SPY✖️FAMILYに見る新人賞やエンタメの焼畑農業
良い物だからといって売れるわけではない、とはよく耳にします。
実際のところどうなんでしょう。
私自身の話をすると、アマチュアとして新人賞などに応募したことがある、というか今でもしてるのでちょっとわかる部分があったりします。
一番最初に原稿を書いたときはそれはもうすごいものができました。
もちろんダメな意味で、です。
原稿を書く上でのルールや人称も時系列も縦横無尽に移動し、ぐちゃぐちゃ。
とにかく自分の好きなものを、そして世の中にない斬新なものを、とヘタクソなりに頑張って書き上げてみたのです。
確かに視点移動も時系列移動もしていますが、それでも読めばわかるしいいだろうと。
当然のごとく一次落ちしました。
そこで基本を確認する事にしました。段落や句読点のルール(学校で習ったものと違ったりする)なんかも。
大前提、最低限の基本は大事です。
ですが、昨今その基本ルールが基本という領域を逸脱し、原稿の内容を侵食するようになってきていたりします。
所謂テンプレなんて呼ばれたりする展開ですね。
作中の展開や盛り上がりを強制的に型にはめられてしまう。
ミステリであれば冒頭で死体を転がしておけ、のような。
これが進むとどうなるでしょう。
原稿の最大公約化。
ちょっとした設定が違うだけでほとんど同じ。
何をみてもそれなりに面白いけど、それだけ。
物語の平均化です。
どこかでみたお話の焼き直しでしかない。
だからみんな自分で新しいものを探そうとしない。
似たり寄ったりだから適当に流行っているものを見る。
面白いから読むのではなく、流行っているから読んでいるだけ。
そして、その平均化されたものが売れる。
エンタメが溢れている世の中、本を売るのにも一苦労です。
初版で数万部刷っていた時代はとうの昔、芥川賞作家ですら数千部なんて話もあるくらい。
それくらい売れない。
だから本を売るための編集者は、作家に平均化を求めるのかも。
人気のある要素を詰め込み、より多くの人に「満遍なくリーチする作品」を欲するのです。
新人賞に受賞するのは面白い作品だと信じて疑わない人も多いかもしれません。
実際は少し異なると思います。
受賞するのは、売れそうな作品です。
新人賞は、商売ですから。
もちろんエンタメの未来を切り開くために熱意を持って編集になった方もいるでしょう。
そういう新人編集者にあたる事があれば、今でも何かの化学反応が起こる可能性は十分にあります。
ですがそういったチャンスはおそらくとてもとても少ない。
売れなければおしまい。
熱意ある編集者も失敗したら、きっと次は平均化したアンパイを選ぶようになる。
景気が良ければ何度も冒険するチャンスはあったかもしれません。
でも今は景気が悪い、そして本なんて時間を取るだけで読むのも疲れるものを若い人は選ばない。
そうして出来上がったのが今です。
だからこそ、何かの奇跡で出てきた面白くて斬新な作品に出会うと感動するんですけどね。
かつてジュラシックパークなど、ハリウッド映画に夢中になっていた時の物語は今や非常に少なくなっているように感じてしまいます。
今のエンタメ界は焼畑農業をやっているようなもの。
顧客の「好き」を奪っていけば最後に残るのは無個性で凡庸な物語。
前置きがずいぶん長くなりました。
私の働くギャラリー、レティーロ・デ・オーロは無汸庵、綿貫宏介先生の作品を中心に扱っています。
綿貫先生も絵画がお好きで暇つぶし(!)としてよく描いていたそうです。
そして芸大の受験をした時、デッサンの試験でパンが配られたのですが洒落たおやつだなあと思って食べちゃったようです。結局試験には落ちてしまった。
どうしてなのか詳しくは知りません。
先生は芸術家と呼ばれることを嫌っていたそうです。
コネやゴマスリ、そういった創作以外のことに時間を使うことを避けられ、同じ枠に入りたくなかったのかもしれません。
そうして自由に自分のためだけに創作する無汸庵を作られた。
本来の創作ってこういうものなんじゃないのかなぁと。
チラチラ周囲の目を気にして受けそうなものを作るのではなく、自分が作りたいものを好きに作る。そしてそれが評価される。
なんかある種一番純粋に創作されてたんだなあと羨ましく感じます。
今の時代、自分の好きなものを好きに作ることが難しい。
最近アニメーション化されたというSPY✖️FAMILYという漫画。
本来作者の遠藤先生はちょっと変わったキャラがお好きなようです。
でも、編集部によってイケメンキャラや美人キャラを希望され、自分の好きを奪われた。そうして出来上がったキャラクターだから、愛着がない、と冗談混じりにインタビューで答えられていました。
実際はちゃんと愛着もあると思うし冗談や照れ隠しだと思いたいです。
でも、きっとそういう世界なんだろうなあと。
自分が漫画家マンガ、バクマンを読んで面白かったけれど何か違和感を抱いたのはきっとここでした。
私は、誰かが自分自身のために書いた面白い作品が読みたい。
合う合わないは出てくるでしょう。でもそれが個性だとも思います。
多様性を叫びながら多様性を殺している今の世の中、何かおかしいんじゃないのかなあと思う人が一人でも増えると嬉しいなと思います。
エンタメにとって創作者個人個人の持ち味を奪うことは決してプラスにならないと思います。
短期的に売り上げをとる焼畑農業なのですから中長期的に見れば先がありません。
どこかで新しいものを作らないといけない。
ポリコレにより変質したエンタメ、イーロンマスク氏曰く、自由な創作をしているのは日本と韓国だけだと。
ですが日本ですらこの状況です。
自分の好き放題に書いて、そして爆発的に面白い作品が出ることを願ってやみません。
※ちなみに余談ですが私が最近読んだ中でぶっちぎりで面白かったのはイムリというマンガです。
スロースタートですが是非読んでほしいです。