娘に伝えたい、僕がクビになった話
あなたにとって、
人生で一番大切なことって何ですか?
お金でしょうか?
家族でしょうか?
それとも、仕事でしょうか?
私にとって、それは、
自分の心と向き合う事です。
僕はこの事に気づくまでに
32年という歳月を費やしました。
でも、この事に気付いてから僕は
それまでの人生から脱却する事ができました。
・何をしても常に不安な状態
・いつか嫌われるんじゃないかというマイナス思考
・朝から夜までずっと自己嫌悪な状態
・とてつもなく自己肯定感が低い状態
・常に他人を気にして生きていた
こんな状態から今は、
・何を選んでも良いと思える
・やっぱり大丈夫なんだ、と心から安心している
・自分の本当の望みと向き合える
何よりも、
自分のことを好きだと本心で言える状態。
この記事は、そんな状態に至るまでに体験した
「人生で1番のどん底の出来事」の話です。
大切な娘にも伝えている、めちゃくちゃ大切な話です。
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あー・・・
毎日おこられてばかりで
イヤになるなぁ・・・
いったい何のために生きてるんだろ。
この先も、この生活がずっと続くのか?
まだ28才だから、
あと30年以上コレ・・・?
ありえない。
どうしよう。
早く好きな事で独立して
ガンガン成功して
皆をあっとおどろかせたいな。
日々、そんなことを考えながら
車で会社にむかい
自分の机に座っていた。
朝早く、目が覚めた瞬間から
胸がドキドキして不安になり、
二度寝が出来ないほど怖い生活。
大企業から社員5人の営業会社に転職したばかりの僕は
職場ではどうやって数字をあげるのか
何もわからず、日々緊張して過ごしていた。
勤務時間が短い仕事を選んだおかげで、
早く帰ることはできた。
初めの頃は早く帰れるぶん、
独立に向けて副業を頑張るんだ、
と意気込んでいた。
でも、今の僕にはそんな気力さえ、
もうない・・・
5人の会社内で、
毎日僕だけが呼び出され、怒られる。
そんな毎日がイヤでイヤで、
逃げ出したい一心で、
独立や副業なんて考えられなかった。
いつからこんなことになったんだろ・・・
この先どうなるんだろう。。。
いつものクセで
過去の自分を責めるように
理由を探し始める。
絶望して、気力を失い
家でも暗い雰囲気で過ごす。
全てにおいて無気力だった。
何もやる気が出なかった。
【人生で初めてクビになった日】
そんなある日、
社長からまた呼び出しがあった。
「富士の樹海で研修がある!!!
そこに行って根性たたきなおしてこい!」
僕は一瞬にして下を向き、
目を強くつぶり
グッと両手を握りしめた。
悔しかった
こんなにもコイツの言うことで
僕の人生が苦しいなんて。。。
社長の怒り口調の言葉が続く。
「行きたくないなら、
さっさと辞めるか、今すぐ数字を上げろ!」
僕はその場で
行きたくない、と伝えた。
次の瞬間、
「なら、もう来なくていい。
今すぐ帰ってください。」
28才
奥さんがいるのに、
僕はこの歳で、
人生で初めて無職になった。
荷物をまとめ、出て行く僕には誰も声をかけてこない。
今までの苦痛の毎日から
解放された、という喜びと
どこか感じる得体も知れない不安感。
僕はこのとき
この先の生活を想像する事もなかった。
午後2時。
その日、無職になった僕は
肩を落としながら玄関のドアを開けた。
開けたドアの先には
涙を流しながら迎えてくれる奥さんがいた。
「頑張ったね」
その一言で緊張の糸がとけたのか
一気に涙が流れた。
こんな僕でごめんなさい。
こんな僕でごめんなさい。。。
何度、伝えただろう。
何度、言葉にしただろう
奥さんは、僕以上に不安だったかも知れないのに。
頼りない自分にいやけがさした。
頼りない自分が大嫌いになった。
そして、こんな人生を歩む事が、もう怖くなった
この先、働いてもまた同じことが起こるんじゃないか・・・
またすぐに辞めたくなる事が起こるんじゃないか・・・
その晩。
僕は不安はありながらも、
仕事から解放された安心感で眠りにつく事ができた。
翌朝、僕は
今までにない時間を手にして喜んだ。
無職といえども、何もしなくていい自由。
何をしてもいい自由。
毎日おこられていた僕は
日に日に元気になって行った。
奥さんがパートに行っている間
炊事、洗濯をテキパキとこなした。
そんな日々が楽しかった。
でも、そんな日々は長くは続かなかった・・・
1週間も経つと、
とてつもない不安感におそわれた。
それは、クビになったあの日感じていた、
なんとも言えない不安感だった。
この先、どうなるんだ?
