虚構 ri_e_que 2024年11月13日 05:06 東浩紀氏のXよりまさにそうだと思います!そう考えると示唆的なのは、1980年代から90年代にかけて、柄谷行人を中心としたポストモダニストがやたらと「日本文学を支える言文一致の虚構性・人為性」を問題にしていたことですね。まさにその虚構こそが大切だったのだけど、そうは議論が展開しなかった。 https://t.co/JWOunN0Emy— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) November 9, 2024 そうなんですよね。国民国家批判は批判でいいのだけど、国民国家の幻想以外で富の再配分を根拠づける理屈を、ポストモダニストは結局見つけられなかった。個人的には、18世紀あたりにまで巻き戻して、古くて新しい理屈を探し出すしかないと思います(というわけでルソー読んでるわけです)。 https://t.co/yaP99oplDY— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) November 9, 2024 そもそも論として富の再配分というのは階級を横断して富が移動することをいいます。ぼくが提起しているのは、なぜ20世紀のリベラル・ポストモダン知識人は、ネイションの擬制なくして階級を横断することが可能だと信じることができたか、という問いです。 https://t.co/cWS1PkBtK6— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) November 9, 2024 個人主義は再分配の基盤を壊す。これはかなり自明なはずで、にもかかわらず20世紀後半のポストモダン・リベラル左翼知識人がほとんどそこに関心を向けなかったのは、単に西欧も北米も「キリスト教文化圏」としてのまとまりがまだまだ強く、考えないで済んだからではないだろうか。— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) November 9, 2024 これは根本的な問題で、ポストモダニズムはこの条件について真剣に考えてこなかったので力を失ったのだと思っています。 https://t.co/920jWI6AOF— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) November 9, 2024 ダウンロード copy #東浩紀 #柄谷行人 #飯田泰之