石丸伸二が直接対決を恐れる宿敵 第9回 ~岡田吉弘との比較で石丸信者の洗脳は解ける~
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石丸現象は何者かによって意図的に作り出された
クラウドワークスという業務委託のマッチングサイトに、このような募集広告が出ていたのをご存じか。
出稿を依頼したのが誰かは知る由もないが、石丸伸二を賞賛する大量の動画は、動画主が単に小遣いを稼ぐために作られているのである。動画の視聴数が伸びれば、投稿者に報酬が振り込まれることは誰でも知っているのに、その意図を見抜けないのは愚かである。そして、ただ視聴するだけでなく、安芸高田市議会が全面的に間違っており、石丸が正義と信じ込まされ、議員に嫌がらせや脅迫を働く者までいるのである。ここまで来たら石丸信仰はれっきとした宗教であり、教祖と信者である。
信者らは安芸高田市とは縁もゆかりもなく、おそらく聖地に訪れたことすらない者がほとんどであろう。かたや、石丸と同日に就任した「双子の市長」の一方である三原市長岡田吉弘には、このような信者は付いていない模様である。
共鳴し合う「いいね乞食」
石丸を賞賛する動画やネット記事への、賛同を表明するコメントを見ていると、不思議な一致に気づく。賞賛する者同士が意見の相違で議論に発展している場面は全くないのである。そのほとんどが他のコメントで絶賛されているから迎合して褒めただけか、「涙が出ました」などのサクラのコメントである。
なぜ安芸高田市とは無縁の者がこぞって石丸を称えるかを考えてみると、その入口で褒めるコメントさえすれば、叩かれることもなく「いいね」が確実に貰えるという、ネット特有の同調圧力に屈するからである。
アンチは放置
石丸は信者に「アンチは放置」と諭す。この私もアンチの範疇に入るはずである。しかし、石丸と信者の真意は、異論に耳を傾けず雑音を遮り信心を純化させることにある。
信者は尊師のありがたい教えを守る。信仰が揺るがないように。
石丸を店員に設定したほうが、石丸構文の異常さがわかりやすい
都知事選後のインタビューを見たふかわりょうが、「石丸さん、サブウェイ注文できるかな。」と心配するポストをしたことで、大喜利としての石丸構文を考案する者が後を絶たなくなった。
ふかわの指摘は鋭いが、石丸の脅威はむしろ店員として注文を受けることを想定した場合である。
この関係に当てはめるならば、為政者は店側の人間であり、市民は客である。石丸は為政者の立場でありながら、議員や市民の認識を逐一問い返すことによって、4年弱の施政への評価を誤魔化し続けたのである。
石丸信者の正体は、「アンチ日本社会」と「自己啓発大好き意識高い系」に大別される
石丸信者のタイプはこの二手に大別されるが、両者に共通するのは、社会経験の不足による無軌道な政治主張への憧憬と、異なる立場の者との合意形成への無理解である。さらに、石丸の主張内容と実際の行いを照合しない点でも一致している。私は敢えて以下のnote記事には反論しない。ポエムに論は不要である。
タイプ Ⅰ 「アンチ日本社会」
タイプ Ⅱ 「自己啓発大好き意識高い系」
この世に対しては疑心暗鬼なのに、石丸を前にすると無垢に信ずるのはなぜであろうか。
岡田について石丸信者と語る
まず、石丸信者に問いたい。「石丸伸二以外に注目している政治家はいるか?」。おそらく誰も注目していないと答える者が多いであろう。河井夫妻選挙違反事件を受けて、石丸と同じ日に市長に就任した三原市長岡田吉弘が、再選を果たしたことをどう思うかと聞いてみるがいい。東京都知事選での石丸の躍進が話題になる陰で、石丸市政の見直しを訴える藤本悦志が、安芸高田市長選に勝利した事実と照らし合わせれば、石丸市政が否定されたと言えなくもない。
もし、石丸が理想の政治家であるならば、ほぼ同一の条件で市長に就任した岡田よりは、明らかに善政を施していなければならない。
近隣自治体との比較を用いて石丸市政を評価しようとした者は、信者の中では皆無である。
石丸の何が優れているのか、特定人物との比較を用いて細かく尋ねよう
既に、石丸と岡田の経歴は過去の記事で比較している。その一つ一つを信者に質問してみるがいい。
「ともに市長就任以前に行政や議員経験がない。石丸は三菱UFJ銀行にいたがいつ政治を学んだのか?岡田は松下政経塾を卒塾した」
「両市とも選挙違反事件が問題になったが、三原市では議会が紛糾しているか?安芸高田市のように議会と対立するのが理想なのか?」
「石丸は現在のところ首長でも議員でもないが、岡田の再選についてどう思うか?」
「なぜこんなにも因縁がある二人が、対談したり連携を示さないのか?」
ここまで質問すれば、よほど深く洗脳されていない限りは、異常なのは石丸のほうであることに気づく。ただし、口では認めずに言い訳するであろうが、戯言は笑って聞き流せば良いのである。
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