恋愛の技術を使う際の注意点
昨今では簡単に「恋愛ノウハウ」が手に入る。恋愛するにも技術が必要な時代になったのか、昔からそうだったが知る人ぞ知る恋愛ノウハウが共有されてありがたい時代になったのか私にはわからない。
あり余る恋愛ノウハウの解説動画を見ると、どの動画もかなりの視聴回数を出してる。おそらく恋愛で悩む方たちにとって恋愛ノウハウは興味もあるし、喉から手が出るほど欲しい情報なのかもしれない。
今回話したいのはそんな情報を喉から手が出るほど欲してる方達への注意喚起である。今から話す内容は残念だが、よく言われる内容だ。二番煎じに興味がない方は別の記事に行ってもらって構わない。
だが、動画を出してる人は絶対に言わない内容だ。なぜならそんなこと言い出すと、「自分の恋愛ノウハウを根底から否定しかねないから」である。
それでも私は恋愛を是が非でもしたい人なら無視してしまう内容を言いたい。
なぜなら恋愛ノウハウが持つ魔力に気づいてほしいからだ。まるで使いこなせば自分も意中の相手を落とすことができる魔法かのようなノウハウが実際は錯覚だと気付き、自分の身の丈にあった相手といることの幸せを知ってほしいと思う。
ではそんな恋愛ノウハウを根底から揺るがす内容とは何か。それは2つある。
まず一つ目は「ノウハウは相関関係で成り立っている」ということだ。つまり「それを実行したからといって結果が伴うとは限らない」ということである。何と当たり前な話である。だが恋愛をすると、この当たり前を人は簡単に見落とすし、無視してしまう。
例えばバレンタインデーとホワイトデーである。
日本ではバレンタインデーに女性から男性にチョコを渡すという(謎の)風習がある。このチョコを渡す相手は「好きな相手」と考えるのが相場である。
だが最近はそうではなくなりつつある。そう、友チョコという考え方も増えてきたからだ。だから自分と仲がいい女性が必ずしも自分のことを恋愛対象として見ているとは言えない。そこを見誤ってホワイトデーにやりすぎたことをすると金輪際会えなくなる。(私はこれで1敗している)
そして2つ目は「テクニックを使わなくてもうまくいくことがある」ということだ。言い換えれば、「テクニックを使って振り向いてくれる人は元々自分と釣り合っていない」ということだ。
高嶺の花を自分のものにしたいという欲求はたしかに分かる。だが、手にしたその花を生かすも殺すもあなた次第である。
私には非常に仲のいいアセクシャルの女友達がいる。共通の趣味は「酒」で、気になる店を見つけては2人で行き、他愛もない話をして解散する。これを側から見れば、人はカップルと呼ぶのかもしれない。
(ただ互いにそんな気はおそらくない)
恋愛感情があまりわからない私を例に出して申し訳ない。何が言いたいのかというと、人は説明できないけど偶然仲良くなることがあるのだ。それは異性だろうが同性だろうが関係ない。仲良くなれる人とはすんなり仲良くなるもので、気を使う人はずっと気を使う者である。
すんなり仲良くなる人にも最初は意識して頑張っていたのかもしれない。だが今では昔からそんな仲だったかのようなやり取りを無理することなくする。
恋愛感情ない私の話が例になるのかわからないが、きっと恋愛とは本来こういう過程を自然と通るものではなかろうか。最初のきっかけは男と女だったが、いつの間にか人と人の関係になる。そしてその関係になると根底にはどんな形であれ、相手から愛情が多少あるんだろうなとふわっと分かる、そんな関係だ。
この言語化が難しい関係性を動画で得た技術を駆使して意識的に作り出すのは至難の業である、と理解しておいた方がいい。
だから多くの動画では「個人面談」に誘導している。真相はわからないが、あなたのパーソナリティに沿った付き合い方を"タダで"考えてくれるのだろう。
だが、誰かと付き合うのに最終的に必要なことは「自分の個性に対する絶対的な自信」であることを忘れてはいけない。それを人は自己肯定感ともいうかもしれないが、そうとは言い切れないかもしれないと私は思う。その例を紹介したい。
私のとある友人は結婚するかどうかを決めた基準は「卑屈な自分を受け入れてくれたから」と言っていた。つまり彼はそれほど自分を変えてない。自己肯定感の観点から言えば、卑屈さは良いこととはお世辞にも言えない。けれども結婚できている。これは卑屈でもそれが自分だという感情が根底にあり、それをふるいにして人を見極め、実際にそれでもいいという人を見つけたのである。
