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【再考】法律とルールとマナーとモラル。あなたは冷静に考える?感情で感じる?


『美しいものにするなら、破ることのできない規則などない。』
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1770~1827

『すべての法律は老人と男によってつくられている。若い人と女は例外を欲し、老いた人は規則を欲する。』
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ1749~1832



まえがき

世の中には”守らなければいけないこと”がたくさんありますよね。
法律、ルール、モラル、マナーなど。
もっと細かく言えば宗教の戒律や社則、校則などもそうですね。

これらはそれぞれに固有の有効範囲があり、またその目標は抽象的なものもあれば具体的なものもあります。
そしてそれらを犯した場合に課される制裁もまた、刑事的、民事的、社会的など特性が違います。

この”守らなければいけないこと”には目に見えないランクがあり優先順位がありますが、これはその人の価値観、または同一人物であっても事象を客観的に見るか主観的に見るかの立場によって異なるように思えます。
人によって判断が異なってはいけないからこその決まり事でありそうなものなのに個々に優先順位がある。
これはちょっと違和感がありますね。

今回はこの”守らなければいけないこと”とその扱われ方について、考察してみたいと思います。


”決まりごと”と”違い”

そもそも、法律、ルール、モラル、マナーは何が違い、どう分けられるのか。
これは目標の具体度強制力制裁の特性の3つで分類できるのではないでしょうか。
具体的に言うと、決め事の内容がどれほど客観的かつ具体的に定義されているか、それをどれだけ強制する力があるか、違反した場合の制裁が罰金や禁固刑、地位の剥奪などどのようになされるか、といった具合です。
これらを略図化したものが以下です。

大きなものは手前、小さなものは奥にある。制裁特性を示したものであり重要度ではない。

断定できないものもありますが、軸足の地点という意味では大体合っているのでは無いでしょうか?

さて、これで言うと対極に位置するものが法律とモラルです。
中間特性となるルールやマナーは一旦おいておいて、今回は法律とモラルについて考察していきます。

法律の特徴

法律は具体的かつ客観的に行動を制限し、違反したら具体的な指標に基づいて私財や身体に関与し裁判所がこれを罰します。
背景にある想いが悪意だろうと善意だろうと行動に焦点がおかれ、原則としてそこに心の介入はありません。
情状酌量の余地にはなっても判決が覆る要素にはならないということです。

刑事的に罰する力を持つ為、強制力が非常に強く、個人に合わせた配慮がないおかげで弱者を強者から有無を言わさず守ります
弱点として、多くの国民感情や総意に反したとしても、客観的事実に基づき法律が優先されるため、一般的な感情論と合致しないことが多くあります。
凶悪な犯罪者が民意より著しく刑が軽い場合はこの可能性が高いです。

これは複数の人々がその価値観や置かれた事情により『我こそが弱者』と思っているケースに公平に対応するためです。
このデメリットとも見える点は、メリットを享受する為には受け入れなければなりません。
この心ない強制力こそが、大局では弱者を守っているからです。

では対極にあるモラルはどうでしょう。

モラルの特徴

モラルは倫理的な理想論をもとに抽象的に行動を制限、あるいは推進し、反したら信用の失墜、人間関係の崩壊など社会的に罰せられます。
先ほど法律のデメリットとなっていた"国民の総意に合致しない制裁"にも臨機応変に対応可能なケースがあります。
しかしこれは刑事罰ではないため、その個人が賞罰と感じさえしなければ、行動の強制力が全くないということです。

モラルの強制力の本質は社会からの排除。
つまり『みんなが嫌がることしたら仲間外れにするよ』という”同調圧力”にあるので、マジョリティのモラルには反しても、同じ価値観の人間で社会活動が営める規模の集団が作れれば、その集団におけるモラルは全く別のものとして成立してしまいます。

SNS普及後において多く見られるモラルの崩壊はこれが要因です。
それまで1本だったモラルの軸は価値観ごとに数本数十本と乱立し、全体の共通認識というものは希薄になってきており、社会的に抹殺しようとしても"価値観の違う人たちが騒いでいる"位にしか感じないのです。


”多様性”と”正しさ”

