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対極の狭間で身に付けた金銭感覚。

独自のお金感を持つ人は少数派。

 鉄道員という職業柄、航空会社や新幹線が明からさまな繁忙期で、料金も割増な年末年始には帰省しない。するとしてもピークを外すか、世間一般とは逆の動きとなるように心掛ける。

 昨年は親戚まわりの挨拶をしようと思った矢先に発作で倒れて1ヶ月の間、入院、手術をして1月は終わり、病み上がりで新年の挨拶の時期からも外れて、結局帰省しても何も出来ずに現実世界に戻されたため、事実上2020年以来の挨拶となった。

 近況報告と言っても、疫病を境に何もかも変わってしまっているため、どこから何を話せば良いのかすらおぼつかないものの、やはり社会に出てから大学に行くのが物珍しいのか、話題は大学とAFP認定研修が中心となった。

 私は同じ地域の同級生と比較すると、両親ともフルタイムの共働きと、当時では少数派だったこともあって、経済的には恵まれない家庭だったと認識しているし、不名誉な話題の片親パンもひと通り食べ尽くした感はある。

 共働きも公務員のようなパワーカップルなら少しは状況が違ったのかも知れないが、一馬力では到底子供を養えないから仕方なく二馬力だった経過から、小学校に入学する頃には鍵っ子で、下の兄弟は一度紛失して怒られているが、私はその時の鍵を未だに使っている。運転免許証の末尾も0と、自己管理能力はそれなりにある部類なのかも知れない。

 だからこそ、同級生の家計と自分の家計は何が違うのか、分からないなりに理解しようと努め、最も身近にいる貧乏な大人のメンタルブロックを推定してはそれを反面教師にして、独自にお金に対する感覚を構築してきた。

 しかし、多くの人は身内親族の影響を受け、誰かのメンタルブロックを踏襲しているか、反発して真逆になっているだけの場合が多く、独自の金銭感覚を身に付けている人は少数派のように感じる。

極論から着地点を探る。

 私が反面教師にしていた二人は、一方が浪費家、もう一方が倹約家とお金に関する考え方が相反していたため、思考のプロセスとして、一旦大枠で、両極端に触れた場合に想定される極論を仮定して傾向を掴み、双方のメリット、デメリットを勘案した上で、その中間のグラデーションの中から、自分にとってちょうど良い塩梅を探ることが多い。

 例えば、炊き込みご飯を作る時に、液体全てが醤油だと塩っぱくて食べられないが、水なら単なる白米で食べられなくなることはない。つまり、調味料の分量を多く間違えると修正が効かないが、少なく間違える分には修正が効くと言った具合である。

 今思えば、昔からルールの抜け漏れや、数字のマジックを見つけるのが他人より上手いのは、一旦極論で構造を捉えてみて、そこから傾向を掴む癖の影響かも知れない。

 良いか悪いかは別にして、欠陥に気付いても状況によっては態と知らないフリをして、肝心な所で手のひら返しで形成逆転したり、泣き所を突くような悪趣味で情弱を騙して私服を肥やそうとする下劣な輩を撃退する嫌いがあり、その姿を知っている人ほど、多数派からは嫌われる運命にある私でも不思議と敵対しない。

 弊害があるとすれば、確信犯で穴を付いた結果、問題が生じても、構造上の欠陥に起因する以上、例え悪意があっても個人を論理的に責められない状況から、苦虫を噛み潰したおっさんの顔を見て、ニヤつく悪趣味があると思われること位である。

結論、学び続けるしかない。

 話を戻そう。昨今、政府が「貯蓄から投資へ」とNISAを拡充した影響からか、帰省した際に珍しくお金の話題をする運びとなったものの、内容としては一般庶民の税負担が重く、金持ちばかりが優遇されていると、典型的なお金持ち=悪者のステレオタイプに引っ張られた中身のない内容で落胆した。因みに私は身内親族には資産額を明かしていない。知っているのは一部の親友だけである。

 確かに賃金労働者の可処分所得は失われた30年で減少傾向だが、その影響が大きいのは高所得者層であり、それを低所得者層が金持ち優遇税制だと恨み節を言った所で、サッチャーの言葉を借りると、お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちにならない。

 そうは思いながらも親切心で一応、給与所得に係る所得税は超過累進課税で、高給取りが優遇されているわけでもなければ、重税を貸したところで納めるような高所得者が日本にほとんどいない。

 現に平均年収400万円ちょっとでは、所得税率は最低水準の5%で、住民税や社会保険料を加味してもせいぜい税負担は給与所得の2割であることを考えれば、いかに平均的な年収の人からは税金が取れず、高所得者層を狙い撃ちしているかは明白である。

 お金持ちを槍玉に上げ続ければ、シンガポールなどの税負担が軽い国に移住し、日本から居なくなってしまうことで、低所得者層は感情論ではスッキリするかも知れないが、高額納税者を失えば自分たちの首を絞めるだけである。

 所得税納税額の半分近くが上位4%の高額納税者で占められ、残り全員が束になって、ようやくもう半分が納税されている構図で、確かに税負担は重いのかも知れないが、高所得者は一般人とは比にならないくらい重税で、決して金持ち優遇税制ではない。

 こんな内容で説明はしたものの、1億円の壁で金持ちだけの優遇税制があるかのような、K産党員が使ってそうな口振りで反され、給与所得の総合課税と金融資産所得の分離課税のカラクリで1億円の壁が発生していることを、内閣府の税制調査会 財務省説明資料を用いて説明したが、納得している様子もなければ、具体的な反論がある訳でもなく平行線で、ただただ金融リテラシーの溝を感じた。

 それ位、金融リテラシーは一朝一夕で身に付くものではない。実際に私は株式などの有価証券を保有して、値動きから経済の動向を自分ごとで捉える様になってから、経済のことを学ぶようになったことで段々と見えてきたが、世間一般の生き方をしていれば、誰かから実学としての金融教育を受ける機会がないまま社会に出る。

 なるべくしてお金持ちになった人は、生活から切っても切れないお金の扱い方が上手いと感じる。それは経済的に豊かになる前から学び続けて金融リテラシーを身に付けてきたからで、それをせずに生活に窮している人たちは、お金持ちや高所得者を非難する前にやるべきことがあるのではないかと思った帰省であった。愚かな私は今日も学び続ける。


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