この先、生きていけるのか?
次はどんなキツイ仕事をしなきゃいけないんだ?
現実として起こるかもわからない未来に
とてつもない不安感、恐怖感がわきおこった。
僕はまた日に日に落ち込んでいった。
そんな僕を見て、
当然奥さんも僕にイラだった。
言い合いになることもあった。
ケンカをすることもあった。
僕は時に、自分の体を傷つけることがあった。
それを見て泣く奥さんがそこにはいた。
それでも現実は何も変わらず、
不安で恐怖で支配され
ケンカと自傷が続き、4ヶ月がたっていた。
こんなにも自分がわからなくなった時は
後にも先にもこれが初めてだ。
必死にもがいた。
自分が何を求めているのか、必死に見出そうとした。
好きなことを仕事にしたい、
そんな事を言っていた僕は、もういなかった。
人として成長したい、その気持ちだけはあった。
こんなにもダメな人間についてきてくれた奥さん。
こんなにもダメだと自分で初めてわかった。
そんなとき、僕は、
洗濯物を片付けるために開けた押入れで
あるものが目にとまった。
「5年以上前から使っていたノートだ、、、」
そこには、当時の僕の想いが
ビッシリと書き殴られていた
好きなことを仕事にしたい!!!
好きな事が分からない・・・
分からないから分からない!!!
好きなことをしたら稼げるのか????
当時の色んな感情が
このノートには文字として残っていた。
僕はそれを見た瞬間に、
キッチンのテーブルに座り、一気に書きなぐり始めた!!!
今の僕はどうなりたいのか?
どんな人間になりたいのか?
どうやって生きていきたいのか?
ずっと書き続けた。
A4のノート5ページいっぱいに、一気に書いた。
同じ言葉でも何度も何度も書いた。
自分の気持ちが自分に伝わるまで書き続けた。
でも、答えは見つからなかった。
しっくりくる言葉が見つからなかった。
無職期間5ヶ月目。
僕は自問自答をする日々を繰り返した。
何が好きなのか。
何をしたいのか。
どんな人と生きていきたいのか。
どうなりたいのか。
毎日毎日書いた。
新しいノートも買ってきた。
それでも足りなかった。
だから、毎日書き続けた。
【自分だけの答え、との出会い】
これまで、こんなにも
自分と向き合ったことは無かった。
自分の気持ちがわからない以上
他人も僕の気持ちなんて分かるわけがない。
僕がどうなりたいのか。
どう生きていきたいのか。
何度も何度も泣きながら問いかけた。
そして、ある日ひとつの答えが出た。
「僕は、人を喜ばせる為に働く!」
今までお金や自由な時間だけを追い求め、
誰かのためにという想いが抜けていた僕にとって、
価値観が180度変わった瞬間だった。
それ以降、転職活動の結果も全く変わった。
受ける会社全てが次のステップに進む。
「内定は出すけど、君の人生の為にも他の会社も見てきなさい」
そんな言葉をくれる社長さんもいた。
結果、無職期間6ヶ月。
9社から内定をもらう事ができた。
この時から僕は、
自分の価値観を書き換える事で
人生は自分の思った通りになる、と確信した。
無職期間6ヶ月を終えた時。
新しい職場では
それまでの意識、行動とは
まったく違うものに変わっていた。
18時には思考能力が切れていた僕が
終電までアクセル全開で働き、
休日出勤はウソをついてでもやらなかった僕が
上司のために、と意気込んでいた。
それでも仕事には波があるもので
その時々でも辛いことはあった。
でも、何よりも充実感があり、心が満たされていた。
そんなある日、異動が決まった。
お世話になった上司の元を2年で離れることになった。
僕の中では、
次の上司のために頑張れるか
不安な気持ちが大きかった。
周りからは色んな言葉をかけられた。
「皆から求められているってことだよ」
「沢山仕事を覚えられてすごいよ」
「そんなに経験できるなんていいね」
そんな言葉は僕の心には響かなかった
他人の考えは他人の捉え方であって
それは僕の現実の捉え方ではない。
僕の内側は、不安しかなかった。
でも、僕はその不安を他人には言えなかった。
言うとバチが当たるようで怖かった。
でも、ここで我慢せずに
心の声を大きく発するべき、だったのかもしれない。
次の上司は
最初の頃は優しかったが、
日に日に僕は
怒られる事が多くなった。
日に日に、
監視の目が強くなっていった。
異動したばかりの時の
あの不安が当たった。
僕はいつしか、
2番目の上司のために頑張れなくなっていた。
上司が嫌で嫌で仕方なかった
僕は前の社長を思い出した。
あー・・・
あの時も同じように毎日怒鳴られてたな。
また辞めなきゃいけないのか。
やだな
やだな
やだな
やだな・・・
気づくと僕は
夕飯の支度をする奥さんに
辞めたい、と伝えていた。
異動してから半年のことだ。
キッチンの灯りだけの夕方。
僕の気持ちを表すように、夕方の家の中は薄暗かった。
大きな失敗をしたこと、
これまでになく怒られたこと、
全てを奥さんに話した。
すると奥さんはこう言った。
「仕事には波があるんだよ、
いい時もあれば悪い時もある」
「そんなので辞めてたら、
またあの無職の時みたいになるよ?」
落胆した。
それはガマンしろ、という言葉に感じたからだ。
僕はまた毎日、
ズキズキという不安で目が覚め
ズキズキという不安と一日を共に過ごし
ズキズキという不安を落ち着かせるように寝た。
来る日も来る日も
心のズキズキが痛かった。
土日も、ふとした瞬間にズキッと痛む。
日曜の夕方には気分が落ち込み、
何もやる気が起こらなくなる。
僕はこのズキズキと
一生付き合わなければいけないのか?
