週休3日制導入より先にすべきことがあるんちゃう?
日本の労働生産性は先進国の中では低い位置にいる。このことが良くないという意見を持つ人は多い。私ももちろんその1人である。だが冷静に考えてみたときに、「労働生産性が向上する」とは具体的に何を変化すべきかを明確に理解している人が少ないようにも思う。言い換えるなら、労働生産性が上がることで今の自分の在り方がどう変化するかいうところまでは考えている人が少ないとも言える。素人目線ではあるが、今回はこれについて考えてみたので、エンタメの一つとして最後まで目を通していただけたら私としてはこれほど嬉しいことはない。
労働生産性とは「時間当たりの行動の効率さや物の生産量」を指す。例えば、1時間で1個ケーキを作ることができる店と1時間で2個作ることが出来る店ではどちらの方が労働生産性が高いか。もちろん後者である。この時、後者はどうやって前者よりも多くケーキを作ったのかといったことを考えるのが労働生産性の議論の中心にある。
今のところの日本の主な解決法は「人件費を投入する」ことである。人が減ったら補填し、新たな事業を始める時に人材を増やす。働き手の人数がそのまま業務の効率化に直結していると考えているように見える。だからこそ、こうした労働生産性の話について回るのが「週休3日制」であるように思う。休みが増えれば働き手が十分に休むことができるから、仕事にやる気を持って取り組んでくれるだろうということだ。つまり、休みの日が増えれば、働き手を満足させることができると考えているようにも思う。
だが、週休3日制を導入するならば、この労働生産性を上げてからでないと導入できないのではないか、というのが今回の結論である。言い換えるなら、週休3日制を導入する前にもっと考えなければいけないことがあるのではないか、ということだ。
そう考える理由は主に3つである。
①会社における"人財"の扱い方
まずは働く人たちの問題である。
当たり前だが、働く人がどういう環境で働くかが生産性に大きく関わる。劣悪な環境にいれば、どんなタフな人間であろうと、3ヶ月もせずに効率的な働き方はできなくなり、人によっては辞めてしまう。つまり、質の高い休みを提供することが会社が会社員にすべきことであり、結果的にそれが最も会社にとって利益の上がる行動である。
では、質の高い休みの提供とはなんだろうか。それは「オンとオフの線引きがしっかりしていること」ではないかと、私は考えている。
私は介護士の仕事をしていたことがある。この仕事は人と人のつながりやおもてなしなど、金銭にならない価値を業務中提供し続けている。それ故、働き手に負荷がかかる仕事であると私は考えている。丁寧にオムツ交換すれば給料が上がるということもなければ、多少相手からの要求を無視する瞬間があっても給料が下がるということもない。
有料老人ホームであれば、1日に3〜40人くらいのご利用者様をたった3〜4人で面倒を見る。その全員に丁寧に接するということがいかに難しいことかはやったことがなくても想像に難くないだろう。しかもその作業のほとんどが自分の金銭に結びつかないのであれば尚のこと前向きに捉え続けていくのは仏でも難しい。
私だけかもしれないが、このように人とのつながりの深さは仕事の負荷に直結する。それは休みが与えられたからといって体が休まる類のものではない。
介護士において言えば、今日相手にした人が次の出勤時にはいないかもしれない、そんな職業である。神経が麻痺ってこないと、人の死はたとえ他人であってもきつい。
また営業マンはいつ何時お客様から電話がかかってきてもいいように社用携帯を持ち歩いていることが多い。呼び出しをくらえばすぐさま直行する可能性が常に付きまとう。
要するに、日本での仕事の多くは働き手に負荷をかけて成立している側面があり、休みを増やす前に精神的に休まらない労働環境をまず変えるべきではないだろうか。簡単に言えば、今の労働環境のまま休みの日が増えたところで、労働生産性は上がらないと思う。
②週休3日制導入の前提の矛盾
続いては現在の企業に週休3日制を導入したら、現実的にどう処理をしていくことになるのかである。
現在「1日8時間、週5日」で多くの会社員は働いている。ここに週休3日制を導入したらどうなるかというと、多くの場合は「1日10時間、週4日」となるだろう。これならばリモートワークなどと組み合わせたら確かに導入できるのかもしれない。
だが根本的なところを見落としているのではないか、と私は思う。それは何かというと「何のために週休3日制を導入するのか」というところだ。これは①で解説した通り、「十分な休息を社員に与えて労働生産性をあげること」が目的だったはずである。
この「1日10時間」労働方式はどうだろうか。労働生産性が上がっているんだろうか。当然上がっていない。むしろ1日当たりの労働時間が伸びている分、働き手に負荷がかかっているではないか。そして休みが増えれば回復できるかという点だが、これも先に述べた通り、現在の日本企業での働き方の性質上、休みが休みとしてあまり機能していない。
そもそも労働生産性とは「時間当たりの行動の効率さや物の生産量」である。さっきのケーキ屋で言うならば、8時間で16個作っていたところを8時間で20個作るという話である。2時間残業してケーキの個数を20個に増やすことは、当然生産性が上がっているとは言えない。
そして労働生産性が上がらない要因の一つが「残業などによる長時間労働」である。週休3日制による10時間労働は、言い換えるなら「1日多く休みを与えるかわりに毎日2時間残業している」のと変わらないのである。
つまり、現状を何も変えずに週休3日制を導入をしようとしている点が根本的にズレているのではなかろうか。目的は週休3日制を導入することではない、導入して労働生産性をあげることである。
