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「徳積み」の違和感。今ある感謝。

ある日、自分のふとした行為に対して、友達は言った。
「あ、徳積んでますね」と。

何となく流したけど、
今となって、凄く違和感を感じるようになった。
その違和感から学ぶ、「徳積み」とは。

徳積み。
友達曰く、人やモノに徳ある事を、陽徳と陰徳共に、積み重ねると、
知らず知らずのうちに、徳のある人となっていくらしい。

しかし、違和感が残ったのは、
「徳を積む」行為を、意識的にやっていること。

意識的に行っているということは、
行為としては、人やモノに徳のあることを行って徳積みを行っているけど、
本心は、同等又はそれ以上の見返りを求めているということ。

そこには、得体の知れない黒く見えない我欲が存在しており、
人や物を二元論でジャッジして、
人生を加算制で判断している価値観さえも、見え隠れしてくる。


資本主義やギブアンドテイク、数字等の、
目に見えて、対価が分かり、常に加算と減点の世界に長年いると、
常に物事を、見返りがあるか、利益かどうか、目に見えるかどうかの、
二元論で判断してしまう。

しかし、本当の「徳積み」は、二元論ですぐ分かることではなく、
目に見えたり、数字で判断できなくても、
確かに、そこにあって、なんだか心が温かくなる現象のこと。

二つの世界を行き来しながら、
自分ならではの「徳積み」、見つけて、行っていきましょう。

いや、もう既に、
今ここに、生きてる、存在しているだけで、徳積んでいるのかもしれない。

今、この感謝も、忘れないようにしていきながら。







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