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好きなものを見続けること

私には、好きなものが本当にたくさんある。

ざっくり言って、
自然、生き物、カフェ、旅行、ものづくり、読書。

細かく言い始めたらキリがないのでやめておく...

この好きなものたちは、
大体のものが子どもの頃から好きなもの。

好きになったのが新しめなものといえば、人と話すことくらい。
新しいと言っても、ここ数年。
昔は、話すのが嫌いだったし、なんなら人が好きではなかった。




子どもの頃から継続力だけはあって、
それだけは私の中で譲れないものだった。
逆にいえば、途中で止めることが本当に苦手だった。

というか、やめるという選択肢が私の中に生まれたことがなかった。
やり始めたら続けるものだ、というのが私の中では自然なものだった。

やりたくなくなった時や行きたくなかった時、
すごく苦しんだし、それはよくないものだと思っていた。

私の母も同じタイプで、
悪気なく、始めたものは続けるものだと思っていた。

だから、余計にやめるということが意識に登ってこなかった。
苦しくなった時、幼い私は泣いてわがままを言うということで表現していた。

でも、そのわがままは、本質ではないところにあらわした。

習い事が嫌だったら、その日のご飯が嫌だと言った。
学校が嫌だったら、その日の服が嫌だと言った。

難しいのは、
習い事が嫌いなわけではなかったし、むしろ好きだった。
だから休みたいわけではなかった。
そんな気持ちはわかってもらえなかったから、
わかりやすいようなところに嫌な気持ちを出した。

今でこそ、私は幼い自分の気持ちがわかるけれど、
幼い頃は、私自身も曖昧な感覚だった。


救われたのは、好きなものは好きなだけ続けさせてくれたこと。
習い事は、幼稚園や小学一年生から今まで、
場所は変わっているけど続けている。
長いものだと20年以上続いていることになる。

だから、
好きなものを見続けて、好きなことをし続けることができて、
その気持ちの変化がわかるようになった。

続けることでしかわからないものもある、
とはこういうことかと、感じる部分がある。




好きなものだけに限らないかもしれないけれど、
好きなものを見続けて、私が苦しんだのは、義務感。

技術的なものはもちろんだけど、続けなければならない練習や、
基礎的な力をつけるための訓練てきなものが、
いくつもあることはわかっている。

初めのうちは、難しくてそれをできるようになるのに必死で、
逆にそれが楽しくて、
やり続けることができる。

だけど、できるようになってからの方が、少し辛い。

できるようになったら、新しいことがしたいけれど、
それを毎日続けることで基礎をより強固なものにすることができるとわかっているから、
それは毎日続けることが求められる。
その時点で、これは義務感になる。

これは、義務が苦手な私には、つらいことで、
今でもどんな場面でも義務感には苦しめられている。

今では、本当に必要なのかどうか自分で考えるようにしているし、
こういうことがしんどいと思っているんだ、と気づくようにしているから、その時にどうすればいいかがある程度は対応できるようになっている。

ただ日本語のこだわりだけだったり、
必要ではないからやめたり、
と言った具合に、自分でコントロールできることが増えてきた。

いくら好きなものでも、最初から最後まで100%生まれないものには、
私はまだ出会ったことがないし、
そもそもそんなものあるのだろうかと思っている。
ので、私は、それは探すことはない。


幼い頃の私は、そんなことはできなかった。
私ができたのは、ひたすら続けること。

そのおかげで、好きなことに対しての考え方も学んだと思う。

もちろん、好きだとは思っていたし、
嫌いなものははっきりしていたから、
周りも嫌いなものをそんなに無理強いはしなかった。

だけど、学校は別だ。
私は学校が嫌いだったから、
本当に苦しんだ。

楽しいものは部活だけ、
先生や授業は大嫌い、
でもやめる選択はできなかった。

「義務教育」の意味をなんとなく知っていたから。
私だけの問題ではないとわかっていたから。

それだけは、昔の自分、本当によく頑張ったと、褒めてあげたい。

もう一度同じ状況に置かれても、きっと同じ選択をするだろうと思う。




好きなものを、好きなだけ。
それには、いろいろなことが含まれている。

それを今までの24年の人生で経験できてよかったと、
今では思うことができている。

私は好きなものは大切にしたいし、
やらなきゃ、と義務感で頑張る気持ちも大切にしたい。

世の中には
義務なんてない、やらなきゃいけないことなんてやめればいい。
という主張もあるけれど、
それは私には経験してないことなので、わからない。

私は、義務感で頑張っている人も、すてきだと思うから。






「好き」の見続け方は、人それぞれ。

それぞれの「こうあるべき」も大切にしたい。

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