石丸伸二が直接対決を恐れる宿敵 番外編② ~内閣総理大臣岸田文雄と広島県知事湯崎英彦~
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はじめに
前安芸高田市長石丸伸二と同じ日に三原市長に就任したのが岡田吉弘である。
二人は広島県で起きた河井夫妻選挙違反事件を受けて、両市の市長が同時期に辞職したことによって誕生した、言わば「双子の市長」であるが、メディアに二人揃って取り上げられることはほとんどなかった。
このシリーズでは、石丸が岡田と比較されることを恐れて、広島県知事選への立候補を回避する見通しを書いている。しかし、現職の湯崎英彦についてはほとんど言及してこなかったので、ここで岸田文雄と湯崎英彦、そして広島県自民党についても触れておきたい。
ちなみに、改定後の衆議院小選挙区割りでは三原市全域が5区になる。
自民党広島県連最高顧問岸田文雄
自民党広島県連は、最高顧問に内閣総理大臣岸田文雄(1区)、常任顧問に元経産相・自民税調会長宮澤洋一(参議院)、前総務相寺田稔(5区→改定後4区)と、閣僚経験がある岸田派(宏池会・休止中)の有力議員が占める。
常任役員会長は、平口洋(茂木派・2区)である。
言うまでもなく、選挙区割り振りなどの最終的な決定には岸田の承認が必要である。
保守王国広島に異変
5月27日に投開票された府中町長選では、自民推薦の新人が敗れた。前年の11月5日に投開票された海田町長選では自民推薦の現職が敗れた。海田町と府中町はともに衆議院広島4区であったが、定数削減による区割り変更に伴い、岸田のお膝元の1区に入ることになった。
党内で「岸田首相では次の選挙が戦えない」との声が上がったのは、この連敗によるところが大きい。岸田は次期総裁選の不出馬を表明した。
保守王国と呼ばれて自民党が多くの議席を占めてきた広島県であるが、相次ぐ「政治とカネ」の問題で、県民の反応は冷ややかである。
広島県知事湯崎英彦
湯崎英彦は、東京大学から通産省(現・経産省)に入省し、スタンフォード大学に留学しMBA(経済学修士号)を取得した。シリコンバレーのベンチャーキャピタルに出向、退官後にはアッカ・ネットワークスを設立・共同経営した。2009年には広島県知事選に自・公の推薦を得て立候補し、初当選した。
中央省庁と民間のベンチャーの両方を経験した異能の知事として注目を浴びた。「イノベーション立県」の実現を掲げる。
3期以上の多選批判を掲げて知事に就任
現在の湯崎は4期目を務める。任期満了日は2025年11月28日である。広島県知事就任時のインタビューでは、4期まで務めた前知事の藤田雄山の多選と政治資金問題を激しく批判した。
就任時には、2期が基本で、3期でも長く、4期を務めることが異常と自ら語ったのを忘れたのか。5期目に入ったら人間をやめるつもりであろうか。現に再選時には3期目出馬について、以下のように発言を変えている。
3選時にはさらに開き直る。
4選時には、自分の考えを述べることを放棄し、県民に下駄を預けた。
湯崎が藤田の4期を超える5選出馬する時には、どんな大義名分を掲げるのか今から楽しみである。
改選される度に前回のインタビューを持ち出して同じ質問を繰り返す中国新聞を、石丸が蛇蝎のごとく憎むのも合点がいくやりとりである。
圧倒的な得票率
湯崎は2回目の立候補からは、得票率90%前後と圧倒的な強さを見せつけており、当人の実績もさることながら、対立候補の弱さと選挙への関心の薄さが窺える。これほどの楽勝では、前知事への多選批判を棚上げして続投したくなるのも無理からぬことである。
鞆埋め立て架橋問題
鞆の浦は、江戸時代より潮待ちの湊として栄え、今も古くから続く街並みと絶景が広がる名所であるが、鞆町の集落を通る生活道路は道幅が狭く、外部から車で訪れることも困難となっていた。福山市は鞆の浦の一部を埋め立てて道路橋を架ける計画を立てたが、景観の悪化を懸念した住民らの反対にあって、計画は進まなかった。
湯崎は知事に就任すると、積年の問題となっていた鞆埋め立て架橋計画を見直し、住民との対話を重ねて、2009年には鞆の集落を避けて山側にトンネルを開通する計画を示した。工事は難航し、計画よりも工費が大幅に上積みされたものの、ようやく今年度内の供用に目処が立った。
三原市本郷産廃処分場訴訟
三原市本郷の産業廃棄物最終処分場から汚染された水が流れていると、付近の住民から苦情があり、市民グループは処分場に許可を与えた広島県を訴えた。
広島地裁は住民らの訴えを認め、県に許可の取り消しを命じた。現に住民が環境汚染に頭を悩まされているのに、地裁の許可取り消しを受け入れずに控訴を選択した湯崎は、産廃業者のお友達の謗りを免れまい。岡田は三原市長として住民の側に立って、忖度抜きに県に原状復帰を要望すべきである。
