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考えれば考えるほど馬鹿になる。馬鹿な人ほど考える。
考えることはほとんど悪行為です
考えれば考えるほど馬鹿になります。
馬鹿だから考えるとも言えます。
考えて賢くなるなら、人類が生まれて今の今までで考え続けて、
どれほど賢くなったのかとおもえば、
未だに戦争なんかをしてるわけです。
戦争をする生命なんて大馬鹿者ですね。
ここでいう、考えるとは、主に妄想のことですが
自分が生きるために必要だと思っている思考も、ほとんど悪行為の場合が多いです。
計画を立てることや目標を立てることもそう。明日のことが完璧に分かっているなら計画や目標も立てられますが、明日のことどころか次の瞬間のこもすら完璧な予想はできません。
他にも、悩み相談に乗るときに人はどうすればこの人の悩みを消せるかと考えます。
これまた愚かな人にとっては、無駄な思考になりがちです。
智慧と慈悲の心がなければ、何を考えたって、たいしたアドバイスもできないんですね。
だからこの場合は、世の中のためとか、他人のために何ができるかを正しく考えるために、しっかり自分が、智慧と慈悲の心を鍛える必要がありますね。ヴィパッサナー瞑想や慈悲の瞑想が役に立ちますし。戒律と八正道を守って生活すると心に決めるのも当たり前に重要です。
とはいえ、ほとんどの人はまず妄想をやめることから始めるのがいいです。
考えるのをやめなさいというのは、抵抗があるかもしれないけど、妄想するのをやめなさいというのは、なんとなくメリットがありそうと思えるかもしれません。
とはいえ、妄想は何の価値もないゴミですが、そんな妄想が人間は大好きなんですね。
人間の強い、心、の欲望という項目の中にしっかりと妄想も入っています。
妄想は刺激的なんですね。
だからやめろといってやめられるものじゃないんです。
でも明らかに妄想は心を破壊しますから、やめなければいけない。
結局、繰り返しになりますが、智慧を鍛えるしかないんですね。
科学的な言葉で言うと、集中力にも近いです。
慈悲の瞑想(サマタ瞑想)で集中力を鍛えて、ヴィパッサナー瞑想で洞察力を鍛えることで、常に自分の思考に気づきやすくなります。
妄想した瞬間に、妄想が始まったと、気づけるようになったら、妄想をやめればいいだけです。
集中力がどれだけ大切かというのは、現代の俗世間でもとてもよく言われていますね。
そんなことをより深く2000年以上前に説かれていたのが、仏教の教えというわけです。
繰り返しになりますが、慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想で集中力と洞察力をつけて妄想してる自分に気づけるようになること。
無駄な思考も気づけるようになること。
気づいたらさっさと、やめて今この瞬間やるべきことをやること。
以上になります。