生涯学習のすゝめ
人生で一番若い今、勉強すれば良い
この社会は大卒と非大卒で世界が分断されていると言っても過言ではない程度に、見えている世界が異なる。なぜそんなことを記せるのかといえば、私が一度高卒で社会に出てから、大卒資格を取ったことで、両方の視点を有している超マイノリティだからだ。
そのため一応、最終学歴は大卒ではあるものの、社会に出てから高卒として過ごした期間が長かったことから、必然的に非大卒側の視点でこの社会を観察している期間の方が長い。
そんな、周囲に大卒の居ない家庭や職場環境で育ったこともあって、”もっと勉強しておけばよかった”と後悔している大人たちが、一定の割合でいる事実に、幼い頃から薄々気づいていた。
そして社会に出てから、その気持ちが半分だけ理解できるようになった。確かにこの社会は広く、自分の知らないことが腐るほどある。そのうえ、自分に何が足りないかも嫌と言うほど分かるようになる。
絶対的な知識量や教養が不足している自分を前に、経済的な要因で大学進学を諦めた過去の自分の不遇さを嘆く常套句が”もっと勉強しておけばよかった”なのだろう。しかし過去は変えられない以上、いくら嘆いたところで仕方がない。
これまで見てきた大人たちと私が違ったのは、高卒で社会に出てから数年間で、自分に足りない要素や、学びたいものを明確にして、20代前半に身銭を切って通信制大学に入学し、4年掛かりで卒業したことだ。
通信制や夜間の大学であれば、開かれた大学や社会人教育としての側面が強く、必要書類と入学金さえ支払えば入学試験はなく、年間20万円程度の学費で在籍できる所もある。
”もっと勉強しておけばよかった”と嘆く今、この瞬間が、残りの人生の中で一番若いのだから、今から勉強すれば良いだけの話であり、それをせずにボヤいているのは、その程度の後悔なのだと個人的には思ってしまう。
大卒目線で残業規制をした結果、誰も得しない2024年問題
そうして、”もっと勉強しておけばよかった”とボヤく代わりに、淡々と単位を積み上げて学士を取得した今、世の中がいかに大卒側の視点で動いているのかが見てるようになった。
働き方改革という言葉を聞くようになって久しいが、これまで恩恵を受けていたのは主にホワイトカラーであり、その多くは大卒だ。反対にかつて私が勤めていた運輸業をはじめ、建築、生産、製造業、いわゆるブルーカラーに勤める多くの非大卒は蚊帳の外だった。
裏を返せば、非大卒ブルーカラーが、不安定な雇用や3K職場から連想される不利な待遇を一手に背負う形で、社会インフラを支えているからこそ、大卒ホワイトカラー側が自由な働き方を選べているのが日本社会の実情だ。
そして、働き方改革のような方針を決めるのは政治家であり、中谷一馬氏のような例外も居るものの、基本的には超が付くほど典型的な学歴エリートの方々が政治家となっているのが現状で、大卒が見ている景色を基準に政治的意思決定が行われている。
それにより機能不全を起こしているのが、昨今の物流や公共交通機関の2024年問題もとい残業規制だろう。
ブルーカラーやエッセンシャルワーカーは、労働集約型産業の構造上、基本給が安く、多くの労働者は人並みの賃金を得るために、人並み以上の労働時間という名の生活残業を頼りに生計を立てているのが実情だ。
これまではとにかく長時間労働さえこなせば、単純作業を繰り返すだけで、労働者としてそれなりの稼ぎがあったし、使用者としても、その生活残業に甘えて効率化や人員増強を怠ってきた節がある。
そこに残業規制が入ることで、稼ぎを決める「時給単価×時間数」の”時間”が塞がれ、単価を上げる他なくなったが、これまで単純作業を長時間こなしてきた人が、いきなり高いスキルを要求されるような、単価の高い職に就くのが、スキルセットや職務経験を踏まえた労働市場での評価を踏まえれば現実的ではなく、ドロップアウト前の私も転職活動でこの呪縛に苦しめられた。
そうして、アテにしていた生活残業が出来なくなり、稼ぎが減って生活が立ち行かなくなると、リスキリングでキャリアアップなどと悠長なことは言ってられなくなり、目先の生活を維持するために、今よりキツいが稼げる作業に流れていく。
結果、社会システムを維持する上で必要だが、大して稼げない運輸業をこれまで支えていた非大卒男性が、大卒目線での政治的意思決定によって、真っ先に不利益を被る格好となったうえに、日常生活でも物流コストの増加、リードタイムの長期化、バスや鉄軌道の減便、休廃止が相次ぎ、誰も得をしていないのが現状ではないだろうか。
諸行無常の世界を生き抜くには、生涯学習する他ない
本来であれば、非大卒側が3K労働のような不利な生活条件や、非正規雇用などのリスクを背負わされながら、日本社会を一手に支えている意味で、いの一番に声を上げるべき状況に置かれている。
しかし、政治に対する理解や関心が十分でないことから、サイレント・マジョリティとして埋没しており、政治的意思決定から疎外される結果をもたらしている。
この残酷な格差を、希望すれば(教育ローンを組めば)誰もが大学へ行ける時代に、それをしなかった(知識・教養のない)奴らの自業自得と、自己責任論で片付けて来たのが、この失われた30年だが、それも限界に達しつつある。
そもそも、役所の手続きを自力で行うには、偏差値60程度と上位15.87%の能力が必要になると言われていることからも伺えるように、学歴エリートしか仕組みを理解できず、85%弱を切り捨てている知識社会のシステム側に問題があるが、エリートはエリート故にこの問題を認識できない。
結果として、声を上げられるのは、私のように非大卒側の目線を持ち合わせていて、その問題点を大卒側の目線で伝えられる超マイノリティに限定される。
そのため、同類を増やす意味でも、もっと勉強しておけばよかったと後悔する気持ちが少しでもあるなら、諸行無常の世界を生き抜くには、生涯学習する他ないのだから、今から学び直したらええやんと檄を飛ばして筆を置く。