面接の語りの向上には,「添削」ではなく,コンサルティングとリライティングが必要です。
「添削」という言葉を,国語辞典の広辞苑(WEB版)で引くと,
「詩歌・文章・答案などを、書き加えたり削ったりして改めなおすこと。」
とあり,例文として,
「作文を添削する」
とあります。
つまりは,言葉の表現や体裁を整えること,もっと言えば,「朱正」(赤ペンを入れる)という意味のようです。
スピーチライターの立場から言えば,国語辞書でいう意味での「添削」が成立するのは,添削される人も,添削する人も,両方が,かなりの言語表現レベルがある場合に限られます。
添削される人の言語表現レベルが低い場合は,添削は機能し得ないのです。
添削は,無意味となります。
文章の添削を,家を建てるということに例えてみましょう。
仮に,素人が見よう見まねで,家を建てたとして,プロの建築家や大工が,それを見て,ここの柱をちょっとこうして,ここの屋根をちょっとこうして,というわけにはいきません。
素人が勝手に建てた家は,危険極まりないし,もはや修繕不可能です。
もちろん,ある建築家,ある大工が建てている家を,別のベテラン建築家や大工が見て,ここはこうした方がいいのではないかというアドバイスなら,可能でしょうし,有益でしょう。
この場合は,プロの仕事に,より熟練したプロが,より進んだ助言をしているだけなのですから。
何も知らないど素人が,勝手に,見よう見まねで建ててしまった家を,ベテラン建築家や大工が見たとしても,もう,どうしようもありません。直しようがないのです。
すべて取り壊して,ゼロから立て直すしか,方法はありません。
文章の指導・助言も,まったく,同じです。
お互いに,一定以上の能力レベルにあるのであれば,あるスピーチライターが書いたスピーチを,さらにベテランのスピーチライターが,ちょっと修正する,語句の入れ替えを行うということはあり得ますし,有益でしょう。
しかし,ど素人が書いたスピーチを,プロのスピーチライターが,いわゆる「添削」をすることは不可能です。
素人が建てた家と同じで,ど素人が書いたスピーチは,それ自体が,「危険極まりない」レベルですので,結局は,全てを破棄して,ゼロから,プロのスピーチライターが執筆し直すしかありません。
教採の面接の語りや,自己アピール文,志望動機文なども,まったく同じことが言えます。
相当程度の言語能力・表現能力がある人の文章なら,国語辞書が言うような「添削」でも,十分に意味があるでしょう。
でも,表現能力・語りの能力が低い人の文章は,そもそも,添削は不可能なのです。
添削ではなく,コンサルティングをした上でのリライティングが必要になってきます。
その人のプロフィール・バックグラウンド・想いを取材した上で,教採の面接での合格を目的にした,面接の語りとしてのリライティングが必要になってきます。
そのためのコンサルティングとアドバイスが必要なのです。
従って,私は,面接の語りや自己アピール文・志望動機文の「添削」は行っていません。
表現レベルが低い人の文章の場合は,「添削」などしても無駄です。
徹底したコンサルティング,アドバイス,そして,その上でのリライティングが必要です。
ちょこっと文字や語句や表現を変えるだけではダメです。
ところが,日本では,「添削」が横行しています。
しかも,複数の人が,次々と,「添削」(赤ペン入れ)を行うので,最終的にできるものは,最悪のパッチワークとなっています。
ちょうど,ど素人が建てた危険極まりない家に,さらにど素人が,ちょこちょこと手を入れまくっているようなものです。
元々の文章が,相当レベル以上のものであれば,「添削」も無駄ではありませんが,教採の面接の語りの場合,ほとんどの受験者の語りのレベルは,スピーチライターのレベルには,到底及びませんし,レトリック理論や,文章技法も幼稚です。
そのレベルの文章には,「添削」は有害です。
「添削」ではなく,それぞれの受験者の経歴・学歴・職歴・バックグラウンド・プロフィールに個別最適な戦略を考案しながら,徹底したコンサルティングとアドバイスによる,リライティングでなければ,合格に直結する語りにはなりません。
だから,私は,「添削」はしません。
私が行うのは,受験者の経歴・学歴・職歴・バックグラウンド・プロフィールに個別最適な戦略を考案しながらの,徹底したコンサルティングとアドバイスによる,リライティングです。
これが,合格の秘訣であり,面接で高得点を勝ち取る唯一の方法なのですから。
河野正夫
レトリカ教採学院
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