大増税時代に我々はどう生きるか。
日本経済は縮小の一途を辿るのか?
先日の記事に引き続き、増税の話は何も大衆からだけではなく、法人税の増税も検討しているとのことである。
法人税率を上げれば企業が節税目的で、人件費に還元するのではないかと期待しているのかも知れないが、株式会社は営利目的で事業を行っているため、必要以上の経費計上は大株主が黙ってはいないだろう。
そのため個人、法人共に重税にした所で、人件費には大して還元されないどころか、税率が上がる分だけ多くの利益を確保しなければ、当期純利益が前年比でマイナスとなり、株価にネガティブな影響も出るため、むしろ人件費を含めた経費の使い方がよりシビアになる可能性すら否めない。
本来であれば、増税されるなら税金以上に稼ぐ様にするか、消費を控えるかの二択となる筈だが、企業が人件費を渋る線が濃厚な以上、前者は期待できそうにないのは、失われた30年を振り返っても妥当な判断だろう。
そうなると後者の所得や消費そのものを控え、経済規模が縮小する形で増税に備える考え方が多数派となり、ただでさえ少子高齢化で人口が減少している日本経済で、更にシュリンクフレーションが加速する事態に陥る可能性が高い。
これは何も極論ではなく、日頃の経済ニュースと、少しだけ会計や金融の知識を養っている人であれば似たような解釈となり、何となく日本の将来が明るくはないことは察しが付くレベルの話で、今現在経済的に豊かな人ほど、子供に英会話を習得させようとするなど、仮に日本が没落しても他国でやっていけるだけの土台づくりを行っている印象すらある。
逆転の発想。
とはいえ、海外で通用するレベルの英会話を習得するのであれば、長期間の滞在が最も効率が良い。
何が言いたいかと言うと、国力が衰退して円安傾向に傾く中、為替レートが不利で物価も高い海外に長期滞在できるだけの資産を有している、経済的に豊かな人だけがいざという時に海外に逃げられる選択肢を有していて、本来であれば稼ぎ頭として日本経済を牽引してくれるような人材ほど、外資系企業や海外に流出して加速度的に国力が低下する懸念がある。
しかも子供時代に質の高い教育を受けられるか否かは、東大生の親の半数以上が世帯年収950万円超である統計からも明らかなように、保護者の年収が高いほど期待値が高い。
つまり、経済的に恵まれない家庭で生まれてしまった場合、ドラゴン桜並みの挽回劇を繰り広げなければ、泥舟から脱出する切符すら手に入らない可能性が高く、私も含めた多くの偏差値50あるかないか程度の凡人に取っては、生活のために馬車馬の如く最期まで働き、おとなしく行政機関に搾取される道以外なさそうに見えてしまうため、自身のクオリティに絶望して自決してしまう時期尚早な同世代や、私よりも若い世代の痛ましいニュースを知るたびに胸が痛む。
そもそも論で考えると、高学歴社会で出身大学が重要視される風潮から、受験競争に躍起になった所で、「何かを覚えてそれを正確に再現する」という、基本的にひとつの側面のペーパーテストだけで優劣を判断されるのは、運動神経と同様に生まれつきそれが得意で適性がある人と、そうでない人とで結構なハンデがあり、後者に関してはコスパに見合っていない様に感じる。
だからこそ逆転の発想で、競争社会で振り落とされないように必死になるのではなく、適正のない社会不適合者なら、不適合者なりに弱者として振る舞って、お情けを頂戴して潔くそれらの恩恵を受けた方が気楽に生きられるとすら思えてしまう。
適性あるなら仙人生活も視野に。
今でこそ言語化できているが、それができなかった当時の中坊だった頃の私は、美術に関しては表彰されるのが当たり前な、独特な感性を生まれつき有していた反面、初等教育の授業には興味がなく、必死になった所で偏差値50を超えるのが関の山だった。
高校受験の際、芸術分野に特化した高校の存在を知ってはいたが、そこに進学した所でその後に学費が割高な美大への進学がセットで、家計への経済的負担が大きいのは明白だった。
しかも職としては食えない可能性が高い上に、身につけた能力や専門性は一般社会において潰しが効かない現実を察して、自身の偏差値の中で就職率の高い工業高校を選択する運びとなり、結果として鉄道会社に就くことになったが、変則勤務故の不摂生が仇となり、20代半ばで大病を患い、入院、手術を経験して後悔した。
自身の感性を何かしらのアートに活かしたいと思っていた潜在的な願望を押し殺して、無難な選択をして主体的に人生を歩まなかった結果、内臓を悪くして健康体を失ったのだから後悔するのは当然である。
しかし、賃金労働者の常識である無職=無収入のイメージを、学校教育や周囲の大人たちから植え付けられていなければ、生きるために働かなければならないという強迫観念は生まれず、全く違う選択もしたのではないかと、社会保障の仕組みを学ぶ様になってから思う様になった。
日本という国は弱者に優しい。所得が低ければ税金も年金も免除されるし、健康保険料だって最大で7割引となり、年間で2万円そこらで済む。
それでいて受けられる便益は通常の納税者と同等か、低所得者向けの支援や給付がある分、手厚いかも知れない。
「何かを覚えてそれを正確に再現する」という、学校教育の延長線上で、賃金労働者として高い能力が発揮できる素養のある人は、たくさん働いて、たくさん稼ぎ、たくさん税金を納めて貰えば良いが、私のような社会不適合者は、下手に社会に交わった所で全体の効率を悪化させる疫病神にしかならない。
だからいっそのこと開き直り、おとなしく一般社会からは距離を置いて低所得者となり、税金も年金も免除、健康保険を3割だけ納めて、霞を食ってる仙人の様な生活を営むことで増税?何それ美味しいの?と言える程度に、貨幣経済とは無縁な自給自足に近い生活様式を受け入れることで、社畜として命を危険に晒してまで消耗するよりも、数段マシな生活が送れるのではないかと考えている。
無論、そのためには金融リテラシーに留まらず、税金や社会保障などの、簿記とFPの資格が取れる程度の知識は必要となるが、自身の価値観に沿った最適解が見つけられれば、過剰に消耗することのない人生が歩める可能性がある。
どうやってお金を稼ぐかより、どうすればお金を使わずに生活できるか、創意工夫することが大増税時代を生き抜くためのスキルなのかも知れない。
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