言い換えれば、ポジティブなだけが自己肯定感ではないのだ。ネガティブな要素にも自己肯定感は使うことができる。そしてそのネガティヴが心地いいと感じる人も少ないが存在している。
それに人はあまりに出来すぎた人を見ると自分と違う人だと感じるものだ。自分のコンプレックスやデメリットは他人にとっては多少のスパイスである。あまり自分を変えすぎるのも良くない。
以上より、親密な関係にすんなりなれる相手を見つける唯一必要な技術は「さまざまな異性と何度も会うこと」かもしれない。
こういうこと言うと、「恋愛したことないくせに偉そうだ。しかも自分に恋愛をするなと言うのか」的な批判も来そうだ。
だが冷静になって考えてほしい。
あなたはなぜ恋人やパートナーが欲しいのか
いっときの寂しさを埋めるためならば手段を選ぶ暇はない。しかし多くの方は「今後の自分の生活をともにしていける安らぎを与えてくれる存在」を探しているのではないだろうか。
この安らぎを理由にしていながらテクニックで仲良くなると、とある落とし穴にハマる可能性があると考えている。
巷の恋愛ノウハウでは会った先の展開すらチャートが網羅されている。
「マッチングアプリではこういう話をしましょう」
「相手と長く話を続けるように質問で返しましょう」
「反応は普段の5倍はよくしましょう」
こんなことが平気で言われているが、問題は「そのテクニックで落とすと、それが相手にとっての普通になってしまう」ことだ。
つまり、ノウハウの落とし穴とは「あなたはその人を落とすために使ったテクニックを関係をもつ間、一生使い続ける」可能性があるということだ。
こうなったら穴に対する解答方法は2つしか残されていない。「嫌われる覚悟で素で接する」か「そのテクニックを呼吸のごとく体得するか」である。多くの男性にとって恋愛とは「SEXまでのゲーム」と男女の違いについて書いた本に書いてあった。つまり「一回抱ければ勝ち」というのが生物学的な人間のオスであり、そこまでは是が非でも紳士になれてしまう。
だが、男女関係の勝負はたいてい抱いた後から始まる。それまでの時点で素が出せないという男性はその後に素を出すまで「いつか嫌われるかもしれない」という心持ちが常に付きまとう。結婚して仕舞えば勝ちという人もいるが、そうとは言い切れない。なんたって日本では3組に1組は「価値観の違い」を理由に離婚してるのだから、、、
自分の素を出した結果で価値観がズレたのか。そもそも価値観が合わないのに合っていると錯覚させていたのか。真相は当人にしかわからない。
だからこそ男性たちに救いの手を差し伸べる一言を言いたい。
身だしなみさえ整えて出会いの場に繰り出せば1人くらいは必ず自分に興味を持つ女性が現れるぞ。
恋愛市場では「清潔感」と表現されることが多いが、これだと男には全くわからない。なぜなら、男はそんなことを気にして外を出たりしないからだ。新しい価値観すぎて、ネット民は「イケメンに限る」などと言ってよく噛み付いている。
清潔感とは簡単に言えば「職場の上司にその態度や身だしなみをするかという基準」のことである。
仮に髪にフケがついたまま上司と会話ができるような人はそういった癖を即刻やめた方がいい。言わないだけで評価がみるみるうちに下がり、次第には仕事を与えてもらえなくなる。
そして女性の見る目はもっと厳しい。隣に一生いるかもしれない人が汚いのは男でも嫌だろう。自分史上最高の綺麗さは常に保っといた方がいい。
そして散々言ってきた会話などのテクニックはあまり気にする必要がないと私は思う。なぜなら、先ほども述べたがあまりに本来の自分よりも出来た自分を作り上げると、後で苦労するのは自分だからだ。ノウハウを使うなら「少し親切に接する程度」くらいに留めることを強く勧めたい。
それに相手も緊張している。互いに自分のことに必死で、どう相手をたのしませるかだけが先行している。そんな楽しませ合い合戦の最中では、変なテクニックを10個使うよりも笑顔で会話する方が100倍モテる。なぜかというと、人は楽しそうな人といると楽しくなり、親近感が次第に湧いてくるからだ。
(※自分が相手を盛り上げるのではなく、自分が相手で盛り上がる点にご注意を。)
そして最後に重要なことを。
その先仲良くなるかどうかは正直運である。どんなにテクニックを駆使しても全員と仲良くなれるわけではない。距離が離れてしまった人とはそれまでのことに感謝して素直に別れよう。