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母親ファースト万歳!!

この写真は、自分の本質をよくあらわしているなと思う。

これは昔ドイツに住んでいた頃、ヴェネツィアに旅した時のものだが、まだ幼い娘がバギーから私のジェラートを見つめている。まるで私が子供にあげずに自分ばかり食べているようだが、この時娘は昼寝から目を覚ましたばかりだったということ、このあと娘にも食べさせたことを付け加えておこう。

パッと見、子供がいても我が道をゆく母親、といった感じだが、実はそれこそが私の目指す母親像なのだ!

「母親たるもの子供のために自らを犠牲にするべし」といった論調をいまだに見かけることがあるが、自分のキャリアや人生を追求することと、こうした有形無形の同調圧力や価値観のはざまで苦しんでいる母親のなんと多いことか!

私はたまたま、娘が生後5ヶ月からオットの転勤で海外に行ったり来たりの生活が続き、子供を育てながらフルタイムで仕事もする、という生活はしてこなかった。なので、子供を育てながら働く母たちの気持ちは想像するしかないが、友人たちに聞くと、特に子供が小さいうちは一緒にいてあげられないことに対して、なんらかの罪悪感を感じている人が多いようだ。

でも、子供のためと自己犠牲を強いることが、果たして子供にとって良いことだろうか?自分がやりたいことを我慢して子供のためにとキリキリしている母親は、子供にとっては重荷でしかないのではないだろうか?

私自身は、産後は日本と海外の引っ越しのはざまで、ほんの少しフリーランスの仕事をしたくらいだ。これはビザの問題で出来なかったというだけではなく、自分でそうしたかったからで、子供のためだけではない。

1、仕事をする忙しい母親に育てられたので、自分は子供と過ごしたかった
2、出産するまで思う存分仕事をしたので、今度は、子育てという面白そうな未知の分野を集中的にやってみたかった
3、仕事をするとのめり込む性格で、両立しようとして自分がイライラするのがわかっていたので、子供が小さいうちは仕事をしたくなかった

と、我ながら見事に自分軸だ。ちなみに今やっているオンライン授業推進の署名運動も、最初は子供のためと思って始めたけれど、結局は自分がしたいから続けている。なぜなら自分の子供の学校は、署名運動を開始して随分たってからオンライン化したし、学校以外でオンライン学習を担保し、すでに始めているので、もはや自分の子供のためというよりは、自分の信念に基づいての行動だと言える。

だから子供とずっと過ごしてきた私に対して「お子さん第一に考えていらして、素晴らしいお母さまですね!」なんて言われると、気持ちが悪くて仕方がないのだ。仕事をするにしてもしないにしても、本人が心底やりたいことであれば、それが一番良いのではないだろうか。他人の評価で良し悪しが決まるようなことではないし、ましてや自分を責めるようなことでもない。

私は、自分を犠牲にしてまで子供を愛せるような出来た人間ではないし、母親が自分を満たしていなければ子供にも愛情を注げないという、シャンパンタワーの法則は真実だと思う。だから、まずは母親ファースト。もちろんこれは、ただ身勝手でいいとか、育児放棄して好きなことを追求するとかそういう話ではない。でも、自分が満たされないまま子供に愛情を注ぐというのでは、自分が疲弊していくだけだと思う。

父親たちは、子育て協力も大事だけれど、まずは母親が自分の人生に満足感を得られるように、サポートをしてあげられると理想なのかなと思う。そうすることで母親が安定して、子育てに仕事に邁進できるのだから。

結局のところ、家庭がうまくいくかどうかは、母親が自分ファーストで毎日笑っていられるかどうかにかかっているのかもしれない。母親が自由でいれば、子供も自由でいられる。だから、私は今でも娘とアイスクリームを取り合ったりしているのだ!母親ファースト万歳!!


http://chng.it/hT7ZbzX7

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