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年の差が20歳で結婚生活20年になるといろいろありますので少しずつお話①

ほとんどが実話ですが、なんでも書く訳にも行きませんし、それでどうなるのかなどは、読んでいただくうちにおわかりいただけると思います。


新妻の年齢は24歳

初夜

いきなりの話題で驚かれるかも知れませんが、こちらが驚いた話です。

結婚式が終わって、新婚旅行は翌日から、ということで彼女が妻として初めて私の家に来ました。

彼女は、その年の春に音大の大学院を修了したばかりで、大学も大学院も自宅から通ってました。

しばらくして落ち着いたときに彼女が言います。

「もう家に帰らなくてよくなった。生まれて初めてだなあ」

親元を離れて初めて下宿をする大学生のようなことを言います。

私は大学や大学院や仕事先の関係で、それまでにあちこちで下宿などしていた経験がありますから、これを聞いたときは、ちょっと新鮮な気分になりました。

そして朝。

ここの話題が飛ぶのは、年の差の結婚式が私にはものすごく心身の疲れをもたらして、実のところ、ベッドに入ったらほとんどすぐに眠ってしまったのです。

はっとして隣を見ました。

誰もいません。

それだけでなく、何かガサガサするものが、私の顔の近くにあります。

よく見ると、コンビニの袋で、中には空になった弁当箱が入っていました。

「お腹が空いたら食べなさい」と、どちらかの親戚が渡してくれたものです。

私は結婚式の最中も、いろんなことで胸がいっぱいで、ほとんど何も食べることができていませんでした。

ところが彼女の方は、若いのも興奮しているのもあってか、これまでにいろんな結婚式に参列させてもらったけれど「こんなに飲み食いする花嫁は見たことがない」というぐらいお皿もグラスもすっかり空にしていたのでした。

その後もときどき、この初夜のことは二人の話題になります。

若い妻を迎えて、朝になったら、コンビニ弁当の空箱になっていて、びっくり仰天。

どれかが、タヌキ、だったのでしょうか。

出会い

20歳も年の差がある。

しかも私の仕事は、学校の先生である。

ここで誰もが考えることは、20歳も年下の新妻は、教え子ではないか。

その通り、教え子、になります。しかも、小学校の。

彼女は、小学校の吹奏楽部でテナーサックスを担当し、6年生のときには部長でした。

中学校から高校へと進学しながらアルトサックスの練習を続け、そのまま音大に入学しました。

一方で私は小学校の教員になる前から、かなりレベルの高い管楽器のアンサンブル合奏団を創設していて、教員になってからも盛んに活動していました。

その管楽合奏団のメンバーに、小学生の子どもたちの練習をみてもらうこともよくありました。

小学校を卒業した彼女は。もともと負けん気が強い上に、家庭環境も恵まれていましたので、個人レッスンができる部屋を作ってもらい、相当に練習して腕を上げてきました。

それで、アンサンブル合奏団のメンバーからも楽器の腕前を認められて、メンバーに加わることになりました。

ただ、私が彼女を可愛がり過ぎるので、そのことについて苦言するメンバーもいました。

しかし、実際の演奏では、他の年長者に負けないほど難易度の高いことをこなすので、追い出されることはありませんでした。

できれば結婚したい、というようなことを彼女が考えたのは高校生から大学生になる頃でしょうか。

結婚の対象としての、出会い、と言えばそうなるのかも知れません。

ただ、彼女と私が出会ったのは、彼女が小学4年生のとき、つまり10歳になる年の音楽室での授業、ということになります。

付け加えれば、見た目、可愛い子がいるなとは思いましたが、そんなことは毎年、どの学級でもあることです。

私が彼女のことを特別に意識したのは、授業の終わりの挨拶のときに、毎回、一番後ろの席から音楽室の前にある扉まで来ていて、一番先に音楽室を飛び出す女の子がいる、ということでした。

音楽室の座席は、私は自由にしていたので、どの子も基本的には自分の座りたい場所に座っています。

彼女が座るのは、最後列の仲の良い友達の真ん中、とたいてい決まっていました。

あれこれ話すようになってから、彼女に尋ねました。

「4年生のとき、なんでいつも一番後ろの席に座り、授業が終わると、一番最初に音楽室を飛び出していたの」

「先生がこわかったから」


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