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弱者こそ学ぶべき、孫子の兵法


戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり

 「孫子の兵法」を聞いたことがあるだろうか。私は工業高卒で社会に出ている出自もあって、社会に出てから自己投資の一環で本を読むようになってから知った。

 一般的には「戦わずして勝つ」を思い浮かべる人が多いかも知れない。とはいえ、2500年以上前の戦術書で、中国発祥も相まって、原典は漢文の知識がないと読めず、多くは超訳シリーズ的なものを読んで、ニュアンスを掴む形となるだろう。

 それに加え、戦後日本はアメリカの民主主義や個人主義を前提とした教育や価値観が浸透し、逆に遣唐使や遣隋使の時代には仲良くやっていた筈の中国に対して、嫌悪感を感じる程度に、米中摩擦で米国寄りの価値観が形成されている。

 ゆえに孫子は中国の戦略書だから読まないと、食わず嫌いしている人も、もしかしたらいるのかも知れないが、我々のような逃げ場のない島国で、玉砕覚悟で戦ってきた民族よりも、戦略的撤退が可能な”逃げる”選択肢を持つ大陸で練られた戦術書の方が洗練されており、島国の民族だからこそ学べるものが多いように感じる。

 孫子の兵法のスタンスとしては、戦争は最終手段であり、戦わずして勝つために知恵を絞れ的な、弱者が生き残る上で重要な示唆が含まれているため、正攻法では強者になれない者ほど、孫子の兵法を知ることで、人生戦略の幅が広がるかも知れない。

 兵法の中にも、「人のやらないことをやれ」的な教えがあり、頑張って大企業に就職して、真面目に働いたら、過労死寸前まで追い込まれて、20代で潰れた身としては耳が痛い。

 運良く新卒切符で大企業や公務員になれたとしても、巨大組織の一員である以上、出世や社内政治という名の熾烈な競争が付き纏う宿命があり、そこに敗れると中年〜壮年に飼い殺しとなっては、早期希望退職者として狙い撃ちされる可能性が高い。

 そう考えると、旧帝大や難関私大に入れるような学歴エリートを除けば、絶えず競争環境に晒され続ける大企業よりも、初めから人材確保に窮する中堅企業狙いで、過度に分業された大企業ではまず経験できないような仕事を経験した方が、その時は苦労してもスキルが身に付く分、報われる期待値は高いとも捉えられるが、いかがだろうか。

能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示す

 他にも小さなプライドは捨てて普段はヘタレキャラで通しておき、相手を油断させておけば脅威と捉えないことから、わざわざ潰しに行く価値もない、取るに足らない人間と認識される。

 その方が長い人生を見たら、トータルで得だと説く飯うまギャグな一文が「能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示す」に相当するだろう。

 私はイタリアという国がまさにこの戦略ではないかと考える。景気が悪いとか、財政破綻寸前は常套句であり、生まれてこの方イタリア経済が良かった話を聞いた試しがない。

 では、危機的状況で内政が荒れ、治安が悪化しているかと言えば、極一部ではその様子が見られるのかも知れないが、全体を見れば安定している上、ブルガリ、グッチ、プラダのようなハイブランド品や、高級車のフェラーリ、ランボルギーニを始め、世界中の富裕層が買いたがるような、良い製品を割合作っている印象が強い。

 食文化にしても、フランス料理の発祥はイタリア説が有力であり、そんなフランス料理の原型とも言えるイタリア料理は、もっと評価されても良いと私なんかは考えるが、一般的なイメージとして、フレンチは高級で格式高く、イタリアンは庶民的で敷居が低いと、EU圏内で何かと下に見られがちだが、それでも主要先進国の座についている。

 歴史が長いからこそ、世界の優等生としてトップを維持し続けることの大変さを暗黙知として把握しており、GDPという尺度で見た際にG7でブービーという、脅威になるほどの経済大国でもない。