これまでの社会構造

先の構造を図示してみました。

2010年代前半頃までの社会構造

これまでの社会構造では、モラルは一部の例外はあれど社会の共通認識でした。
社会通念上の理想的な倫理とみなし、現実問題と照らし合わせて作られるものが法律、個人の価値観はそれを目指すように”教育”されてきたと言って差し支えないと思います。

しかしこれは、必ずしも良いことだったとは言い切れません。
国際NGO「国境なき記者団」報道の自由度ランキング2024年では、調査対象の180ヶ国のうち日本は70位でG7中で最下位です。
先進国とは思えない順位ですね。
つまり新聞にせよテレビにせよメディアと呼ばれるものの報道や、学校教育など、日本の共通認識に強く影響してきたものは必ずしも正しい情報だとは言い難く、教育だったのか洗脳だったのかあやしいのです。
世界的にも日本のモラルは高いとされ平均IQもトップクラスなのでメリットも享受しており、陰謀論を唱えるつもりはありませんが、弊害を考える余地を残しているということです。

いずれにせよ、この構図から外れた者は法律のみならず社会的にも罰せられる為、生きるすべを失ってしまいます。
したがって、外れ値の価値観を持つマイノリティは良くも悪くも泣き寝入りしてくれていたのです。
決して”納得”していたわけではありません

これからの社会構造

さてこれがどう変わったかを図示したものがこちらです。

2010年代半ば以降の社会構造

SNSの普及により、これまで泣き寝入りしてきたマイノリティが単体で社会活動が営める規模まで集団化し力を持ったことで、相対的にそれまでの常識であったマジョリティのモラルは同調圧力を削がれ、すなわち社会的制裁力を削がれることで力を弱めました

過去の常識から見れば、『法律さえ守っていれば何をやってもいいと勘違いしているやばい人が増えた』と映ることでしょう。
そしてそれはあながち間違ってはいません。

しかしマイノリティ達からしたら、『これまでこそが社会からの同調圧力による迫害』だったのです。
小集団のモラルが成立する規模になってしまった今、彼らから見ればマジョリティの方が『法律さえ守っていれば何をやってもいいと勘違いしている人達』かもしれません。

そしてこうなると大きく違うのは”法律の存在意義”です。
時系列で考えれば明らかですが、現在制定済みの法律は彼らの理想や倫理観に基づいて作られたものではないので、理想を追求していくと邪魔でしかないことがあります。

それでも法律は守るしかないので、法律の範疇で社会への問題提起活動をします。
ここで取られる行動こそが一般から”モラルの欠如”と呼ばれるのです。


世論は責める立場にあるのか?

これだけの背景がある以上、冷静に考えてみると思うことがあります。
この”モラルの欠如”に対しての様々な批判の声を、マジョリティはあげる立場にあるのかということです。
政治活動をしている人は”行動”を起こしていますからいいと思いますが、それ以外の”言うだけ”の人々はどうでしょう?

『人と違う考え方をする少数の人々をそれ以外の皆で同調圧力により社会的に押さえつけ、法に違反していないことまで行動を制限して仲間はずれにしてきた集団』の1人とも言えてしまうと思うのです。

こう考えると、そもそも弱者とは誰だったのでしょうか?

ようやく声をあげられるようになった彼らマイノリティの声に耳を傾け寄り添わないことは、これまでのモラルに反さないのでしょうか?

人々がこういった声をあげる理由は世のため人のためと言いつつ、その根幹は結局のところ”生き方を知らない時代への変化を恐れている”だけと、そう思えてなりません。

彼らを責めるだけでなく”これまで犯したある種の罪”を考えなければならないのかもしれませんね。


Rethink MAACo

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[The text below is an English translation generated by chatGPT.
I am not responsible for the accuracy of the information provided by this translation.]

"To create something beautiful, there are no unbreakable rules." - Ludwig van Beethoven (1770-1827)

"All laws are made by old men and men. Young people and women desire exceptions, while old men desire rules." - Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)

Preface

There are many "things that must be observed" in the world: laws, rules, morals, manners, and more specific ones like religious commandments, company regulations, and school rules.