広島県は人口流出全国ワースト
広島県は主に重工業で栄えてきたが、広島都市圏の経済力は衰えを見せており、かつての勢いはない。特に若年女性が広島県に留まることは少なく、人口流出が全国で唯一年間1万人を超える金字塔を打ち立てた。
人口流出は社会構造と積年の無策によるところが大きく、県政が人口に影響を与えるには時間がかかるので、この点では一概に湯崎の失政とは言えない。
広島平和記念式典におけるスピーチで湯崎への賞賛の声が高まる
以下に、湯崎によるスピーチの抜粋を引用する。
SNSでは湯崎に共感と賛同の声が集まった。当事国の来賓に向けて、よくぞここまで踏み込んだ発言をしたと私も感動した。かたや、岸田のスピーチは安倍のスピーチの焼き直しとの批判が多いように見えた。外交的な配慮から当て付けがましい非難ができないのはわかるが、被爆国の宰相としては核の悲惨さをもっと強く訴えるべきではあるまいか。
知事多選か国政進出か
ちなみに、広島市佐伯区出身の湯崎は、衆議院選挙区では平口と同じ2区になる。
平口は自民党広島県連会長を務めており、形式上は選挙の責任者であるが、77歳と高齢であり閣僚未経験である。あと1期だけやりたいと考えているかもしれない。すんなりと湯崎に選挙区を譲るとは考えづらい。
かたや湯崎も国政進出を目論むならば、そろそろ年齢的にも決断しなければならない時期である。
岸田の従兄で参院広島県選挙区選出の宮澤は、74歳であるが、自民党の比例代表名簿記載の定年73歳を超えている。衆院選挙区は新しい6区になるが、該当する旧7区は小林史明が連続して当選している。
湯崎が国政を目指すなら、自民党広島県連は候補者調整に悩まされることになる。湯崎には衆議院中国ブロック比例代表名簿1位が妥当な処遇であろうか。
なぜ多選が批判されるのか
首長が多選に胡座をかくと、側近を学閥・庁閥で固めるようになる。
副知事に就いた玉井優子は、広島県政で初めての女性副知事であるが、小・中・高・大と経産省入省に至るまで、湯崎のコンプリート後輩であり、露骨な身贔屓人選である。二人目の副市長を公募して、女性を内定することで私心を隠そうとした石丸とそっくり同じではないか。
それはさておき、日本の都道府県知事は副知事経験者の割合が高い。副知事は中央省庁から派遣される場合が多く、副知事時代の実績を引っ提げて知事に就任するなら、戦前の官選地方長官と変わりはない。
知事が多選されると、幹部職員は覿面に知事が気に入りそうな進言しかしなくなることは、改革派知事として名を馳せた片山善博と北川正恭が、ともに自身の経験から指摘している。
湯崎は有能な首長であるが、湯崎一強化は誰の目にも明らかで、専横的な県政の兆候が見られるのは、自民党の信頼回復には障害となるであろう。
湯崎は国政に転じ、後継に岡田を指名すべき
石丸は都知事選後に岸田の1区に立候補する可能性を示唆したが、これは全くのブラフであろう。もし石丸が広島県知事選に立候補したところで、圧倒的に強い湯崎が不覚をとることはないにしても、県民が多選に拒絶反応を示し、自民批判に拍車がかかることは十分に考えられる。湯崎がこれほどの圧勝を重ねたのも、分かりきった選挙結果に投票を厭う者が多くて投票率が低かったからであろう。
岡田はその比較において、石丸に負けることはない。都知事選のような石丸人気が広島県に起きたとしても、県民は必ず「双子の市長」を話題に上げて、二人の経歴と両市での実績をつぶさに比べることになるからである。
そして、何よりも広島県の政治が正常化するには若返りが必要である。かつて岡田を三原市長に擁立したのは、岸田派の溝手顕正である。岸田はこの青年を支えることで、ポピュリズムに流されない新しく生まれ変わった広島県自民党を印象つけるべきである。経験が浅い岡田を知事に推すのが躊躇われるなら、岡田を5区の支部長に任命し、立憲民主党から現有議席を奪うことを考えてはいかがか。
もちろん各人の意思は尊重されなければならないが、岸田は大胆に候補者選定をすることによって、自民党のキングメーカーに君臨する橋頭堡を築くことになろう。間違っても同閥の溝手が安倍の餌食になろうとしているのに、対立候補の河井案里の応援演説を引き受けるような愚を再び犯してはならない。
ちなみに、湯崎が知事に初当選した時の次点は、県議を経て立候補した案里であった。
かくして私は、岡田の知事擁立もしくは5区からの国政進出を提言する。
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