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「今、書けないけど書きたい」と手が止まった話

タイトルにあるように、今まさに、「書けないけど書きたい」という状況に直面している。というのも、私には、不定期的に「なんか書けないかも」という時期が訪れる。

今まさに、といっても、そろそろ終焉を迎えられそう。


私が書けなくなる理由は様々で、その都度違う。忙しすぎて文章に向き合っている余裕がない、心が動いていない、もやもやしているけど言語化できない、などなど…

そんな時は、一度、全部放り出してやめる。もちろん仕事や日々の生活で「これだけは死守したい」というものは守る。その中で、「やること」を減らして考えたり感じたりするスペースを増やすのだ。

そうしないと、もっと感じなくなり、考えなくなり、心地よくない状態が続く。言い換えれば”フラットな状態ではない”ということ。


とはいえ、ただ「書けない」と自覚している状態は私にとってそれほど深刻ではない。「書きたい」をはじめとして、やりたいことが次々出てくるから。今もそう。やりたいことができているということは、私の心が完全に止まっているわけではないということ。

それでもこの時点で立ち止まるという選択をするのは、日々忙しい現代、意識的に心地よさに目を向けることの大切さを、身をもって知っているから。

今の私には、そんな時間が必要だ。


1つ問題なのは、私が今、なぜ書けないのかわかっていないこと。だから「全てを放り出す」ことをしない。それをしてしまえば、書けない理由にたどりつけなくなる。でも、「書きたい」と思っている私を満たしてあげたいとは思うのだ。

だから今、”書けない私”を書くことで、その気持ちを満たしている。

「書けない・原因がわからないのに、何を悠長なことを」と思うかもしれないけど、解決を急いだところで、すぐに解決できるものではない。


少しややこしい話だけど、「書けない原因を究明して解決すること」は急務ではなくて「現状を整理すること」をするべきだと思っている。(結局、書けない原因に繋がるのだけど。)

細かいところまで現状を把握すれば、自然に書けない原因がわかり、そのうち解決につながる。とはいえ、「考えない」というわけではないので、つくづく私の頭は曖昧なものだ。


今回の原因は、シンプル。「やりたいな」「今の私にはこれが必要だな」と思っていたことがやれていないこと。

私はやりたいと思ったことは、時間が経ってからでもやるという性格をしているので「やりたいと思った時にやるべき!」というタイプではない。今すぐにできることでも、精一杯楽しむために、入念に計画してからやる時もある。

もともとゆっくりのペースで生きていきたいと思っていることと、とてつもない慎重派であることも相まって、行動に移すまでにかなりの時間を要することも多い。

今まさに、やりたいことがいくつかあって、短くても半年以上(!)寝かせている。友人にお手紙を書くこと、身体を動かすこと、1日中ものづくりをすること、などなど。


これが、今回の”なんか、フラットではない”と感じている理由。でもそれも、そろそろ終焉を迎えられそうなのだ。

終焉に向かって進んだきっかけは、私の推し(お世話になっている人)に「月1のピラティス、来る?」と誘ってもらったこと。

私はもともと運動が苦手なこともあり、何をやればいいのか分からなかったから何もやってこなかった。真夏を除いて散歩はするけど、運動というには程遠い感じ。でも、身体を動かすことが嫌いなわけではない(嫌いな競技もあるけど)から、単発ではなくて、継続的に何かをやりたかった。

私の推しは、私の心身のケアのサポートをしてくれるのだけど、色々話して私の身体も見て「循環が必要(雑な要約でごめんね)」ということで、ついに運動を勧められた。「え〜…」と言いつつ、心の中では「だよねぇ」って思ってた。

推しに見てもらうようになる前から、いつか言われるだろうと思っていたし、なんなら推しに言ってほしいとまで思っていた私。予想していたとはいえ、誘われて、あっさり終焉に向かえるなんて、なんと単純すぎる私。

10月から始めるので、楽しみ。


こうして1つ、やりたいと思っていたことを実現できることになり、そこから終焉を迎えるべく、動き出した。友人にお手紙を出すために、家にある便箋と封筒の中から友人に送りたいものを選び、1日中気兼ねなくものづくりをするために、仕事を早めに進めている。

今はまだ「書けない」の中にいるけれど、この文章をここまで書き進めているあたり、書けるようになる日も近いということ。

さて、ここからどうなるのか私。軽やかにいこうね。

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