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ラッセンと君の名は。メビウスが導いたアニメと絵画の合流地点

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SEXYルパンIII「ロールスセーラー」

大友克洋や宮崎駿、手塚治虫や鳥山明など当時の日本の漫画家に多大な影響を与えたフランスの漫画家メビウス(ジャン・ジロー)

モンキー・パンチの80年代の「ルパン三世」の作品「SEXYルパンIII」にもその影響が見られる。

それまでのモノクロの光と影の抽象的な描写や空白の多いコマ割りから、コマやページの隅々まで具体的で精密な描き込みが増えた。


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「ヴォワヤージュ」メビウス


メビウスの気の遠くなるような遠近法、空間把握能力は、浮世絵的な平たい二次元の世界のコマ割りから完全に脱却していて、絵画や映画のような二次元的なコマ割りが、空間と奥行を持つパースという概念に変化している。


メビウスに強く影響を受けたというかそのまんまの「風の谷のナウシカ」の当時の衝撃は、何よりもその空間感覚や浮遊感をアニメーションで表現したことで、すべてのモチーフがまるでそこにあるかのような立体感やリアリティは、まさにメビウスの世界。

(それにしてもよく訴えられなかったなと思うくらいメビウスの「アルザック」にそっくりのナウシカ(笑)。ディズニー・オマージュの手塚治虫といい、天才は学習の産物だなと思う)


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「アンカル」

メビウスは色彩やデフォルメが幻想的でイラスト的だけども、遠近法は写実的で正確。そのギャップが眩暈を起こさせるようなイリュージョンでもあり、不気味の谷のようでもある。

写実的で具象なのに幻想的。モンキー・パンチの作画が抽象的なのにモノクロ写真のようなリアリティがあるのと対照的。全く逆のアプローチである。

というより、漫画がそもそも限られた描線から具象を求めるもので、メビウスの絵は遠近法を駆使した構成といい、ひたすら奥行や立体感を求めた伝統的な西洋美術を思わせる。

日本の漫画のように日本画や印象派の影響が見られず、脱構築したと言うべきか。伝統回帰とも言える。



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「アルザック」


ちなみに、私はメビウスの作風にジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ」の光景が重なって見えたんだけども、そう思っていた所、一番上のブログに、ルーカスに依頼されて「スター・ウォーズ」のイラストも描いていたとある。


「インセプション」「ダークナイト」クリストファー・ノーラン監督が画家のフランシス・ベーコンからインスピレーションを得ているように、ルーカスもメビウスの作画から「スター・ウォーズ」の浮遊感溢れる宇宙空間や他惑星の映像イメージを創造したのかもしれない。


メビウスの朝焼けや夕焼けのような色彩やグラデーション、大空にぽっかり穴が空いたような、広大な宇宙空間が広がっているようなプラネット感のある空間表現は、さぞかし「スター・ウォーズ」「地球人と同じ営みをしながら地球ではないどこか別の惑星」をイメージし映像化するのに大いに役立ったと思う。


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「B砂漠の40日間」





こじつけに思われるかもしれないが、アニメや漫画におけるメビウスの影響の先に、平成に入った頃から爆発的な人気になったクリスチャン・ラッセンの絵画があるような気がしている。


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とうとう漫画の歴史から離れてしまったが(笑)、バブル時代のラッセンの爆発的な人気を知る世代なら、この現象がなぜ突然生まれたのか興味があるのではないか。

当時を知らない世代からすると、ラッセンの知名度や人気は今の「鬼滅の刃」のような社会現象であったと言えばおわかりだろうか。

「鬼滅の刃」と同じく、たとえば宮崎駿のジブリのような天才による誰もが納得するブームと違って、「何がすごいのかわからないけどとにかく社会現象となるほどのブーム」というものである。


ステマと呼ばれたり「絵画商法」と呼ばれるような商魂たくましいビジネスが背景にあるとしても、それだけで一時代を築くような売れ方はしないと思う。



ラッセンの絵を見ると、とにかく緻密でイラスト的な華やかな色彩である一方、パース(遠近法)も駆使されており、メビウスのように豊かな色彩と写実的な精密画によって、幻想的な世界が展開されている。

これは同時期に同じように人気を博したヒロ・ヤマガタの絵を見ればその違いがわかるように、ヒロ・ヤマガタはどちらかというと、シティポップの代表的なイラストレーター・わたせせいぞうのように、平面的で装飾的なイラストで、絵葉書のような奥行のなさ。