半分あきらめた。
でも、あきらめきれなかった。
【自分との向き合い方】
ズキズキをおさえこみながら
仕事をしていたある日。
僕はツイッターで
ある人の言葉に辿り着いた。
「感情をコントロール出来れば生きたいように生きられる」
どうやって辿り着いたかは分からない
でも、これが本当だとしたら・・・
半信半疑の僕は
この人に教えてもらう、と決めた。
全く会ったことも顔を見たこともない人。
でも、僕の中で確信があった。
いや、確信ではなく、
助けてほしい気持ちだけだったのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもよく
この毎日のズキズキがなくなる事を
心から望んでいたことに変わりはない。
僕はその人から学ぶことを始めた。
その人は日本で起業し
誰もが知る企業まで成長させ、
その会社を売却したのち、
今はマレーシアに住む資産家だ。
コンサルの金額は1ヶ月5万円。
半年で30万円、
年間にすると60万円、
10年にすると・・・・
金額の数字だけが
大きく感じられて怖くなった。
僕は、今までにこんな大金を
会った子もない人に払った経験がない。
でも僕の中では決まっていた。
「安心した毎日を過ごしたい」
その一心だった。
その時は、先のことなんて
全く考えてもいなかったけど
これ以上にリターンが大きかった投資はない。
そのあとも色んな教材や
セミナーに参加したけれども
このコンサルが基礎となったことは間違いない。
その日から僕とマレーシア資産家と
LINEのやり取りがはじまった。
マレーシア資産家の教えはこうだ。
感情はコントロールでき、
理想の感情にフォーカスし続ける事が
理想の現実を選ぶ行動につながり
理想の現実を引き寄せる。
だから、常に自分の感情を観察し
つねに理想の感情に戻しなさい。
僕は頭が混乱した。
感情がコントロールできる?
そんなわけがない。
感情は勝手に沸き起こるものだろ。
いやいや、無理だ。
でも、一度やると決めた以上
僕はマレーシア資産家のいうことを
まずは、頭で理解した。
心では理解できなかった。
腑に落ちない、という言葉が的確だった。
次の日から、僕は毎日
目が覚めた瞬間から
マレーシア資産家にメールを送った。
不安で心がズキズキする・・・
痛い!!!!
もう嫌だ!!!!
助けてください!!!
なんどもなんども
僕は助けを求めた。
家から職場の最寄り駅までも、
会社が目の前になっても、僕は助けを求めた。
それほどまでに仕事が嫌だった。
上司が嫌だった。
でも、マレーシア資産家からの返事はいつもこうだった。
理想の感情にフォーカスしなさい
焦りや不安の気持ちでいると、
その気持ちで選ぶ行動は
焦りや不安を感じる現実をおこします
僕は混乱し、怒りが湧いた。
僕の気持ちをわかってくれない。
助けてくれない。
・・・何も変わらない。
それでもやるしかなかった。
この時の僕は
自分の心と思考がゴチャゴチャになっていた。
頭なのか心なのか
どっちで感じているのか
自分でも全くわからなかった。
なによりも
自分のキモチが全くわからなかった。
そもそも、感情ってなんだ?
