【現代語訳】植木枝盛「自由は鮮血で買わなければならない」 (原題:「自由は鮮血を以て買わざるべからざる論」、1876(明治9)年)
原文:植木枝盛 現代語訳:山本泰弘
〔訳注1:【 】は底本の伏字を訳者が文脈を踏まえて補ったもの。〕
〔訳注2:これを載せた新聞の編集長は禁獄一年半の刑罰に処せられた。〕
あらゆる商品やサービスに価値があるのは、それらのために労力や物資(いわゆる生産費用)がつぎ込まれたからである(中にはがんばって生産しても価値が無いものもあるが)。ゆえに、その生産にかかる労力と物資が多大なものは価値が高く、それらが少ないものは価値が低い。これは経済の定理だ。
人々の自由というものは、一瞬も手放してはならない、人間にとって最も貴重なものである。この自由は、人々誰もが有し利用できるもので、その恩恵は無限に大きいが、かといって価値を生じるわけではなく、自由を売買することはない。もともと人々の持っているものであるから、常に有って失うことはないだろうか。いや、そんなことはない。他者によって妨害され、自由を失うことがある。その他者とは何か。二つあり、一つは一個人、もう一つは【専制政府】だ。ではこのどちらが、強力に自由を妨害するか。一個人による妨害というのはどのようなものだろうと一個人だから極端な力を持つことはない。だが【専制政府】は一【国】の首領であり、当然強大な勢力を握っている。だから自由を妨害するのも強力なのだ。
人々は仮に自由を失うことがあれば、必ず元通りに取り返さなくてはならない。自由が無くては生きる利益が無いに等しい。では自由をどうやって獲得するか。自由は本来自分に有るものではあるが、もし一度これを失って取り返そうとする場合には、他の商品を買い求めるのと同じように、必ずその対価を支払わなければならない。ただし自由を得るには銀貨ではなく努力を、金貨ではなく鮮血を支払わなければならない。
そもそも政府というのは人々を保護するものであり、人々は保護を政府に託すものだ。だから政府は人々のために、人々も政府のために利益を得させようとするはずだ。互いに真にそれぞれの道理を尽くして欠けるところが無ければ、議論や抵抗、鮮血といったものは無用のはずである。しかし人は誰しも情や欲を無くすことはできず、時として自分に利益を、他者に害を与えることがあり、自分の自由を優先して他者の自由を損ねることがある。たとえ情や欲に表れずとも何らかの物事によって惑わされ、その道を誤ることが無いとはいえない。これは歴史上にいくつも例がある。
ではどちらがどちらの自由を奪い、どちらがどちらに自由を奪われるのか。それは、政府が人々の自由を奪い、人々が政府に自由を奪われるのだ。その逆は稀である。
その局面に当たっては、自由を奪われた者はそれを取り戻す意志が無くては終わりである。自由を取り戻したいという心があるのなら、どうしてじっと待っていられるだろうか。自由はひとりでに戻ってくるのではない。必ず多少の苦労を費やしてこそまた手に入れられるのだ。
最も自由を全うできていると自任する米国民を見よ。米国が英国から独立する前は、英国王によって虐げられ、甚だしく自由を奪われていた。この時代にもし、米国の人々がじっとして口も閉じ、英国王のなすがままになっていたら、今日の米国はあり得なかった。植民地のままインドかベトナムのようになっていただろう。偉いことに、当時の米国民は自由への志を奮い立たせ、労力を惜しまず、鮮血が流れるのを顧みず、決起して英国に反旗を翻し、米国独立を成し遂げたのである。つまりは、米国の今日の自由は、いわばかつて流された鮮血が養分となり生い茂った大木なのである。
古くから自由を有する英国民を見よ。かの有名な「マグナカルタ(大憲章)」が取り決められるまでは、ややもすれば政府が権力を乱用し、すこぶる人々の自由を抑圧していた。もしもこの時人々が自由を得るための労力を惜しんでいたら、国王が同意したマグナカルタは成立しなかったに違いない。つまり、今日の英国は無かったであろう。
