名を棄てて実を取る
5人の平均ジブン論
周りの5人の平均が「あなた」である通説が、しばしば意識高い系自己啓発書に記されている。要するに付き合う人間を選べ的な常套句だろう。
これはジム・ローン氏の「You are the average of the five People you spend the most time with.」から来るもので、意味合いとしては、一緒に過ごす時間の長い友人5人と捉えた方が正確かもしれない。
とはいえ、友人の線引きが人によるため、私のような警戒心高めの変人は、そもそも一緒に過ごす時間の長い人間が、現時点で5人居るかも怪しい。
というのも、一般的な労働者の場合、時間の長さだけで計ると、職場の人間関係が週40時間前後と最も長くなるが、パブリックな場で利害関係の伴う関係である以上、例えどれほど親しかったとしても、それは利害関係が伴う時点で友人ではなく、仕事仲間の域を出ないと考えるのが持論ではある。
利害関係が無くなった退職後にも、コンスタントに機会を設けて会っているのであれば、話は別であるが、温情経営がウリだった典型的な日系企業を辞めて、晴れて「よそ者」になると大抵の場合、疎遠になるのが世の常だ。
さて、そんな友人の定義は何かと、カクカクシカジカ考える面倒な私が、友人枠に入れているうちの1人は、境遇は同じ高卒で一度社会に出たものの、紆余曲折あって大学で学び直している意味で、5人の平均ジブン論は強ち間違いでもない気がする。
そもそも高卒(非大卒)と大卒の間で、社会が分断していると言っても過言ではないほどの絶対的な壁があり、両者が見ている景色も違う。
そのため、高卒で社会に出た者が、大学で学び直す決断をするのは、早くてもライフプランや経済的に余裕の出る40代以降が相場となっている。
まだ人生の先行きが見通しが付かず、それでいて遊びたい時期でもある20代のうちに、自己投資の観点から、学び直しの重要性に気づき、行動を起こせる人間が超マイノリティなことくらい、放送大学の年齢層を見ても明らかだろう。
そうした存在が身近に居て、自分自身も似たような境遇の時点で、人間関係に偏りがあることは紛れもない事実なのだから、5人の平均ジブン論は強ち間違いでもない気がする。大事なことなので2回記した。
リスキリングの価値は?
さて、そんな高卒で一度社会に出て、20代(しかも前半)に大学で学び直すアクションを起こした私と友人だが、その意思決定に至るまでのプロセスと、結果には相違点が多い。
時系列だけで語れば、友人は純粋に大卒か否かで、社会システムの枠組みにガラスの天井が存在する事実に気付き、勝算はあってのことだとは思うが、先のことまで深く考えず、取り敢えず行動に移せるタイプの行動力オバケであり、ファーストランナーでもある。
私は第一子として生まれ、成人に至るまで、何をするにも手探り状態だった境遇から、想定し得るリスクとリターンを洗い出して、頭の中で期待値を算出してからでないと行動に移せない小心者であり、専ら先人が悪戦苦闘して切り開いた道を、要領良く改良しながら進むことができる、二番手以降のポジションを取ることが多い。
良くも悪くも、私はコロナ禍の自粛ムードで、大手を振って遊べなくなった状況を、学び直しの好機と捉えて通信制を選んだ。
友人は私よりも2年半前に国公立大学の第二部を選んだが、ライフプランの変化が生じて1年休学、その後も単位が足りなくて在籍延長を繰り返し、卒業時期が私と並んでしまった。私は既に卒業単位を充足して、卒業の手続きを待つのみ。
高校の同級生である以上、個人の偏差値に大きな差はない。差があるとすれば、国公立の夜間と通信制の私大の絶対的なネームバリューの違いから来る、大学が要求する教育水準の違いに起因する、単位取得の難しさと捉えるべきだろう。
そもそも日本の大学そのものが、研究機関ではなく職業訓練校と揶揄されても致し方ない程度に、企業の格付けと、それに見合う偏差値を有する生徒とを繋げる社会的な場として機能している側面が否めない。
これと、新卒一括採用、学歴至上主義、年功序列制のフルコンボによって、新卒就活のスタートラインで出端を挫かれると、個人のキャリア形成上、その後の挽回が一気に難しくなることを意味し、その典型例が就職氷河期世代だ。
これが何を意味するか。高校を出た直後に大学に行かず(行けず)、社会経験を積みながら学費を工面して、大学で学び直した人間の労働市場における評価は、例え同じ学歴であっても未知数というより、想定外なのが現状である。
いくら国がリスキリングを推進したところで、雇用の流動化とセットでないと意味をなさないため、現時点で私や友人は、大卒になったメリットが、蓋を開けてみないと分からない意味で、実験動物の域を出ない。
だから私は、学士を取る目的を果たすためのコストの最小化に努め、短大+大学で2年毎に区切り、挫折した時のリスクを最小限に留めつつ、4年で大学を卒業できるよう、名を棄てて実を取る作戦に出た。
結果として先に行動した筈の、得を取るより名を取った友人と卒業時期が並ぶ面白い展開となったが、果たして今後、友人は在籍延長した学費に見合うだけの名誉が得られるのか、実を取った私は低みの見物をする楽しみが増えた。