【ブログ】noteのネガティブな魔力
noteを書きはじめてからまに思うことがある。
「書くたびに行動の活力を失っている」と。
書き出すことでスッキリしてしまっているかもしれない。
「言語化」と「可視化」にはたくさんのメリットがあることが知られているが、その裏側の側面としての効果だ。
例えばなにかを改善したいという意思が芽生えたとしよう。
頭の中だけでできる情報整理には限界があるから、ある程度まで言語化してみる。
書き出して可視化もしてみる。
とは言っても、改善したいという思いが生じたきっかけであるなんらかの「違和感」を無視はしない。
「違和感」を頼りに過去の事象から相関を見つけ、何かしらの仮説を導き出して小さく改善を回してみる。
仮説が正しそうな結果がでると面白い。
しかしこれを、人に説明できるレベルまでしっかりと言語化と可視化を進めるとどうなるか。
つまりnoteに書くとどうなるか。
良くも悪くも、綿密に調べぬく。
「違和感」などというn=1の自身の感情は無視し、改善を回す行動に落とす前に、思考実験のごとくしっかりと内容を理詰めする。
するとどうだ。
成功確率が低そうな仮説、対策もそりゃあ多く生まれていることに、行動する前に気づいてしまう。
そうすると人間は、「シケる」。
時にこの現象に陥っている気がする。
達観したような、悟ったような落ち着いた気持ちになると同時に、それ自体が改善の意欲を削いでしまっている。
確率の低いことは最初からやらないなんてのは、思考の老化だ。
じいさんのやることだ。
これはよくない。
自分が合理主義者でかつ効率主義者あることを忘れていた。
知らないからできる行動力というものが、この世にはある。
ダニングクルーガー効果を逆手に取ったポジティブな運用方法だ。
少し賢く、少し馬鹿でいないと、人間は動けなくなるものだなぁ。
Rethink MAACo