【論文紹介】メディアにおける手話翻訳の担い手としての「ろう通訳者」『ことばと社会』26: 215-239
三元社「ことばと社会 26号 特集 言語マイノリティ:人権の拡張か、文化遺産の保護か」に拙稿「メディアにおける手話翻訳の担い手としての「ろう通訳者」」が収録されております。なんだか周りの論考と大分毛色が違う感じがしますが… 。ICT活用とろう通訳者による翻訳の論です。ろう通訳本が出る直前に脱稿したので、引用できていないのが残念ですが。現職に就いて以降、やる機会を与えられて苦戦してきた手話翻訳に関する意義の方を論じたものです(手順書の方はずっと前に投稿し、諸々の事情で査読がかなり長い時間帰ってこず…で、やっと出版される予定。採録決定済みのところまではこぎつけた)
あと、今号の連載報告 手話部門の前川和美先生の「私の人生を変えた「ろう文化宣言」」は必読です。これを活字に残してくれてありがとう・・・と泣きながら読みました(鼻水チーン)
私の研究ノートについて
さて、拙稿は、ICT活用と手話翻訳というふたつの要素を掛け合わせたところに出てくる「手話でのウェブアクセシビリティをYouTubeみたいな動画メディアで向上させることができるよね」という可能性について考えたものです。
そもそも、現所属の研究所オープンハウスでの取り組みが大変だったので、いくつかの議論にわけて論文にするか…ということで、自分の作業手順としては2本目。
各節はこんなかんじ。節タイトルを見るだけで何をカバーしてるのか結構わかりますかね。
はじめに:ICTの発展と映像手話翻訳
書記形態がない言語としての手話と通訳・翻訳の担い手
通訳と翻訳が混ざる領域としてのメディア通訳と映像手話翻訳
手話通訳養成とろう通訳
自律的・他律的な通訳・翻訳
映像メディアにおける手話とICT活用時代
障害者権利条約における表現の自由と情報アクセシビリティ
映像メディアにおける手話
ICT活用と手話通訳・翻訳
災害時の情報保障:ICT活用のなし崩しにより通訳と翻訳の境界が見えにくくなったこと
メディアにおけるリアルタイム通訳と改めて行う「翻訳」
ウェブアクセシビリティとしての動画への手話通訳付与の実践
動画のウェブアクセシビリティ規格
字幕があっても言語としての手話が必要
字幕と資料をもとに、手話への翻訳を行う
手話への翻訳はろう者だけでできる仕事になった
言語政策の一端を担う手話通訳と手話翻訳
手話翻訳動画を増やし、言語に対する主体性を取り戻す
ろう通訳者が広める手話表現と手話の言語景観
メディア通訳・翻訳者の養成・ろう通訳者の養成
おわりに:ろう者が手話言語への主体性を得るための手話翻訳
このプロジェクトをはじめたとき、学院の手話通訳学科教官であり、NHK手話ニュースのキャスターでもある木村晴美先生に相談し、「その形式ならろう通訳だけでできるよね」と言われてやってみて、「ははぁなるほど、これはろう者にとってグラウンド・ブレイキングな試みであるように思われるが、何がグラウンド・ブレイキングなのか書いておかねばならぬ」と常々思っておりました。
いろいろな観点を整理したけれど、基本的には実践ベースの報告としてしたためたつもりでした。「実践」ありきで、何が重要だったのか書こうという方向で、教科書レベル、Handbookレベルのものをサーベイ。するとメディア×手話については論文というよりはマニュアルとか、研修報告書が出てくる(そういうのは芋づる式に文献が引っ張ってこれない)というのがわかったのですが、うーん日本で翻訳通訳学がイマイチ確立していないのと同様、実務者だけで手一杯なのかもしれないな? と感じつつ、じゃあ学者側で何を書くかという話に…。あと、ウェブアクセシビリティか。
原稿を脱稿した直後に、「ろう通訳ってなに?」が発売されて、原稿の大締めの頃にはそれが書かれていることは聞いて知っていたけれども、書き始めたときには知らなかったので、いろいろ諦めて、それをなしにして書き上げました。実際、本を献本でいただいて早速読んだら、内容が…そうだよ、ココを引用したかった。という部分が結構あった。ただ、それを入れるとまたややこしくなったろうし、仕方ない。また今後考えよう。
「映像手話翻訳」という用語
ここでは「映像手話翻訳」という新しい用語を導入しました。これは映像翻訳業の深井裕美子先生に別論文で入ってもらって整理した用語でした。映像手話翻訳は、「音声が入った映像」に「手話翻訳を手話通訳のようにつける」ものなのですが、定義するのが結構大変でした。要するに、同時通訳でやってる手話通訳では、ウェブにアーカイブされることに割と問題があるので(これについても学院の手話通訳士の先生の例を入れさせてもらい)、時間をかけた「翻訳」作業をして、動画音声に同期して手話動画を表示できるようにしたものを作りました、という話。
しかしそもそも「翻訳」って、なんだ? と考えてみたら、「通訳」との違いは、書き言葉か話し言葉か。リテラシーかオラリティの話であった。さすがにそのあたりまで踏みこんで論じるのは今の私には力が足りないぞ、というわけでそれはさらっと流すことにした。もっと突っ込んだ議論をこれからやってもいいかもしれない。つまり「手話の書き言葉的使用とは一体何なのか」…これ知りたくていろいろ勉強しているけれども、やっぱり難しい。ギャローデット大学で見た、自分の手話動画を撮ったのをみんなにコメントつけてもらって改善してもう一回撮り直すみたいなの、ああいう感じかもしれない。
翻訳通訳学の論文として書かれるべきものだったかもしれない。そういう専門家の人と一緒に書けば良かったよね。ついでに、「放送通訳」「時差通訳」あたりも参照。教科書レベルの基本的な分類で十分ついてけるはず。というか教科書レベルの話で「なんか違う」があるので、論じる必要があるのが手話。
今回、私がガッツリ読んだのは、国際手話通訳でも有名なChristopher Stone先生の博論本 2009年 Toward a deaf translation norm. Gallaudet Univ. Press.とRoutledge HB of Sign Language Translation and Interpretingでした。
後者のHBには、日本ではinto L1じゃないとという話になってるけど、そうでもなさそうだよという総説とか、経験の浅い通訳者は音声から手話の方が上手いと思ってるけどそれはまやかしだとか、そういう研究を何本か引きつつ、なぜ「ろう通訳」がメディア通訳を担うのがいいのか、というところまでなんとかこぎ着けた、というかんじ。
結論として、手話翻訳をろう者がやるのがよいのは、「不特定多数が見る手話の表現者は、当事者ができるならやったほうがいい」のと「手話言語そのものに対する主体性が第二言語学習者である聴者の(社会的マジョリティの)手話通訳者が「通訳」であることによって奪われてきたこと」に集約されるだろう。
あとは、ぜひ本誌をお手にとっていただきたい。