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塀の上を歩くには芸がいる。
刑務所の塀の上を歩き続ける鉄道員。
田中角栄さんを表現する言葉に「刑務所の塀の上を歩いている」がある。吉田茂さんが往時の角栄さんに一歩間違ったら犯罪者となるような、グレーな資金調達をさせていた際に揶揄した言葉である。
この言葉の塀に相当する部分を養老孟司さんは、組織と世間とか、自分と世間との「壁」に見立てて、講演会などで説明しており、YouTubeで切り抜き動画を見る度になるほどと感心する。
確かに会社組織に属すると、対内的なものと、対外的なものに二分される。塀の内側に落ちる場合は、組織人としてのキャリアを意味し、滅私奉公な人生となり、我を貫き塀の外側に落ちると完全なる部外者。つまり自分を捻じ曲げることなく、キャリアの枠組みにも嵌まらない生き方をするには、バランス感覚が必要で芸がいる。
私は組織人としては器用な生き方が出来ず、晴れて今春で塀の外側に落ちるが、鉄道乗務員としては、塀の上を歩いて来れたと自負している。と言うのも、乗務員はワンミスが文字通り命取りになることがある職種で、往々にして命が取られるのは他者、つまり旅客や同僚だからだ。
尼崎目前にある魔のカーブに116km/hで進入した結果、単純転覆脱線により列車が沿線のマンションに激突する大惨事となり、運転士を合わせた107名の命が失われた。
東海道新幹線初の人身事故は、三島駅で高校生が駆け込み乗車でドアに指を挟まれたが、駅係員や車掌がそれに気付かず発車して、引き摺られた後、軌道敷に転落して当該列車に轢かれたことによるものである。
いずれも現業職員は業務上過失致死容疑で書類送検されている。重過失であれば時には逮捕に至り、新聞で実名報道されるケースもゼロではない。ある意味、鉄道員も「刑務所の塀の上を歩いている」わけで、現業職員として最後まで上手くやり過ごして塀の外側に落ちたのでヨシとする。
人はいつバランスを崩すか分からない。
とはいえ、社会不適合者故に刑務所の塀の上に加えて、組織と世間の塀の上で、バランスを取りながら歩くことに、無意識下でも相当なストレスが掛かっていたらしく、20代半ばで大病を患い、入院、手術に至った。
もし発作の症状が現れて倒れた時が乗務中だったら、本人の意思によらない暴走運転に、乗客を巻き込んでいた可能性が少なからずあったことを考えるとゾッとする。
急病によるものは重過失は問われないと願いたいが、仮に長い直線区間で最高速度で運転中に意識を失い、デットマン装置の作動が遅れ、その先が急カーブであれば、尼崎の列車事故のような事態が再発する可能性はゼロとは言い切れない。
資金力のない会社や赤字線区だと、設備投資が後回しで保安装置に速度照査機能がなく、マンパワー頼りになりがちで、頼みの綱であるヒューマンが異常を来たせば、安全など担保されていないに等しい。
今回は偶然にも運良く休日に病に倒れ、刑務所側には落ちなかったものの、入院中に環境を変えなければ、次に塀の上でバランスを崩した時に刑務所側に落ちかねない。しかし組織は有資格者不足を良いことに、免許保有者を扱き使う方針が変わらない以上、鉄道員としての引き際だと考え、早期退職に至った。
塀の上を歩きつつ、後ろ盾を構築する。
それが可能だったのはコロナ以前から、お金持ちの方程式である(収入-支出)+(純資産×運用利回り)の変数を当時、方程式を知らないなりに良い方向に変えられるように努め、淡々と投資元本を積み増しながら生きてきたからに他ならない。
なにより手取り13万円で実家暮らし故にお金も入れていた。漠然と年間100万円貯蓄しようと思えば、月5万円、年2回のボーナスで20万円は先取りする必要があり、心理会計上、自由に使えるお金は学生のお小遣いに毛が生えたレベルでしかなかった。
少しでも可処分所得を増やすために、最初は手っ取り早く収入を増やそうと、残業で稼いだ時期もあったが、当時80時間の過労に見合うだけの対価とは思えず、税金や社会保険料が悪戯に上がり自分の首を絞めるだけと察して、この路線は入社3年目には取りやめていた。
次点はAdobe Stockで素材を提供したりする、ストック型の不労所得を狙ったがどれも鳴かず飛ばず。現在もこのnoteを含め試行錯誤の段階で、まとまった利益が得られた試しがない。
フリマやオークションで不用品を整理するのだけは、唯一まとまった金額が得られるが、プレミアでもついていない限り、過去に購入したものよりも安く売り払うケースが大多数で利益にはなっていない。
突出した能力のないパンピーが副業稼ぐのは難しい。だからこそ誰でも実現可能な支出の削減が重要になってくる。
私はまず、携帯電話をセルスタンバイ問題などがあったMVNO(格安SIM)黎明期に、音声通話用のガラケーと、データ通信用のスマホの2台持ちで2,000円台に抑えていたし、当時学んだ複雑怪奇な料金の仕組みや、契約で注意すべき点は、今でも応用できて要領よくポイントを抑えられている。
高校を出た直後に、右も左も分からず流れで契約してしまった保険を解約したり、実家を出てから電力ガスは自由化の新契約に切り替え。持ち物を減らしてはより家賃の安い、狭小物件に転居するなど、生活レベルを下げることなく、生活コストを抑える術を片っ端から試す取り組みに終わりはない。
年収300万円程度の周辺的正社員でも、年間100万円が難なく貯蓄できるようになってから、ようやく資産運用や投資の勉強に取り組むようになり、今では複利の力で生活費用が賄えるレベルのインカムが得られている。
生まれてからなんの後ろ盾もないパンピーである以上、自ら学ばない限り、いつになるか分からない定年まで、塀の内側に落ちた滅私奉公な社畜人生を歩むか、器用に塀の上を歩き続けるかの二択を迫られる。
私は人間の根っこの部分など、変えられないものだと考えており、自分を捻じ曲げられない性分である以上、塀の上を器用に歩きながら、いつバランスを崩しても大丈夫なように、着々と後ろ盾を構築してきた。
人が生きていくのに多くのお金は必要ない。しかしお金があることによって、人生の選択肢が増やせるのもまた事実である。
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