最近の金融市場動向(2022年4月)
大事なことなので、初っ端から正直に記すと、
今後の市場がどうなるかは分からない。
分かると豪語するのは未来人と詐欺師だけだが、これだけで終わってしまっては味気ないので、私なりの考えを記そうと思う。
更なる円安。
先月に125円を突破したと記したにも関わらず、4月28日にはおよそ20年ぶりに130円台に突入した。外為の世界で、ボラティリティの低いドル円は1円動くだけでも大騒ぎになるのに、たった1ヶ月で5円も変動している異常さは素人目でも明らかである。
保有している米国株式のインデックスファンドも、ドル建てで見ると年初比でマイナスリターンだが、円建てで確認すると円安が上手い具合に下落分を相殺しているか、むしろプラスに働いていて助けられている。
円安によって懐が潤うのは外貨建て資産を持つ者であり、多くの日本人は銀行預金と貯蓄型保険の組み合わせで、資産のほぼ全てを価値が下落している円で保有しているから、徐々に舶来品が高級品と化し、疫病で遠のいた海外旅行も収束した頃には、想像以上に値上がりして夢のまた夢になっているかもしれない。
私の考える日本は、資源を輸入に頼らなければならない国であるにも関わらず、世界を相手に商売を行わず、国内市場で胡座をかいていたことでガラパゴス化し、既に国際競争力を失っている状態で、高付加価値路線で輸出するビジネスモデルは詰んでいると思っている。
高付加価値路線が望めないなら低価格路線が思い浮かぶが、社会主義である中国の人件費の安さは別格であり、どう足掻いても価格競争で勝つことはできない。長期目線で徐々に没落する未来が容易に想像できてしまうため、リスクヘッジとして、保有資産は円建てと外貨建てが半々になるように心がけている。
製造原価の高騰から値上げラッシュ。
先月に以下のように記した。
上記はあくまでも抽象的思考で、インフレや円安が良いものと言われていた世論へのアンチテーゼとして記したつもりだったが、4月からの値上げラッシュに留まらず、100円ショップが値上がりして100円で売れなくなったニュースなど、現実となることで日常生活に悪影響が出始めている。
そんな中、日本たばこ産業(2914)から株主優待のカップ麺とパックごはんが届いた。健康志向からカップ麺は月に1回食べるかどうかの私からすれば、この優待だけでカップ麺は必要十分で、身銭を切って購入することは滅多にないため、値上げとは無縁な生活を送っており、生活防衛優待のありがたみを改めて感じる今日この頃である。
因みに同社は2022年12月の権利付き確定日を最後に優待廃止を発表しており、1年以上の保有が前提となることから、今から保有してもカップ麺やパックごはんが届くことはないので悪しからず。
北方領土が火種になる可能性。
以前にも昨今の戦争は、親米派の国と親中派の国の争いであり、実質的な米中対立であることを記した。日本で領土問題となっているのは北方領土、尖閣諸島、竹島であるが、いずれの国もトップが親中寄りであることから、島国かつ米国の安全保障があるとは言え、油断は禁物である。
いくら戦争中で北方領土に軍隊を割く余裕なんてないだろうとたかを括っていても、キーウなどの状況を見れば、武力攻撃を強行して直接占拠される事態が絶対にないとは言い切れない。
経済的に独立して札幌移住を夢見る身としては、本件で北海道の地政学的リスクが高まったのに加えて、経済制裁によるエネルギー資源の高騰で、雪国での生活コストが上昇してしまったのは残念でならない。
忘れがちな疫病。
マスク生活が日常となり、電波放送では戦争の話題が大半となったことで、疫病の存在感が薄いが消滅したわけではないし、いつ変異して騒ぎになる可能性もゼロではない。
現状の毒性であれば、インフルエンザと同じ扱いにしても良さそうに思える。経済活動が制限されている補填を、財政支出によって補っている状態は健全とは言えないし、その財源が我々の血税や、国債として将来世代に負担を先送りしているに過ぎない状態にも憤りを感じる。
しかし、暗い話題ばかりでもない。ノババックスの組み替えたんぱくワクチンを武田薬品が製造することや、飲み薬の実用化が話題になっている。
mRNAを懐疑的な目で見て接種を拒んでいた人がこれを機にワクチンを打つようになれば、接種率も上がり重症化リスクが低減されたり、軽症者は飲み薬で対処が可能となれば、2020年の治療もワクチンもない状況下とは異なるため、感染法上の2類から5類に引き下げられれば、インフルエンザのように共存する社会に戻るかも知れない。
金融市場そのものは疫病懸念から戦争懸念に移り変わり、より一層、不安定な状況が続いている。何かの拍子で株式市場が暴落して、一番底、二番底…のような事態も想定して、適当なキャッシュを持ちつつ、嵐が過ぎ去るまで生活防衛優待をメインに凌ぐのが妥当と感じる今日この頃である。