何かを感じることが僕にはできない、
そこまで思った。
僕は、不思議なキモチと
とてつもない不安感に襲われた。
マレーシア資産家のいうことが本当で
理想の感情にフォーカスしなきゃなのに
僕には感情という存在がない。
焦り始めた。
それでも僕は数少ない、
ズキズキ、不安という
感触を言葉として毎日送り続けた。
すると、ある日から少しづつ自分の中で変化が現れ始めた。
LINEコンサルを受け始めて約4ヶ月の頃の、ある土曜日。
晴れた日に家族と公園を散歩している時。
僕は、家族といる時の安心感が好き、
ということに気づいた。
それから僕は家に帰り、
それまでLINEで送り続けた言葉を
一から読み返した。
そこには、その時々で感じていた気持ちが
しっかりと、そしてちゃんと、
言葉として残っていた。
僕にも「感情」があった。
そう気づいた。
そして、こんなにも心が叫んでいたことに
初めて気がついた。
僕は今まで心を押し殺していた。
感情をだしてこなかった。
その時、僕は初めての感覚に出会った。
自分が初めて、自分を知ろうとしている。
自分を初めて愛した瞬間だった。
そのとき、涙が勝手に流れた
今まで出会ってない自分に出会った感じだった。
自分の心の声を言葉にすること。
それは自分を知ること、
そして自分を愛することだと気付いた。
LINEコンサルを受け始めて5ヶ月。
初めて自分の気持ちに気づき、
そして安心感が好きということを
初めて気づいた日だった。
マレーシア資産家のいう
理想の感情を手にいれた瞬間だった。
そして、それは頭ではなく
しっかりと心で体感した感情だった。
これを機に僕は
理想の感情にフォーカスし続け、
そして理想の現実を目の当たりにする事になる。
理想の感情に「気付いた」僕は、
朝起きて、すぐに意識を向けた。
それでも最初はうまくいかない。
理想の感情へ、逃げよう逃げようとしている感じだ。
意識しても気持ちがよくない。
それでも意識することを続けた。
会社に行く電車の中でも、
会社から駅まで歩く間も、
会社でデスクに向かっていても、
上司と話していても。
徐々に感情のブレは小さくなっていた。
毎日の通勤中、
あんなにも悲鳴をあげていた僕の心は
いつのまにか安心を選んでいた。
無意識に。
それは今までの日々の中で、
少しづつ、少しづつ
自分の心へ安心感を浸透させたからだ。
勝手に沸き起こる感情、
それを意識して戻す安心感を
僕は体感していた。
それから僕は、
自分が今何を感じているのか?
本当は何を求めているのか?
知りたくなった。
すると、日々の生活の中で
沢山の自分の気持ちに気付くようになっていった。
イライラする時、
悲しくなる時、
不安になる時、
嬉しい時、喜ぶ時、
そして、幸せなとき。
これまでにないぐらい心を意識し、
湧き出るキモチを味わい、
自分だけの感情を大切にした。
今まで向き合ってこなかった
自分という存在。
それからは仕事もスムーズにいき、
大きなストレスで悩むことが少なくなっていった。
これまで上司が言う言葉がわからなかったが、
伝えたいとしている事がわかるようになってきた。
言葉の奥にある、想い。
そして、想いで話す感覚。
人の感情がわからない、
人の言っている事がわからない。
それは自分自身の気持ちを
わかっていなかったからなんだと気付いた。
それからは僕は上司が何を求めているのか、
何を得たくて、その「言葉」を出しているのか、
頭ではなく心で感じるように意識した。
それは、今まで
自分の感情に意識したように、
他人の感情に意識する事だった。
なんでこの上司はよく怒るのだろう?
それは、彼の感情に意識することで
すこしづつ、すこしづつ視えてきた。
上司も、その上の上司に怒られる事が「怖い」
自分の伝えたい事が伝わらない「もどかしさ」「悲しさ」
そして、僕の成長を分かち合いたいという「よろこび」
今までと同じように怒っているけれど、
その言葉の背景を感じられた時、
僕は前ほど傷つく事がなくなった。
そして、上司を気遣う言葉を届けられるようになっていた。
どんな人でも、
自分の心を大切に扱ってくれる人とは心を交わしたいもの。
それは自分も同じ。
いや、僕は他人以上に
共感を求めているのかもしれない。
そんな事を考えながら、
毎日の仕事のやり方を変えていった。
何か報告する時は、
相手の不安をケアする言葉を一緒に届け、
資料を準備する時は、
どういう手順で説明していくのか考え用意した。
すると、あんなにも嫌いだった上司は、
仕事を通して、心のことを教えてくれる人になっていた。
僕の中では大きな変化だった。
そして、それは現実の大きな変化だった。
自分の心と向き合い、
自分の気持ちをよく知ることで
他人の心に気づけるようになり、
周りの人と心を通わせられるようになった。
すると、仕事も順調になっていった。
そして、ある日、
また、異動辞令が出た。
それは誰もが羨むポジションで、
会社の最上層部の人の直属のポジションだった。
その時僕は、あんなにも願っていた
心が満たされた日々が現実となったことに、
喜びが隠せなかった!!!
・・・・続く