これに近いことをしている企業がどうやらあるらしいが、その多くは1日分の給料を減らしているようである。それなら休みはいいから働いて稼がせてくれ、という人の方が多そうであるし、私ならそのように言う。
3.海外でのモデルケース
最後に日本での導入の仕方が海外のそれと比べて変であることだ。
この働き方は元々海外で実践され、その結果生産性が上がったと言われたことで日本でも導入したらどうかという話だったはずだ。では海外ではどんな風に試したのか。
アイルランドでは労働人口の1%にあたる2500人程度を対象に週休3日制を導入した。簡単に調べたところ、具体的には導入するにあたって「週40時間→35時間」に変更したとのこと。その結果、導入前と後で生産性の低下が見られず、働き手の幸福度が増したということである。
結論はたしかに「週休3日制で幸福度が増した」と言えるが、この議論をする上でのポイントは大きく2つあると考えている。
まずは「収入は減らしていない」という点だ。週40時間でもらっていた給料を週35時間でもらえるということは、1日当たりの給料が相対的に上がる。日本で導入するときは「1日でどのくらい稼ぐか」で考えている節がある。それが「1日10時間への変更」という代替案である。だが生産性が上がった国の多くはおそらく「1週間でどのくらい稼ぐか」と考えているのかもしれない。その結果が働く時間そのものの減少と結びついていると読み取れる。
そして「働く時間以外にも減らしたものがある」ということだ。例えば、会議の時間は30分以内にし、メンバーも本当に重要な人物のみ参加するよう変更したという。
このように働く時間を短くするということは、今までのやり方を変えるということに他ならない。削れるところをいかに削るか、そして質を落とさないような工夫をするにはどうするかを社員一丸となって努力したという背景が幸福度の上昇につながっているように思う。つまり、これらの実験は休みが増えたから幸福度が上がったとは言い切れない側面がある。
このまま終わると「会社員でもないお前に何が分かるんだ」と言われそうなので、どう解決したらいいのか、素人目線ではあるが、語って終わるとする。
まずは「便利を捨てる」ことである。日本はおもてなし大国である。お客様、なんて言葉があるように、買い物をする人を丁重に扱うことに美徳がある。レストランのお冷、百貨店などでのラッピング、コンビニなど、挙げ出せばキリがないほどに客を神同然に扱うよう教育されている。
これらが海外の方々から好評である一方で、やりすぎている部分があるようにも思う。例えばコンビニは今やライフラインの一つである。配送もできるし、欲しいものも買える。(田舎であればトイレも貸してくれる)だがこれが成り立つのはコンビニ店員というその道の素人にプロの役割を押し付けているからである。
日本では「何でも屋を育成することが教育である」という節がある。海外で週休3日制が導入できるのは仕事の役割が明確である契約スタイルをとっているという側面もあり、日本でもし導入していきたいなら、社員教育そのものを見直す必要が出てくるだろう。その時、現在の働き方を大きく転換しなくてはいけない人物が出てくることは避けられないだろう。その人物とその影響を受ける周りの人たちが新しい在り方を受け入れられるのかどうかがポイントではないだろうか。
そして「使えるものを使った働き方」をすることだ。例えば、ペーパーレス化である。印刷された資料を会議のたびに作り、その議事録をファイルに保管する、みたいな働き方をしている。非効率極まりないが、お金をかけてまでこれをいまだに取り入れているのは、「紙で仕事をすることで安心するから」ではないだろうか。そうでないなら、SDG’sに全く配慮していない時代に逆行し、しかもお金と人員を無駄遣いした働き方と言わざるを得ない。共有したい資料があるならでかい画面にでも移せばいいし、資料を自分で保管したいならiPadでも使えばいいのである。それに印刷するというのは多大な手間がかかる。この手間に人件費がかかっている。働き手と雇用主に必要なのは現在の技術を上手く業務に取り入れて仕事をする勇気なのかもしれない。
あと忘れがちだが、休みたくない人とのバランスも考慮しておく方がいいだろう。全員が全員休みを喉から手が出るほど欲しているわけではない。その点を考慮すると、働き手に「週休2日か3日か選べる」という裁量が与えられている方がよいだろう。その際、仕事に携わる時間以外でその人の業務を評価する方法も考えていく必要があるだろう。なぜなら、休みの量で仕事の評価に差が生まれてはいけないからだ。仕事の成果を追い求めている人が週休3日を選んだ時に、週休2日の人と比べて出世しにくいとなると、「出世したいなら3日も休んではいけない」という風潮が生まれかねない。これでは今と何も変わらない。
今でさえ休みを返上して仕事しろという雰囲気の中で働いている人がいる。そのような誰もが疲弊し切っている状況で働き手が幸せを感じられなくなっているから週休3日を導入してくれと懇願する人が増えてきているように思う。
休めさえすれば生産性が上がるという一種の神話を信じて、週休3日制を心待ちにしている人がいるかもしれない。だが、それは考え方が甘いのではないかと思う。その理由は先に述べた通りである。今の働き方を労働時間以外に改善する方法を全員が考えていかなければいけない転換点に私たちは立っている意識を持つべきだろう。
私は、週休3日制を今のまま導入したら、働き手がしんどいだけだと思う。そこでまず目指すべきは「今の生産性を保ったまま労働時間を週40時間にとどめる」ことではなかろうか。それが実現可能な技術を日本はすでに持っているし、なければ開発できる能力があると私は信じている。ただそれが実現されるためには、今よりもっと効率的に短時間で働くことを追求する人物が上に立たなければならない。そして、稼ぐためには長時間労働は仕方ないという悪しき風習を一丸となって脱却していかなくてはいけない。