幸いなことに、当時の英国人は、艱難辛苦の末国王に迫ってマグナカルタを成立できた。それから、これに基づき諸々の憲法を定めて国民の権利の所在を確定し、それは今日に至るまで変わることがなかった。要するに、やはり現在の自由はいわば過去に苦労して掘った源泉から湧き出す水であり、その当時に井戸を掘る努力を避けていたら、今日水が絶え間なく湧いているのを見ることはできなかったはずだ。
選挙で国家元首の大統領を選ぶ共和政は人々が望むものだ。政府は必ず人々の利益を考慮するというのなら、歴史上、政府が自ら進んで共和政を成立させた国があるか。いや、無い。議会も人々が望むもので、かつ、人々の持つ権利を保全するためのものである。しかし古今東西の国々を見るに、政府が自発的に提唱して議会を開いたところはあるか。あったとしてもごく稀である。
結果があるものには、必ず原因がある。万物はみなそうである。これは天の法則だ。人々の自由は各自にもともと備わったもので、人の存在を原因とした結果である。そしてひとたび自由を失ってそれを取り返すには、そうなる原因が無くてはならない。前述の英国民・米国民はまさにその道理を心得ていたといえる。ならば後世の諸国民たる者も、もし彼らのように政府の圧制に遭ったときは、彼らに【倣】わなければならない。
「習い事は上り坂で荷車を押すようなものだ」ということわざがある。私が思うに、民が圧制政府に対し民権を主張して自由を求めるのは、言うなれば荷車に貨物を載せて上り坂を押すようなものである。どういうことか以下に解説しよう。
運び手が上り坂に向かって荷車を押す。それはどんな方法かは関係なく、目指すは坂の頂上を越えることだ。そこを越えてしまえば、車上の荷物を運ぶという仕事は達成だ。例えて言えば民権は荷車であり、自由は荷物である。その荷車を押して坂の頂上を越えれば、自由はわが手から逃れることはない。ここでその荷車というのは木や鉄の車ではなく、議論と鮮血とで抵抗する者のことだ。坂の頂上というのは地面の頂点ではなく、悪徳政府の圧制の頂点のことだ。ゆえに、これを乗り越えるには徹底的に腕力と心力を尽くすことが求められる。
いずれにしてもその目的を達成する道理は同じで、もし途中で気が緩めば、木や鉄の車がひっくり返り、危険な凶器となりうる。同様に政府に対して民権を主張する者も、もし途中で気が緩めば、政府がかえってますます威力を強大にし、従来を上回る圧制をなす可能性も無いとは言えない。
とはいえ、以上は普通の坂について語ったものだ。過酷な坂でなければ、それを乗り越えられるかどうかは各自の努力次第であるが、断崖絶壁を越えるには、単に荷車を押す努力でできるものではない。そんな場合は、弾丸で岩石を破壊し、刃で土の塊を切り崩し、現場の状況を覆すことによって荷車が進む道を造らなければならない。
すなわち、政府の圧制がまだ甚だしくなければ民は穏健に言論による抵抗をするのでよいだろうが、もし圧制が甚だしく、政府が人の口をふさいで発言を封じ、自らは耳をふさいで意見を聞かず、その勢力と横暴を思うがままにする場合に至っては、単に言論で立ち向かって自由が実現できはしない。この時に及んでは、前述の岩石を破壊し、土の塊を切り崩す手段を下さなければならない。そうでなければ以後永久に民権と自由が手に入る日は来ない。
わが愛する【革命】よ。殷の聖王・湯王は、夏の暴君・桀王を追放し、周の聖王・武王は、殷の暴君・紂王を打倒した。極悪【君主】を除去し不良【政府】を転覆してそれらに苦しめられる国民を救うのは、天の道理が認める事のはずだ。これは民がやむを得ず行動する権利と言える。
政府はかつて非常時の権限を使ったことがあった。民にも、非常時の権限がある。政府はそれによって尊厳を得、民はそれによって権利を保てる。ということはいずれも国家にとって限りなく重大なことだ。
私は現在清く盛んな国日本〔※〕に生まれ、幸いに賢明な政府の保護を受けすこぶる安寧と福利を得ているが、それでも前述のやむを得ず行動する権利については、非常時に備え研究し解説せざるを得ないのだ。
〔底本:『植木枝盛集 第三巻 新聞雑誌論説1』〕
※原文は「清盛ノ日本」。平清盛と掛けた皮肉である。