたが野球に本気にはなれなかった。そんな中、最悪なことに父親が監督になった。6年生のときにはキャプテンになるが、何をやってもほめてもらえず怒られるのが嫌で嫌で仕方なかった。好きで始めたけど、良い思い出はない。

一方で走る方はとにかく楽しい。箱根駅伝を見て『○○人抜き達成!』みたいものをテレビで見て、かっこいいと思った。
それから毎朝学校まで今日は走って何人追い越せるか、という”ひとり箱根駅伝”をやっていた。
おかげでマラソン大会で優勝することが自分のアイデンティティーのようだった。1位じゃなきゃ嫌!2位でもめちゃくちゃ悔しかった。

2-5. 勉強

小学校の時は、国語と算数と図工(絵だけ)に自信があって、特に国語で先生が喜ぶ文章を書くのが得意だった。だいたいこういうこと書けば褒めてもらえる、みたいな。
一方、親は教育に無関心。というか余裕もないんだと思う。毎日宿題をやっていかなくて、先生によく、げんこつをもらったり、殴られたり、ほっぺたをつねられたりした(そういう時代)。
4年生の夏休みの宿題をやらないで夏休み明けに学校へ行ったところ、先生に『宿題やらないと警察に突き出すぞ!」と脅され(宿題しないと警察ってどういう理屈だろう…)、こどもながらかなりビビッた。

それからは、少しずつやるようになった。

6年生の時にIQテストがあって学年1位になった。成績が特別良かったわけでもないので自分でも驚いたし、何よりも先生が一番驚いていた。いまいち何がすごいかはわかってなかったけど、頭いいんだ!という自分の成功体験になった。

コラム③
絵画で金賞

家でやることがないときは自分の世界に浸って絵を描いていた。それが活かされたのか、小学校の間に県で金賞で表彰された経験が複数回あり、福岡の大濠美術館に飾られたり、百貨店に飾られたりした。
特に6年生の時に描いた絵は、毎日居残りをして自分で納得できるまで夢中になって仕上げた。先生が毎日の居残りを認めてくれたのもよかった。

2-6. 兄弟の存在

家庭環境は劣悪。宿題もしない人間。よく足を踏み外さなかったと思う。そこは優秀な兄と姉、そして弟のおかげ。なので簡単に紹介。


よくこの家庭環境の中でやったなと思うのだが、兄は東大に進学した。貧乏で最悪な家庭を抜け出すためには一人暮らしをしたいが、一人暮らしができる環境を勝ち取るにはトップオブトップの東大であることが重要だったらしい(並みの大学では近くの九州大学に行けばいいじゃんとなるため)。
自らの運命を切り開いている感じがすごくかっこいいなと改めて思う。


よくケンカをしたので、思春期の関係性は良くなかった時期もある。ただ素晴らしい人格者で面倒見がよかった。姉の友人などから聞く姉の評判が良いので誇らしかった。女性なので貧乏な我が家の環境はより堪えたと思うけど、強く明るく生きる姿は、自分自身に深く影響を与えていた。


前述の通り、自分自身が弟をしっかり見てあげないと!という責任感を勝手に持っていた。しっかりとした兄でいたかったので、私自身が堕落することもなかったのかなと思う(そんな勇気もない気がするけど)。


3. ここまでの振り返り

3-1. 自己肯定感が低く、自己効力感が高い人間

そんなこんなで小学校卒業。
振り返ると
自信 = 自己肯定感(マイナス) + 自己効力感(プラス) = ±0
そんな少年時代だったと思う。
自分に対する悲観的な部分、コンプレックスも多かった。そのぶん、足が速いことでそれなりにちやほやされるし、頭も悪くないし、絵でも表彰されている。自己肯定感の低い部分を成功体験からくるじぶんはできるという自己効力感が補ってくれて自分の自信を保ってくれていた。

3-2. 今は何一つ恨んでないし悲観してない!

以前は自分のネガティブな過去を引きずっていて、さらすことに抵抗があった。ただ、最近は特に何とも思わないというか、自分の人生・人格を形成してくれた大事な思い出。一番引きずったのは誕生日の思い出だけど、まああの家庭環境でみんな自分のことで精一杯だったのかなと。なので親のことは恨んでないし、書いてない楽しかった思い出もあるし、ここまで生きてこられたことに感謝してます。
今も絶縁することなく、ほそぼそとですが、親ともつながってます。

そして私の人生がドラマや映画だとすると、それなりに目を引くエピソードがあるしつらい過去があったからこそ、人にやさしくなれている自分がいる気がしてます!

以上、小学校までをまとめました!
まとまりのない自分語りに付き合っていただきありがとうございました。

中学生以降はまた、別で書きます。また読んでいただけると嬉しいです。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?