ラッセンやメビウスと比べると、立体感の無さ、パースのなさが明らかで、日本画的。


ヒロヤマガタ

ヒロ・ヤマガタ

(当時はわたせせいぞうの「ハートカクテル」の薄っぺらいバブル感、その後のラッセンやヒロ・ヤマガタの絵が街中に氾濫し、マジでうるさかった...今の「鬼滅」以上ですよ)


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私は当時の日本での異常なラッセン人気、日本におけるラッセンの受容に、それに先駆けて大衆文化である漫画やアニメで、メビウスの空間表現やアート性、色彩感覚が導入され、大衆化されていたことも関係ないだろうか?と思った。

もしくは、ラッセンの世界観に日本的なものに通じるものがあったとか。当時の日本の文化で、大きな意味があったとか。


ラッセンの絵は今見ても素晴らしく技巧的で、圧倒的な技術や技法にも関わらず、美術的にはほとんど評価されず、美術界にはそっぽを向かれていたのは、単に絵画商法が批難されただけでなく、その本質がアートではなく漫画のようなサブカルに近い臭いがあったからかもしれない。


マリンスポーツや動物や自然など、モチーフやコンセプトがわかりやすく、カラフルな色彩とゆるキャラのようなイルカたちは大衆的な親しみやすさがあって、それはまるでよく描き込まれた漫画家の扉絵にあってもおかしくなく、CGの発達した現在のアニメーションの背景でも十分通用する(「君の名は。」のような萌え絵系アニメ)。


大衆を巻き込んだラッセンの人気は、大衆文化でサブカルの漫画やアニメと、芸術を標榜する美術界がそれぞれの分野で視覚表現を追求して来た先に、その延長上に、交わるようにしてぶつかった交差点であり、衝撃でもあったのではないか。


奈良美智村上隆のような漫画やアニメをモチーフにした美術家が出て来たのもこの頃。逆にメビウスや宮崎駿の描く絵は神秘的な世界観があって、芸術的でさえある。漫画の領域を大きくはみ出している。


芸術家と漫画家が互いのジャンルを補うようにして与えあっていた70年代。

やがて歩み寄り近づき、限りなく境が薄くなった80年代。

そしてとうとう現代美術家によって壁が崩され、境界を超えてしまう90年代後半にかけて、芸術家と漫画家はその表現上で役割が入れ替わる。


宮崎駿が「千と千尋の神隠し」を制作し、今敏監督や庵野秀明監督が登場し、アニメがアート化して芸術作品のようなアニメが珍しくなくなる。

むしろ成功した有名監督になると、ただの娯楽としてだけではもはや許されず、深い感動を湧き起こし、様々な分析や考察を可能にするメタや芸術性が求められている。


やがて来る時代の地ならしのように、美術と漫画(イラスト)の融合として、そのエポックメイキングとして登場したのが、当時の意味不明なほど白熱した日本のラッセン人気だったのではないかと思えてくる。

少なくとも当時のラッセンは、二つの分野が交わる交差点に居たのではないかと思う。


奈良美智はラッセンに対して批判的だったのだけども、独学で絵を学びプロ顔負けの技法で漫画のイラストのような絵を描くラッセンと、アカデミックな教育を受けた奈良美智が漫画のキャラクターをモチーフに絵を描くのは、共に画家でありながら漫画的な表現を借りていて、一見関係ないように見えて同じ穴のムジナに思えて来る。


アカデミック出身の美術家が大衆文化に対して上流に位置するハイアートの芸術家として、下流に位置する大衆文化のサブカルをモチーフにしたことで名声を得、地位を確立したのに対し、正当な絵画教育を受けてない漫画家のようにストリート出身であるラッセンは、独学でスタイルを築き上げたという点では、大きく異なるけども。


当時のサブカル界隈の村上隆に対する反発や反感が強烈だったのは、下流から上流へ、搾取的なものを感じ取ったからではないかと思う。


ラッセンの表現はいわば、現代のアニメーターの先駆けのようなもので、似たような色彩感覚や彩りが、大ヒットした新海誠監督の作品でデジャブのように見ることが出来る。


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「君の名は。」

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「天気の子」


考えてみると、「君の名は。」の突然の大ヒット、熱狂は、かつてのラッセンの人気そのものだった。

物語の魅力ももちろんあるだろうけど、精密に描かれた背景(トレース)とカラフルで眩しい色彩も、大きな驚きと感動を呼んだと思う。

私たちは蛍光色の色どりに満ちた、この生き生きとした自然や光の表現に、民族的な感性が強く心動かされ魅了されるものがあるのかもしれない。

ラッセンの人気は確か日本で突出してて、本国ではそれほどでもなかったと記憶している。

多感な十代に全国的な人気を博したラッセンの絵画に、新海監督が影響を受けた可能性も十分考えられる。

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