学校の「働き方改革」に係って、現行の指導要領についての、たわいもない話
たわいもない話
地方新聞に教育関係の記事を連載
「平成29年3月告示」の学習指導要領。
購入したのはまだ私は「フリー」で、初心者のピアノやバイオリンを教えたり、不登校の学習支援をしていたりした頃。
「告示」される前から地元の地方新聞に教育関係の記事を依頼されて書いていたので、文部省のホームページでダウンロードして、内容や構成について、以前とは趣が変わっていることは知って記事にも書いていた。
記事の話題が新しい指導要領になってからは、その指導要領で教員採用試験を受ける人達に向けて、改訂の要点や勉強の仕方なども書くようにしたのは、我ながら、アッパレ、と自画自賛したい。
ちなみに原稿料は何ももらえず、なんだか最初からボランティアだったのかとあとでわかる。でもまじめに書いていたら、「好評」というので、50回ほど断続的に連載。
冊子がやっと手に入ったので、あらためて全部読んだ。
指導要領の次の改訂
現行のものが平成29年、つまり、2017年だから、次は、2027年、令和9年に新しくなる。
その前だから、学校教育に関して、世間が騒がしい。
私のような、学生のころから教員の現役時代、そして大学教員、さらに学校教育の外に出てからも、ずっと通して指導要領を見ている者は、そうはいないと思う。
加えて、教育史が専門なので、明治期からの過去の学校に関する法令等も見ているのだから、仕事というより趣味、趣味が仕事に生きる、何かわからないが、次も楽しみにしている変人と言えるだろう。
現行の指導要領「小学校」
冊子の構成
目次では、教育基本法、学校教育法(抄)、学校教育法施行規則(抄)。
そして「小学校学習指導要領」第1章から第6章まで。
各章は、総則、各教科、特別の教科道徳、外国語活動、総合的な学習の時間、特別活動、と。
そのあとに、移行措置関係規定、義務教育関係等関係法令、幼稚園指導要領、中学校学習指導要領。
ここで私が おっとりと強調したいのは、もう何度も読んでいるものもあれば、今回初めてのものあるので、教育基本法から幼稚園や中学校のものまで、全部読む。
指導要領について
第2章の「各教科」は、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育、外国語。
太字にしたのは、国語の次は「算数」だろうと思っている人が大変多いのだが、日本の学校教育では、国語の次は「社会」で、だから成績表なども、この順になっている。
教科の生活は、「総合的な学習の時間」の1年生や2年生のものという勘違いが、教員や教育関係者や保護者や地域の人などにもいるが、本来は別物。生活科は、その前まであった、社会と理科を統合したもので、そのために、相当のすったもんだがあった。
実際のところ、生活科の授業をたくさん見て来たが、ほとんどそれまでの社会と図工を合わせたものがほとんどで、理科について、活動はともかく、その目標や内容が薄く、年間計画などからも落ちてしまっていることが多くみられる。
それで3年生から、いきなり社会や理科の勉強が始まる、ということになってしまうのでは、ダメで、生活科で学んだことが系統的につながっていないといけない。
音楽を太字にしたのは、私の気持ち。
ちなみに、幼稚園指導要領を見れば、ほとんど小学校から音楽の基礎を学ぶことになっていることがわかる。
つまりは、幼稚園や保育園、子ども園などで、鍵盤ハーモニカや打楽器などを演奏したり、合奏したりするのは、指導法がデタラメだと、楽譜がわからない、音符が読めない、楽器の扱いがわからない、など、その子どもの一生の問題になる。
この指導要領の特徴
外国語は、この指導要領から、教科として出現した。道徳も同じ。
ただし、英語でなくてもいい。
これはおそらく皆さんご承知のこととは思うけれど、念のため。
「目標」には、「外国語」としか書かれていない。
それでも「各言語の目標及び内容等」では英語だけが取り上げられているので、ほとんど英語に決めつけているようなもの。
第4章の「外国語活動」でも、状況は同じ。
また、この指導要領までは、各教科や領域の担当者が、一番書きやすい書き方で書いていた。
