里山は、哲学だし泥臭い。
頭を動かすのも大事だし、一方で手を動かすのも大事。
そりゃあそうだ。なんでも両立できたら苦労しない。
両立って、大変だよね。だからすごいんだ。
僕は小学生の時、ずっと「目標は文武両道です。」って言ってた。
なんでかっていうと、褒められるから。笑
くだらない話はおいといて、頭と手は、どっちが先なんだろう?
頭を動かすから、手を動かせるのか?
手を動かすから、頭が動かせるのか?
頭を先に動かせば、道筋を持って手を動かすことができる。
でも、頭の中で描いたことが、必ずしもそうとは限らない。
手を先に動かせば、経験から確実な情報が得られる。それは頭の栄養だ。
でも、無闇に手を動かして、気付いたら来たくもない場所にいた。なんてこともあり得る。
でも本当は、どっちがよくて、どっちが悪いなんていう話じゃない。
それなのに僕は、意味もなく「どっちが?」なんて問いを立ててしまう。
ものごとには頭の側面も、手の側面もどっちもあって、やり方が少し違うだけ。
これだけだと、当たり前のことをいってるふうになってしまうんだけど。
最近僕は、里山からそれを学んだ。
里山には、頭も手もどっちもある。
里山は、哲学だし泥臭い。
今週は、そんなことに気付いた話です。
ヤマノミナトが、大学の授業に登場した。
生徒の皆さんが、ヤマノミナトがより良い場所になるように、
いろんな視点から提案してくれる。という1週間の集中講義。
里山がなんなのかについては、生徒の皆さんも曖昧なわけで。
提案の日にむけて、いろんな里山の形について学んでいった。
各地の里山で活動をしている人が来て、
さまざまな里山のあり方について話してくれた。
コミュニティ、観光、伝承、ビジネス、美食、ワークショップ
それはそれは、いろんな観点の活動があった。
生徒の皆さんは、そこで聞いた内容をどうすればヤマノミナトに活かせるか、について議論をした。
研究をおもにした活動がされる里山もあれば、
実践的な活動がされる里山もある。
里山といっても、頭を動かすのか、手を動かすのか。
そうやって、いろんな角度から里山を眺めた生徒の皆さんからの提案は、
どれもすごく魅力的だった。
そんな視点も疑問も出てくるんだ、と驚くことが多かった。
それにヤマノミナトについて、1週間という短い期間にもかかわらず、
真剣に考えてプレゼンテーションしてくれたことに感動した。
僕自身も考えさせられた。
いろんな形の里山を見て、気付いたことがあった。
研究をしている人たちは、実践を見据えていたし、
実践をしている人たちは、経験をみんなの参考になるようにまとめていた。
学ぶこと、考えること、動いてみること。
動いてみること、考えること、学ぶこと。
どっちの方法からも、挑戦している人たちがいる。
里山には、頭も、手も必要なんだ。
そもそも里山は、
概念的な言葉でもあるし、同時に暮らしの場所でもあるんだ。
研究ばかりしていても、地に足がついていかないし。
実践ばかりしていても、そこで得た経験や知見は共有されない。
里山は、哲学だし泥臭い。
だからこそ、いろんな人がいろんな視点から里山を捉えるのが大事なんじゃないか。
またひとつ、里山の魅力に気付いた週でした。