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ルパン三世 「ルパンは今も燃えているか」Ⅱ

過去に送られたルパンが、そのチャンスを逆手に取って利用したのが不二子の時。

次元や五右衛門の時と違って、不二子の時はルパンの明確な意思がある。パラレルワールドを使った続編のようにも思える。

あの時ああしておけば、ああだったら、と思い返し後悔するのは誰にでも起こりうること。

自分を守るために不二子に恋人を殺させてしまった
その不二子の悲しみ、苦しみをルパンが後悔して
過去が変わるなら変えてやる
そう思ったルパンの不二子への愛が深すぎる

でもそれによって二人の愛も変わってしまう
ルパンの不二子への愛から出た行動が
皮肉にも二人の愛を終わらせる未来になっていたとは


ルパンを守るために昔の恋人を殺すことを選んだ不二子も尊いし
その不二子のために今度は自分が代わりになったルパンも尊い・・・

でもそのルパンの愛、ルパンの行動は永遠に不二子には理解されない
それどころか撃たれて傷を負ってしまう
この矛盾


いつまで経ってもわかりゃしない。女心ってやつはよ

この言葉を最後にルパンは気を失い現在に戻って行く
不二子はルパンを捨てプーンの元へ走る

きっとルパンは不二子のために撃ったことを、一言も弁解できずに別れたんだろう
言ってわかってもらえるわけがないから


そして二人の関係は、これを最後に、ジ・エンド

この言葉はただのルパンの愚痴じゃなくて
この世界でのルパンと不二子の最後の言葉
別れの言葉という意味・・・

そして不二子の恋人はルパンではなく五ェ門になっているという・・・
「峰不二子ちゃん。某のガールフレンドだ」が本当になってしまったのね。


次元や五右衛門とは仲間になる前に離れている
出会って関係を築く前の出来事
過去に戻って関係を変えられたとしても「別れ」ではない
(次元の時も五ェ門の時も銭形に邪魔されて変わってしまったという(笑)

でも不二子とだけは出会った後、恋人同士になった後
ルパンの行動のせいで「別れ」たことで関係が変わってしまう

それはもう一つの愛の形、別離の物語


1stの「殺し屋は・・・」の話だけでも
ルパンの愛の大きさに震えてしまうのに
このパラレルワールドの話では
さらにルパンの不二子への愛が深くなっていることに驚いてしまう


この話が1stから何年後を想定されて描かれたのかわからないけど
不二子の過去の痛みを救ってやりたいというルパンの想いは
若さだけで求めあっていた時代とは違う愛

PART5に通じるような、内面での交わり
PART5の制作時期にパンチ先生がこれを作るために
総監督としてクレジットされたというのがなんとも・・・


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これは原作からのカットですよね。パンチ先生のダイナミックなアングルはどこか歪みが入ってて禍々しい。インパクトが強く記憶に残るものが多い。ルパンはこの時今度は不二子の番だと悟って過去を変える決意をしたのだろうか


原作のルパンは女にも容赦なく、時に不二子を非道に扱い
次元や五ェ門でさえ止めに入るという
傍若無人な男だった

それがルパン=先生が年を経て、時を経たルパンが
不二子の心の痛みでさえ引き受けたい
救いたい
ルパンという男の心境の変化が感慨深い
ヒーロー像が変化している


手塚治虫がスランプの時に生み出したブラックジャックが
人気と共に段々善人化していったように
成人漫画で生まれたピカレスク・ヒーローが
アニメの影響もあり、少しずつ人間性を持ち始めたのかもしれない


不思議なことにPART5のルパンとその特典の
「今も燃えているか」のルパンの成熟度がシンクロしている
同じ年代のルパンで違和感がない

二人共不二子への愛と仲間との絆を再確認している

内容的にも因縁のライバル達が一同勢揃い
過去シーンのリバイバル
両作のコンセプトはほとんど同じ


PART5は一部のファンからの批判も多いけれど
PART5もパンチ先生のルパンも同じような傾向を見せていることから
多分誰が作っても「過去を振り返り現在を再確認する成熟したルパン」像が生まれる時期なのではないかと思う

それはコンスタントに作り続けられている小池ルパンによる
原点回帰の影響もあると思う


「今も燃えているか」はパンチ先生の最後の作品でもあり
遺言でもあり遺作のようなもの

そこに過去エピソードの名シーンのリメイクや
不二子との愛をテーマに持ってきたのは、とても大きいと思うんですね
原作者の想い、意思として

その遺志をぜひ引き継いで欲しいと思う

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