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『マッピー』はTVゲームがホビーであった時代の遺産

 ナムコの最高傑作はなにか。

 『ゼビウス』だの、『ドルアーガの塔』だの、『鉄拳』だの、その議論は決着がつく日を知らない。

 だが、あえて僕が答えを主張するなら、この『マッピー』を挙げるだろう。

 僕はシンプルなゲームが好きだ。ナムコのゲームはどれもシンプルながら奥深いタイトルばかりだが、その中で初期の名作たる『マッピー』は群を抜いてシンプルで面白い。

 その面白さからファミコンソフトとして人気の高い作品だが、多くの強豪タイトルと比較しても、『マッピー』は特に幅広い層から支持を得られたと認識している。実際、僕の母親も当時本作にドハマりしていたし、身近な親世代に聞いてみても知っている人は多かった。

 主人公マッピーや敵役ニャームコの愛らしいキャラクターデザインも相まって、当時の母親のような女児層にも受け入れられる魅力を持っていたことは間違いない。当然現代を生きる僕にも、その大衆に向けた魅力が伝わってくる。

 だが、多くの層に支持されたもっとも直接的な理由はそのゲームデザインだろう。ゲーム中、プレイヤーが行う操作は十字キーの左右移動のみ。マッピーを狙う泥棒猫ニャームコから逃げ回りつつ、彼が盗んだ盗品を回収することが目的である。

 ステージの至る所に設置されるトランポリンに乗ってジャンプすることで高い階層に上がり、くまなくステージ内を探索できる仕組みとなっている。ジャンプ中は無敵だが、連続でトランポリンに乗り続けると破れて下に落っこちてしまう。トランポリンでいかに追っ手をやり過ごし、どこへ逃げるかでニャームコたちとの駆け引きが生まれる。

 非常に簡易的でありながらよく練られたゲーム性と、誰にでも受け入れられる程低いプレイの敷居によって、この作品がどれだけ名作であるかは容易に分かるのだ。




 しかし、僕はこういう話を前回の記事でも話している。同じナムコ発売の傑作『ゼビウス』についての記事だ。

 『ゼビウス』も『マッピー』と同様にゲーム性がわかりやすく、大衆に支持されたタイトルなのだが、僕は『マッピー』と『ゼビウス』ではわかりやすさのベクトルが違うように感じる。

 『ゼビウス』の面白さは、どちらかと言えばアーケードゲーム本来のスコアを競う面白さにあったと思うが、『マッピー』はどうだろうか。

 『マッピー』も、元はアーケードゲームなのだが、それ以上に家庭用ゲームとしての価値が高いと感じる。学校帰りの小学生がファミコンのスイッチを入れ、『マッピー』が起動する。画面を飛び回るキャラクターたちが、最も身近なTVの画面で味わえる。

 『マッピー』のゲームとしての本質は、体験そのものにある。鮮やかな色彩で描かれる画面を凝視し、熱中するあの体験こそが、『マッピー』がプレイヤーに与えたいものだったのだ。




 この体験を重視する姿勢は、TVゲームだけでなく玩具(ホビー)にも通ずるところがある。

 当たり前だが、ホビーはTVゲームと同じくユーザーが楽しむためにある。逆に言えば、ユーザーがそのホビーの面白さを理解し、楽しむことができなければ、その時点でホビーとしての価値を失うのだ。

 そのために、ホビーの遊び方は直感的でわかりやすく作られている。『ベイブレード』でいえばランチャーと呼ばれる発射器具にコマを取り付け、勢いよく発射させるだけだし、『ビーダマン』は人形の中にビー玉を入れて撃ちだすだけ。それだけなのに、改造の楽しみや、ゲームとしての奥深さを足すことで長く楽しめるようになっている。

 『マッピー』も同じである。ファミコンのゲームである本作も容量不足でどうしても説明書の記載のみに頼ってしまう。そんな中で子供でも楽しめるようにあえてあっさりしたシステムにし、そこにスコアアタックキャラゲーとしての要素を混ぜ込むことで楽しみやすい作品を目指している。

 最近のゲームは説明を多く盛り込み、操作が直感的でなくともある程度フォローが入るようになっている。また、ゲームだからこそできる表現やゲーム性を多く盛り込んでいることが多い。

 複雑なゲームも若年層に支持を得る中で、『マッピー』の持つホビー然としたシンプルな魅力も、どうか伝わってほしいと切に願っている。

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