日記240205「☠️/極度の交通機関オンチが思わず島の老人から果物と島の未来を託された話」
今週の日記は2段立て
・💀
・極度の交通機関オンチが思わず島の老人から果物と島の未来を託された話
なお、「間違い」については割愛いたします
💀
世界にはさまざまな死がある
そして大抵それは選べない
サバンナのライオンが老衰で死ぬことは珍しい
ベルゲンベルゼンへ連れて行かれると明日はない
原爆も大地震も突然襲いかかって奪い去る
こんな世界で自分の死に場所を考えること自体、おかしいのかもしれない
最終的な最期がどれほど今の私にとって大事なのか、
伝わらなくても、言えてよかったのかもしれない
もっと簡単に、もっと安直に言い換えるには、未熟だった
極度の交通機関音痴が思わず島のおっちゃんから黄色い果物と島の未来を託された話
大学1年の時、所属していた版画部のリサーチで大崎下島の港町 御手洗(みたらい)へ向かうことになった。
大崎下島は呉市から橋を渡って4つ目の島、御手洗はさらにその端っこ。
その町並みは重伝建である。
当日、バスを乗り間違えて16キロの距離をひとりで歩くことになる。
真夏の炎天下、涼しげな多島美も白く霞んで湯気が立っているかのよう。
瀬戸の景色を楽しみつつ、
車だけが通り抜ける長いトンネルを心もとなく歩き、
100mの高さの橋を風に煽られながら渡り、
自販機を見つけるたびにスポドリを買い、
バス停は頑なに止まらずバスを見送って頑固に歩いた。
無事に着いたのは夕方だった。
先に行っていた版画部のみんなはもう呉へ戻っていた。
私はちょこっと散策してから帰ることにした。
■
陽もどんどん傾いてきたので、バス停へ向かった。
所々で見かけるみかんと書かれた看板は錆びていた。
バス停に着いてしばらく休んで待っていると、老人が一人やってきた。
軽く会釈して少しの間黙っていたが、老人が口を開いた。
「あんた学生かいね。広島からきちゃったんか。今は何しよるん。」
「おじさんはこの島で生まれ育ったんよ。
若い頃はアメリカの大学で数学教えとったんじゃけど、今はここへ帰ってきてね。
昔、今ぐらいの時期には島全体が金色色に輝いとったんよ。
みかんがようけえ実っとったけえね、遠くから島を見れば黄金色よ。綺麗じゃったわ。
島の夏祭りなんかは隣の島からも人が来てねえ
子供もようけえ集まって、よう賑わっとったんよ」
もう一度あの景色がみてみたいわ、そう言っておじさんは持ってた袋から柑橘の果物を2つくれた。
その後バスがやってきて二人とも乗車、老人は途中で下車して、私は無事帰路に着いた。
もらった果物は帰ってから冷蔵庫に入れておいたら、祖父母に食べられてしまっていました。
ええっ、あのおじいちゃんから僕は果物と島の未来も託されたつもりでいたのに、食べちゃったのー?と落胆
もらった果物を食べる機会は逃してしまったけれど、後に知ったあの島の特産である大長みかんやレモンを見かけるたびに、このことを思い出す
真夏に一日中歩いて感じた瀬戸内海の多島美と島の豊かさ、そしてあの老人の言葉は今も心に強く残っている
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御手洗、広島県呉市 大崎下島の東端に位置するこの町は江戸時代に栄えた港町で、風情ある街並みは文化遺産に選ばれている。
陸路より舟路が発達していた時代、瀬戸内海は交通の要衝であり、栄えた港は少なくない。
一方で車や鉄道が主要になった現代では、港町の役割も急速に衰退してしまった。
おわりからはじまり
芸大の卒展をみにいく。
作品に添えられたステートメントには作者のとめどない想いが連なっている。
レポートではないので、中には飲み込みにくい文章もある。
そんな時は文の終わりの方を先に目を通して、構成や作者の論点とか結論を探ってみる。
それはまるで、描きかけのデッサンを鏡に映して、像の描写性を観察するようだ。
見方を変えて理解の解像度を上げてくれる「鏡」のような仕掛けが世の中には散りばめられている。
ただし、「鏡」のなかの姿もあくまで一つの見方でしかない