怪我の功名 ギックリ腰から学んだ事
10年ほど前に初めてギックリ腰になってから、これまで6、7回ギックリ腰を経験しています。
患部がいつも同じ場所なので、だんだんと経験を積み傷めた時の体の動かし方や普段気をつけるべき姿勢などがだいぶ分かってきていたのですが、今回はまったく未経験の部位を傷めてしまい非常に苦労をしています。
最初痛みが走ったのはこれまでと同じ背中の真ん中付近の背骨の左側だったのですが、そこが治ると次は左の足の付け根の外側が痛くなり、それが収まると今度は右の腰の下の方へと痛みが移っていき、それがまだ少し痛みます。
今日でとうとう発症から1ヶ月。
ちなみに今までの最長記録は、3年前のギックリ腰で5日間寝たきりというものでした。
ギックリ腰はビキーンと走る発作的な痛みが怖いですよね。
中でも一番辛いのが、寝ている姿勢からすごい時間をかけて脂汗をかきながら必死で痛みに耐えて起き上がるあの長い長い時間帯。あれはホントに辛いです。(特にトイレが切羽詰まっている時とか)
ギックリ腰になったからこそ気づいたこと
しかし今回のギックリ腰を経験して、ふとこれも悪いことばかりではないのではないかと思いました。
痛みが怖くて辛いからこそ、体の動かし方を慎重に考え、どうしたら痛くないかを自分の体で確認しながら動かしていくという作業ができるからです。
ギックリ腰の時は寝返りを打ったり布団から起き上がったりといったほんの些細な動作でもよく考えて体を動かさないとすぐに強烈な痛みが襲ってきますので、半ば強制的にそれらに神経を集中することになります。
こうして実際に試していると、体に何も問題がない時は無意識で筋肉のバネや体の反動を使って寝返りを打ったり、立ち上がったりしていたという事がよく分かります。
痛みが出ないという事は体への負担も少ない?
痛くないように体を動かすという事は、その動かし方が体に一番負担がかからない動きだという事ではないでしょうか。
布団から起き上がることや寝返りを打つことなど、普段は何も考えなくてもできている動きについては、実は脳が楽をしようしているのではないかという気がします。
体の細かな動かし方をいちいち考えなくても勢いをつければそれらの動作は一瞬かつ簡単にできてしまうので、ゆっくり動かす時と比べれば脳が筋肉の位置や動く方向をあまり計算する必要がないのではないかと。
翻って、反動やバネを使わずに体を動かす際には、軸を意識して上半身と下半身を捻らないようにすることや、重心をできるだけ前後左右に崩さないようにすることなど、体の各部位を細かく分けて動かし方をイメージしながらそれぞれのパーツに指示を出すという膨大な脳の計算作業が必要になると思われます。
具体的には、手を前に伸ばしたり、足を前方に出す動作は腰への負担がかなり大きいので、できるだけそれらを体に近づけるということや、寝返りなどで体を回転させる時も手や足は体の近くに置くようにし、外側の腕を伸ばして腕力で回ろうとはせずに回転方向の内側のヒジで引き込むように回るといった事を頭で考えて、体の動かし方をイメージしながらゆっくりゆっくり動作を行うといった作業をしていたのですが、その際、心は『(痛いから)こうしたい』と思うのに対し、脳が『めんどくさい』と若干抵抗するという心と脳の乖離を感じました。
怪我の功名 ケガは悪いことばかりではない
体が健康になれば痛かった時の事などすぐに忘れてしまうのでしょうが、その時の体の動かし方をよく覚えておいて普段の動きに応用していけば、体への負担を減らす事、ひいては自分の体にできる事の可能性を広げることに繋がるのではないでしょうか。
今回のギックリ腰では、痛みの無い健康な体は本当にありがたいが、痛みがある時だからこそできる自分の体との対話という時間もまた貴重なものであると学んだのでした。
(※注 体の各部位のあるべき正常な位置、関節を動かす正しい方向などを理解した上で動かすようにしないと、痛みがある部分を他の筋肉がカバーしてしまい、痛くないよう変な動かし方をするクセがついてしまう事もあるので、その点については充分注意して見極めるようにしないといけません)