Each of these has its own scope of validity, with goals that can be either abstract or concrete. The penalties for violating them also vary in nature, including civil, criminal, and social consequences.

These "things that must be observed" have ranks and priorities, which seem to differ depending on one's values or whether the same person views a situation objectively or subjectively. This is somewhat puzzling, as rules are meant to provide consistent judgment across individuals, yet priorities vary from person to person.

In this discussion, I would like to explore these "things that must be observed" and how they are treated.

"Rules" and "Differences"

Firstly, how do laws, rules, morals, and manners differ, and how can they be categorized? This can be done based on the concreteness of their goals, their enforceability, and the nature of the penalties. Specifically, this means how objectively and concretely the rules are defined, how strongly they can be enforced, and what kind of penalties, such as fines, imprisonment, or loss of status, are imposed for violations.

The following diagram illustrates these differences:

(Note: In the diagram, larger elements are in the foreground, smaller ones in the background. This indicates the nature of the penalties, not their importance.)

While there are some elements that cannot be definitively categorized, this general positioning should be roughly accurate.

From this perspective, laws and morals are at opposite ends.

Laws

Laws concretely and objectively restrict behavior, and violations are penalized with specific measures affecting one's property or body, enforced by courts. The focus is on actions, regardless of the intentions behind them, and there is no intervention of the heart in principle.

Because they have the power to criminally punish, their enforceability is very strong, protecting the weak from the strong by not allowing individual accommodations. However, this also means that laws take precedence even when they are inconvenient for the weak.

This accommodates situations where multiple people see themselves as "the weak" due to their values and circumstances. The disadvantage of laws must be accepted to enjoy their benefits, as their impartial enforceability ultimately protects the weak.

So, how about morals, which are at the opposite end?

Morals

Morals abstractly restrict or encourage behavior based on ethical ideals, and violations are socially punished through loss of trust and broken relationships. Unlike laws, morals can sometimes address "inconveniences for the weak." However, if an individual does not perceive it as a reward or punishment, there is no enforceability of behavior.

The essence of moral enforceability is social exclusion, or "if you do something everyone dislikes, you'll be ostracized," which is a form of conformity pressure. Even if one goes against the majority's morals, if they can form a group with shared values to sustain social activities, their morals will be entirely different within that group.

The breakdown of morals seen in the age of social media is precisely this case. What was once a single axis of morals has now become multiple axes based on different values, weakening the overall common understanding. Attempts to socially ostracize are seen merely as "people with different values making noise."

"Diversity" and "Correctness"

The Past Social Structure

In the past, morals were generally the common understanding of society, with some exceptions. Laws were created by comparing ideal ethics with practical issues, and individuals were educated to aim for these ideals. Those who deviated were not only punished by law but also socially, losing their means of livelihood. Therefore, minorities with deviant values had to endure in silence, never truly "agreeing."

The Future Social Structure

This diagram shows how things have changed.

With the spread of social media, minorities who previously endured in silence have formed groups capable of independent social activities, weakening the majority's moral conformity pressure and, consequently, their social sanctioning power.

From the perspective of past norms, it seems like "there are more people who mistakenly believe they can do anything as long as it doesn't break the law." This perception is not entirely wrong.

However, from the perspective of minorities, "the past was persecution through societal conformity pressure." Now that they can form small groups with their own morals, they may see the majority as "people who mistakenly believe they can do anything as long as it doesn't break the law."

This significantly alters the "significance of laws." Existing laws were not created based on their ideals or ethics, so they can be obstacles in pursuing their ideals.

Even so, they must abide by the laws, so they raise social issues within the legal framework. This behavior is what the majority sees as "a lack of morals."

Is the Public in a Position to Criticize?

Given this background, one might wonder if the majority is in a position to criticize this "lack of morals." Politicians who are taking action might have the right, but what about those who merely "speak out"?

It can be said that they are "part of the group that suppressed minority perspectives through societal conformity pressure, restricting actions that did not violate the law and ostracizing them."

Considering this, who really were the weak?

Ignoring the voices of minorities who can finally speak out might itself go against the morals we have upheld until now.

It seems that, beyond merely criticizing, we might need to reflect on the "certain kinds of wrongs" we have committed.


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