結果と人格者は比例する!?
資本主義が中心である、
この社会で、「結果こそ全て」な瞬間が多々ある。
と、同時に、過程重視だったり、その人の在り方を重視する瞬間もある。
結果と人格者、はたして、ふたつは比例するのか。
ひとつずつ、分析して、分解していきたい。
結果。
実績出した者が偉い、結果出してる成功哲学こそ絶対だ!
資本主義で数字が優位に立っている、且つ、弱肉強食な社会だからこそ、
「結果が全て」である場合が多い。
しかし、結果を追求し過ぎると、何処かで必ず”弾み”が生まれる。
自分の実績があるけど、部下はついてこない故での違和感。
数字を追いすぎる故の、足の引っ張り合い、接待や駆け引き、愛想笑い等で擦り切れるメンタル。
実績を追い求める故に、愛する者や親友等との別れと断ち切り。
結果は出してるけど、
常に、何処か虚しい、寂しい気持ちが、どんどん増幅していく。。。
人格者。
「この人は、人が出来ている」「在り方が確立している」。
人ができているからこそ、人が引き寄せられ、
自分が確立しているがこそ、全てを受け入れられる。
だけど、この社会では、
こういう人であればあるほど、多くの矛盾を抱えてしまう場合もある。
やさしいがゆえに、自分を犠牲にしてしまう、されてしまう。
人ができてるが故に反感も買いやすく、嫉妬や否定、攻撃の標的になる。
いいひと過ぎるがゆえに、コネと根回しで融通が利かず、常にいいとこ止まりで終わる。
いい人がゆえに、
攻撃や「力」に弱く、吸収されたり、利用されたり、埋もれてしまう。
結果と人格者。
どちらも大切であり、どちらも必要である。
しかし、どちらに振り切り過ぎても、反動で「返し」を喰らう。
だからこそ、両方を味わい、その間を体感していく。
結果を出しているのであれば、執着せず、本当の意味で「いい人」に。
人格者であれば、マッチョに振り切り、やさしく結果を出し続ける。
そうした時に、初めて、
自分と、世界との統合が始まり、本当の意味で、社会貢献が始まっていく。
両方味わいながら、更に、この人生を味わっていきましょう。
この人生は、両軸の間を、楽しむためにあるのだから。