 そうかと思えば、フランスのように原子力を有しているわけでもなく、国土も日本の8割程度のため、資源の略奪目的でわざわざ戦争を仕掛ける合理性もないという、割合労力をかけない絶妙なポジションに位置し、主要先進国としてしぶとく生き残るのが、イタリアの高度な戦略であり強かさではないかと思った次第である。

佚をもって労を待つ

 先のイタリアのように、普段は意図的に相手を油断させておくことで、舐められるが、それ故に脅威と捉えられず標的にされない、まるで空気みたいな存在という、絶妙なポジションでしぶとく生き残り、相手が消耗するのをじっと待つ。

 すると、最初は多かった筈の敵も、周囲で戦が繰り返される過程で淘汰され、最初はとても到底太刀打ちできないような脅威も、次第に消耗して弱体化する。

 脅威が共倒れした所で漁夫の利を掻っ攫えるのが理想だが、それができずとも、できるだけ無傷の状態でしぶとく生き残り、敵が隙を見せた瞬間を突けば、無傷のアドバンテージを活かして勝つことができるだろう。

 これが「佚をもって労を待つ」で、冒頭の大企業や公務員の件でも同じことが言える。新卒採用では到底立ち打ちできないであろう、旧帝大卒や難関私大卒と直接闘うことを避け、競合しない中堅企業で若いうちから経営に携わる立場となり、経営者や管理職としてのスキルを磨いておく。

 そうして中堅になる頃には、私のように大企業や公務員の過当競争に潰れてドロップアウトする人間が出て来る。同世代の幹部候補や中間管理職が自然淘汰され、組織内でその手の人材が手薄になったタイミングで、マネジメント経験者として管理職の中途採用を受けると、実力はそこそこでも貴重な人材故に競合が少なく、優位に立てる可能性が高い。

 中堅企業が佚、つまり楽だと主張する意図はないが、大学卒業時には自分よりも優秀だった筈の同世代が、大企業や公務員の組織人として消耗し、死んだ魚の目をして体力、気力が削がれていく中で、過当競争という名の無意味な争いに巻き込まれることなく、無傷で育ったアドバンテージは大きい。

 組織の規模が大きくないが故に、オールラウンダーとして活躍していた中堅企業社員と、過度に分業された単純作業をこなすだけで、歳だけ重ねた大企業や公務員とでは、若い時の苦労の中身が異なるのだから、どちらの方が報われる期待値が高いかは明白だろう。

 曲解すると、”まだ俺が本気を出す時じゃない”と、コロニー(社会)に労働力を供給しない働かないアリとして、無傷の状態を温存するニートや引きこもりも孫子の兵法を体現していることになる。

 私は冒頭に記した通り、ドロップアウトしたことで、これ以上、深い傷を負わないための大義名分を得ているため、今は働かないアリとして貴重な若い労働力を温存し、同世代が30代、40代に差し掛かり、着々と潰れ始める時期に”俺が本気を出す時”の隙を虎視眈々と狙っていこうと思う次第である。

 現時点ですら、薄給激務な不人気職種を中心に人材もとい奴隷が寄り付かなくなっているが、日本の人口動態を鑑みれば、移民を受け入れるか、超効率化でもしない限り、労働力不足が2040年頃にかけて悪化の一途を辿るのは目に見えている。

 だからこそ、”チー牛”や”弱者男性”と舐められたら、相手は敵とすら認識していないため、その場でやり返さず油断させておき、隙が出た瞬間を突いて畳み掛けるタイミングを、虎視眈々とニチャアしていれば良い。

 就活で失敗したら”まだ俺が本気を出す時じゃない”と、無傷の状態を温存するのは、結果として15年先に「戦わずして勝つ」ことに繋がる有効な手段かも知れない。

 上記を鵜呑みにしたことで、何か損害を被っても責任は負えないが、少なくとも孫子の兵法は、弱者が競争社会を生き抜く上で、重要な示唆に富んでいることだけは確かだろう。


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