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あんたも数寄ねぇ... 【スピLv01】

うろ覚えと、なんか感覚的にしか覚えがないんですが。

カトちゃんのコントで「あんたも好きねえ」という落ちのシーンがあったと思います。(加藤茶さん)

当時も子供ながらにあまり意味深く、よく分からず笑っていたと思うんですが。

いまになって、これはニュアンスとしては、「あんたも‘数寄’ねぇ」と言う意味も含んでいるのかと。。

「数奇な運命」とか「数奇者」とイメージしますが。

数奇って単語の概念が調べても多方面で、ぼくとしてはお茶の文化から、当時の流行りモノやコトよりも、自分の好きなものを欲した人を「数寄者」と言う意味合いがしっくりきます。戦国の時代の茶人、僧侶が思い当たります。

遡ると、平清盛の時代に、身分の高い武士として生まれつつも若くして出家した、西行法師も数寄だと言われます。

この方は知人の話によると、俗世(大衆の人の世界)から離れ、詩を書きながら悟りを開いていったそうです、桜というキーワードを元に自分の思いを物語ろうとしているそうです。

「仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば」

俗世とは離れて暮らしていくときめても、詩を残す=後世に残したいという自我と、悟りの葛藤がみられるというのです。

その辺り考えると、恐らく人間(物質)と光の存在(精神)、人間として生まれ悟っていたとしても、桜や肉体、物質には精神では言い表せない価値?可能性を伝えようとしていたのではと感じるのです。

古田織部しかり、数奇者と呼ばれる者は一般的には、波乱万丈の人生と後世に受け継がれます。

それは肉体でありながらも物質に留まらず、何か自分の価値ー可能性を見出したいと生きた人が、数奇な人生だったと結果言われるのだろうと。

そいうことであれば、自分も数寄な運命を辿りたいと願うのです♪

カトちゃんの言う、「あんたも好きねぇ」はわかりませんが。。😂

根本は現代用語で言うと「マニアックだねぇ」ということもであるのかな。。?!そういう意味では、通ずるところもありますね♪

あとわけわかりませんが。。数寄者の思考と「幾何学」も通ずるところがあると思うのですがぼくの物質的マインドではまだ悟れておりません🐒

またそのうち💡✨

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みつしげ|茶人・デザイナー
お茶をカジュアルに体感してもらえるセッション型のサービス「りやすめ」を始めようと思っていますのでそちらで使用させていただきます♪

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