恋愛用語辞典「恋人候補」
両思いなのに振られる理由
私はノンセクシャルである。ノンセクシャルとは一言で言えば「SEXは嫌だけど恋はしたい」というタイプだ。私の中では「ドキドキしない人=好きな人」である。
しかし、世間一般では「恋とはドキドキするものである」という意見が多数派である。その結果、恋愛をするためには、まず意中の人に「異性」と思われることから始まる。
私はこの恋の捉え方に周囲との差を感じ、何度も苦労してきた。
数多くの失恋の直接な原因は「異性として見られない」からだ。この言葉は言い換えれば、「関係が落ちついちゃってドキドキできないので好きだという実感がない」ということになる。
そう、実は意見自体は一致している。
ただ私が好きな理由が向こうの振る理由になっているので、告白が全く上手くいかないのである。
一般に、ドキドキしない人は「恋人候補」というフォルダに仲間入りできない。そして恋愛至上主義の現在では、「恋人候補」はほぼ結婚相手候補と同義である。
私は結婚したいと思っている。当然、相手選びの過程で多数派と出会う可能性が高いので、結婚したい私は「恋人候補」の正体を知る必要があった。そして意識的に「恋人候補」に入れなければ恋愛ができず、結婚にたどり着けないと考えていた時期があった。
恋愛において意中の人の「恋人候補」になれず、嘆いている人はたくさんいるはずだ。
そんな悩んでいる方がいたら読んでほしい。
「恋人候補」とは
「異性として見れない、ごめん」
この言葉は「特に理由はないけど、あなたを何となく好きではないことだけは分かる」という意味だ。「振る側の相手を傷つけたくない配慮」と「好きになることはないから諦めろという心情」をぼかすのに非常に適している。
この理由で振られた人は星の数ほどいることだろう。
そもそも「異性として見れない」とはどういう状況か整理してみたい。
恋愛における「異性」とは
そもそも「異性」とは何だろうか。私は男性であり、女性を好きになるセクシャリティである。しかし、この世には同性を好きになるタイプの人もいる。おそらくだが、こういったタイプの方も「異性として見れない」という壁に阻まれたことがあるのではなかろうか。
つまり「異性」とは見た目の話ではない。
では何なのか。
私が思うにそれは「特別感」である。こう考えるようになったのは、私が振られた瞬間を分析したのがきっかけだ。
私が振られた人はたいてい自分がドキドキした人である。ドキドキすると人は冷静さを欠く。その時人は相手も同じように胸が高鳴っていると期待を無意識にかける。
その結果、相手との心の距離感を見誤る。相手から求められてないことを勝手に想像し、無理やり喜ばせようとしてしまう。
相手は「相手の好意を無碍にするのを避けるためのありがとう」を言ってくれる。冷静さを欠いた人はそれを「心からの感謝」と捉える。この積み重ねを仲良くなったと勘違いし、結果的に負け戦をして振られるのだ。
恋にはドキドキ感が必要だと考える人が多い。
だがそのドキドキの正体はたいてい「自分の本来の生活ではあり得ない」という不安と期待の感情である。
ゲッターズ飯田氏もいつしかのラジオで「ドキドキは防御反応であり、本当に相性が合う人は変な緊張がない」といった旨を言っていたのを思い出した。
つまり、異性とは「異星」である。
だが、人は「異星人」にしか自分の生活では起こり得ない期待をかけることができない。変わり映えのない日常に彩りを与えてほしいという願望を「異星人」に託すのだ。それに「自分と逆のタイプの人を結婚相手にするといい」といったアドバイスも世間に認められていたりする。
したがって、恋愛にはこの「異星人」が自分の生活をいい意味で一変させてくれると考える傾向にある。
今目の前にいる人がこの「異星人」であることを知らせるアラームこそがドキドキなのだ。それがある一定の基準をクリアすると「恋の」という形容詞がくっつく。
恋のドキドキが好きな人は「異星人」との関係が安定した時、概ね2つの結末を迎える。
ひとつは「安心感」である。純粋に「同星人」になることができた、もしくは相手の生態を受け入れることが出来たという状態だ。一旦こうなると、余程のことがない限り相手を裏切るようなことはせず、小さい愛情に日々感謝できるようになることもある。
もう一つは「欠乏感」である。人は今まで築くのに積み上げてきた関係を真っさらにすることに抵抗があるため、別れるという選択肢を選びにくい。しかし、恋のドキドキでしか人からの愛を得られない人も少なからず存在する。故に、ドキドキしないのは相手を好きでなくなったからだと考え、別れを切り出す。
技術で「恋人候補」になることは可能か
先ほどの章で「異性=異星」と書いた。
つまり「恋人候補」とは「優良な異星人」のことである。
では「優良」とは何を指すか。
それは「無意識」がポイントである。
人は5〜7秒の第一印象でその人の好き嫌いを決定する。恋愛指南書には「見た目に投資しろ」と言ったことが書かれる。それは見た目で得すること以上に、第一印象での好き嫌いをあとになって覆すことがほぼ不可能だからである。
要するに「パッと見で好き」と思われることが、恋してもらうための条件なのである。
だが、実は見た目を整えればいいとも限らない。それは顕在意識の問題であるからだ。人には潜在意識も存在する。本当の勝負は言葉にならない部分にある。
要するに「異性として見られる」とは、言い換えれば「パッと見良さそうだし、すでに何となく好き」を会った段階で築くことだ。
そんなことが技術的に可能なのか。
否、不可能である。
私たちができることは見た目を整えた上で「何となく好き」と思ってくれた人を大事にすることだけだ。
会話のテクニックでもなんでも使って、その場を盛り上げてとにかくワンナイトに持ち込めればそれでいい、という人には絶対理解されない結論だろう。
ただ、結婚という生活上のパートナーをもし見つけたくて奔走しているならば、回数会って「何となく好かれてる」感覚を学ばなくてはいけない。頭では「好きでい続ける」と思えていても、実際相手から好かれる感覚がないと、かなりしんどいものである。
しかも、浅い愛情の言葉は見透かされるものだ。言えばいいというものでもない。
だから、相手から好かれようと変に自分をよく見せる必要はない。マナー違反だけ気をつけて、場を全力で楽しむ。それが出来ない相手とは潔く距離を置くのがいいと思う。
なのでこの記事の結論は「恋人候補」とは「見た目の及第点を超えた無意識的に好きな人」であり、それを完全に技術で身につけることは不可能に近い。
ちなみに異性の友達は何かというと、「理性的に好きな人」のことである。頭ではいい人と解釈しているが、実は無意識的にはそこまで好きではない人という方が近い。「あれ、実はいい奴じゃん」といった経験則をベースに無意識の結論を捻じ曲げることで成立している関係性とも言える。
なので、この異性の友人に告白をすると、それまで相手が理性で捻じ曲げていた友人としての解釈にヒビが入ることになる。「勇気を持って告白した方がいい」なんて呑気なことを言う輩がいるが、ほんとに相性がいいとき、告白に勇気は必要ないのである。
まぁ奇跡的に相手もそれを好きと思ってくれることが、本来の両思いなのかもしれないが…