そこに、学年の共通の言葉や、系統的な積み上げが散逸していた。
そのため、私は大学教員時代に、採用試験を受ける学生に、散逸している共通の言葉を、各教科や領域などから取り出して、「この言葉に着目しておきなさい」などと指導しなければならなかった。
それが、この指導要領では、たとえば「味方・考え方」や「資質・能力」といった単語が必ず各教科や領域にあるように、ほとんど細部に至るまで、書式が統一されてた。
その分、冊子は例年の1.5倍の厚さになった。しかし、私には分量は増えたけれども、勉強しやすくなった、または、活用しやすくなった、と考えられた。
さらに言えば、低学年から国語で習う漢字の量が、ものすごく増えた。
こんな難しい漢字を2年生や4年生で習い、中学校で習う漢字を高学年で扱う。
当然ながら、中学校指導要領を見ると、同じように習う漢字が増えた。
伊東先生、指導要領は改訂されてますよ
講師として学校現場に戻る
平成30(2018)年、私は校長になったかつての同僚からわざわざ声をかけられて、再び学校現場に戻ることになった。
「もう一度、あの歌声を聴きながら、卒業式を迎えたい」
そんなことを言われて、音楽専科となり、最大で、2年生から6年生までの全学級になる20学級の音楽の授業を担当することになった。
加えて、3年生の社会などの授業支援もすることになった。
特別支援教育については、さすがに彼が校長をしているだけあって、すごくきちんとしていて、音楽の授業内容に合わせて、支援員の方といっしょに該当の児童は授業に参加する。
そのために、こちらもその子たちが授業に来ると、それに合わせて授業することができて、大変、楽しいものであった。
そんなある日、私が職員室で、私の学習指導要領を見直していると、周囲にいた先生たちから異口同音に出た。
「伊東先生、指導要領は改訂されてますよ。そんな古い時代のものはもう使ってません」
「いえ、これは最新版です」
「えっ」
私の指導要領は、あちこちに付箋がはさまれ、冊子の角はよれよれで、表紙もボロボロ、セロハンテープで補修した上に、全体に薄汚れている。
30年前のもの、いや、50年前のもの、と言っても誰も驚かないだろう。
「いやあ、びっくり。私の指導要領など、まだ、まっさらの新品」
「こういうのを読むのが、趣味ですから」
私にしてみれば、これが私が教員になってから、指導要領がボロボロになるのは当たり前なので、逆に驚く。もう4冊か5冊はボロボロになっている。
反対に、教員になる前の指導要領や、戦前の指導計画書などは、貴重な資料なので、ものすごく丁寧に扱っている。
今回のたわいもない話のまとめ
まとめるほどのこともない程度の、たわいもない話である。
ただ、お子様のいるご家庭の方は、指導要領を見てみることがあってもいいと思う。
厚さと、内容がお子様の学校で学ぶことと直結している割には、拍子抜けするほど安価でどこでも購入できる。
学校では、教師用教科書、とか、指導書、とか、指導資料、とかがある。
これらは、使っている教科書の会社が、教師のために、教材の解説や、授業の計画や、実際の授業の仕方などを、そのままやれば、授業になるように作ったものである。
こちらの方は、相当に高価であるが、学校関係しか購入することはできないので、ご家庭で見ることはできない。
教師用教科書は、子どもたちと同じ体裁になっているけれども、ページのあちこちに赤文字で授業の仕方が書いてあるので、目ざとい子どもたちは、すぐに先生がそれを使っていることを知ることができる。
内緒の話、もう時効になっていると思うけれど、それらをコピーして教育実習生に配ってやったことも何回もある。
「この資料を超えるぐらいの工夫をして子どもたちと授業を創造しなさい」
という気持ちであった。
私は、授業でそれらのものを使ったことは、初任から今まで一度もない。
このことに気づく子どもたちもいて驚いたことがある。
「伊東先生は、これまでの先生と違って、いつも子どもと同じ教科書をつかてるね」
そのあと「だから授業がおもしろいのか」とその子たちが言ったかどうか。
それはよく覚えてないけれど、私は、初任から3年は苦労したけれど、その後はどの教科も授業が楽しかった、という、たわいもない話である。