赤星りきプリンアラモード】
花園神社で大吉ひきました
2017.9 マレーシア交流プログラム UMCの学生との交流/ペナン島内観光/多文化世界/初海外
墨田区京島の4軒長屋の一角、「京島共同木工所」と名付けられた建物で暮らしと表現活動が合わさる
一年間の交換留学の振り返り 広島市立大学 油絵専攻ーハノーファー専科大学 実験デザインコース (Hochschule Hannover Experimentelle Gestaltung) 2019.2.9-2020.2.25
修了制作は終わってない
38.7の熱を出した ご飯食べるのサボりすぎて 倒れてしまう日が時々ある 扁桃炎で処方してもらった薬をのむために 3食食べるようにしたら こんな時間にお腹が空いた (自由律)
銭湯の終わりかけの時間、まだ湯船には彼がいた 同じ年に卒業して、いま同じ町に住んでいる 卒業から一年、これからどう暮らしていくのか話をきいた ここの居心地のよさや人の面白さにお別れをするのか 彼は言っていた 手放せないものは何もないから そう言っているのを羨ましく思った 潔い 執着も未練もなく、清々しく生きている 手放しちゃいけないものってなんだろう 最後のカレンダーには思いつくままに描こうと思った 余白がどんどん埋まっていく たった3年間しかいなかったこの町にこ
パセリさんと一緒に中目黒の喫茶店を訪れた。パセリさんの知り合いのトマトさんがそこで初個展なのだそうだ。 新宿から中目黒まで徒歩で行った。 街のところどころに雪の塊。 雪はシャバシャバ茶色くなって道路脇に積まれてる。 遠回りをしようということで、途中明治神宮を通った。 境内の川は干上がって日陰のとこを雪が一面覆ってた。 広々とした野原に雪玉。 きっと元々雪だるま。 陽射しにやられて頭が転がり落ちてしまっている。 こりゃいかん、とバラバラになった頭と体をくっつけてやる。
今週の日記は2段立て ・💀 ・極度の交通機関オンチが思わず島の老人から果物と島の未来を託された話 なお、「間違い」については割愛いたします 💀 世界にはさまざまな死がある そして大抵それは選べない サバンナのライオンが老衰で死ぬことは珍しい ベルゲンベルゼンへ連れて行かれると明日はない 原爆も大地震も突然襲いかかって奪い去る こんな世界で自分の死に場所を考えること自体、おかしいのかもしれない 最終的な最期がどれほど今の私にとって大事なのか、 伝わらなくて
月曜日、私の住んでいる町に彼氏を連れてきた。 連れてきておいてなんだが、彼氏を自宅に置いて私はバイトへ出かけた。3時間ほどだ。ごめん。 そのちょっと前、家に向かう途中に出会った近所のTさんも自宅まで連れてきて、彼氏と一緒にそのまま置いてきた。Tさんは自宅のすぐ近くに工場があり、生粋の京島人。 面白い人だから大丈夫だと思い家を後にした。 毎週月曜は銭湯のバイトを入れているので働かなければいけない。 彼氏からは銭湯掃除手伝うよとハートウォーミングな提案があったが、私は明確
あっという間に過ぎた一週間。一月ももう3分の2を過ぎている。東京に来て4年目。コロナ禍はもう過ぎたようだけど、風邪が蔓延している。 2019年春、学部4年生のときに私はドイツに1年間の交換留学をしていた。 ずっと広島で生まれ育っていた私は、海外で長期間過ごす中でいろんな思いが湧き上がっていた。 グローカルに表現活動をしたいってこと。そしてもっと生まれ育った場所のことを知りたいっていう思い。 それらの思いが、学部卒業制作のせとうち滞在制作と、藝大院進による上京に繋がった。
僕は去年の3月に藝大の院を修了してから現在、3つの職場で働いている。 一つは京島にある銭湯、そして新宿2丁目のアートバー、もう一つが取手のアートスペースバーでのお好み焼き屋さんである。 お好み焼き屋さんはスペースの雇われ店長として、他二つはアルバイトとして働いている。 順に記すと、まず藝大生時に近所の銭湯で専ら清掃バイトとして働き、23年大学院を修了する際に取手でお好み焼き屋を始め、さらに秋から二丁目のバーで働くことになった。 それぞれバラバラな場所と趣だけど、自分の枝
企画展「カラーフィールド 色の海を泳ぐ 」 出展作家 ジャック・ブッシュ、アンソニー・カロ、フリーデル・ズーバス、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイス、ケネス・ノーランド、ジュールズ・オリツキー、ラリー・プーンズ、フランク・ステラ 京成佐倉駅から無料のシャトルバスが出ており、途中車内から見渡せた田園風景がきれいだった。 庭園内にある川村記念美術館はかわいらしい円筒形の建物。 常設展は日欧米の近代芸術作品で構成されたそれぞれの部屋に色のある展示。ただレンブラントのタ
トリとサケ!
ドレインボトルがしまらない
上京前に言ってたことはほぼ実現しました。 4軒長屋の一角、「京島共同木工所」と名付けられた建物を4月から少しずつ改修して、9月にはその2階で暮らしだし、10月の向島EXPOに合わせて住み開き展示を行いました。 EXPOの終わったあとは改装を続けます。
2月の大学は春休み中。他の留学生や市大ゆかりの人たちとの交流がありました。 学習状況来月の学習目標、授業内容、宿題等、出席状況について 今月は週に数回の企画があるSpring Welcome Week と平日4時間のドイツ語のインテンシブクラスに出席するのみで、キャンパスに慣れ他の留学生と知り合う月でした。 Spring Welcome Week では観光名所であるヘレンホイザー王宮庭園を訪れ、別の日にはハノーファーの北にあるベルゲンベルゼン強制収容所跡地を
帰国後の感想です。初海外でのマレーシアは英語が通じず参ったものの、アジアの多様性を知る機会になり、その後留学を志す動機へと繋がっていきます。 当時の文章には書いてませんが、ホテルマンの格好したおじさんが道端で横になってるのをみて、それがすごく印象に残ってます。 おじさんが昼間っから横になってるだけですけど、それを見て世界の不可知と、一人一人の人生の固有性を強く自覚したような気がします。 マレーシア短期研修 感想 僕がこのプログラムで目標にしていたことは自分の英語が通じる
初めての海外。初っ端から素晴らしい体験をたくさん得て、それがまだ1日しか経ってないことを喜んでいた。幸せで豊かな時間だった。 マレーシアポエマシー チェックアウトの時間が迫る時、四日間滞在した部屋から見えるペナンの海が、心の中に急に湧き出た昨夜の記憶と重なり、いま、どうしようもなく切なくなっています。 あなたが広島を去るとき、あなたも同様の気持ちだったのでしょう。 あなたの日常の基盤であるマレーシアは、僕にとってはとても珍しいものでした。 お互い誰にも歩めない世界を生き、
大学のIEPC(国際交流推進センター)を通じて、2019年度派遣留学生としてハノーファー専科大学に一年間の交換留学 広島市の姉妹都市であるドイツ、ハノーファー市のハノーファー専科大学と広島市立大学は、1997年に学術交流協定を締結している 大学ごとに枠制限のあるJASSOの奨学金を割り当ててもらった